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 その夜、たましいけたようにぼんやりとドレッサーチェアにこしを掛けるミリエッタ。

 朝の一件が衝撃的過ぎて、気付くとジェイドの事を思い出しドキドキしてしまい、父からたのまれていたほんやく作業が残っていたのに、今日は一日何をしても全然身が入らない。

 なにがどうしてこうなった?

 数時間が経過してなお急展開に思考がショートし、半ば放心状態でがえりを打つ。

 ハンカチを渡した事に起因する、余りにも不可解な婚約の申し出に、考えても考えても一向に最適解が導き出せない。

 幼い頃から読書や勉強が大好きだったミリエッタ。

 内向的なミリエッタを心配し、両親が同年代の令嬢と引き合わせた事もあったのだが、共通の話題も無く、かといって話を振っても噛み合わず、緊張で顔を赤らめながらいっしょうけんめい話す姿を周囲の大人達に笑われ――本当はがんる姿が可愛くて、みがこぼれただけなのだが――ミリエッタは幼心に傷付き、すっかり自信を失ってしまった。

 友達を作るのはこんなに難しいものなのかと半ば諦めごこで過ごした幼少期。

 せめて得意な勉強で両親の期待に応えようと部屋に籠もって勉強ばかりしていたからか、王立学園に通う前年には中等教育のはんをすべて学び終えてしまった。

 より高度で専門性の高い知識を得たいと願うミリエッタに、それではとひまを見つけては兄のアレクが勉強を教えてくれていた。


「王立学園は中等部の飛び級は無く、的な事を一から三年間学ぶ事になる。交友関係を広げる目的であればそれでも構わないが、ミリエッタはどうする? 難しい勉強をしたいのであれば、学校に行かず家庭教師をやとって領地で学ぶ事も出来るよ」


 習得度をかくにんしたアレクが両親に伝え、ミリエッタ本人が選んでよいという。

 今まで友達と呼べるような同年代の知り合いもおらず、進学すれば友達が出来るかもしれないという期待もあったのだが、それ以上に知識欲が勝ってしまい、王立学園へは入学せずそのまま領地で勉強を続けることにした。

 ゆうしゅうな家庭教師を雇い入れ、課題をこなし専門書を読むかたわら、ちまた流行はやっている大衆小説――それも騎士が相手のこい物語にあこがれ、大人になればこんな素敵な恋が出来るのだと期待に胸をふくらませ、表紙がれるまでり返しふける日々。

 そんな中、父の仕事相手に連れられて、年の変わらぬ御令嬢達がはくしゃくていに遊びに来たのだが、これまでがうそのように話が合い、好きな本から始まって将来の夢や恋の話……いっしょに過ごす時間はとても楽しく幸せで、少しずつミリエッタの世界が広がって行く。

 親友と呼べる友達が出来、領地経営を手伝ったり翻訳のらいを受けたりと、生活にもじょじょにハリが生まれ、待ちに待ったデビュタントの日を迎えたのだが。

 これほどたくさんの人が集まる場所は初めてな上、幼少期に人前で失敗したおくまでよみがえり、おくれして声も出せずに俯くばかり。

 兄のアレクとおどったファーストダンスではステップを誤り、足を踏み付けるという初歩的なミスまで犯してしまい、恋をするどころか、情けなさと恥ずかしさでそのまま消えたくなってしまった。

 ダンスの後、落ち込むミリエッタを気遣いアレクが会場のすみへと連れ出し、「つらいならもう帰るか?」と声を掛けてくれたのだが、やはり最後までやり遂げようと勇気を振りしぼり、会場に居続ける決意をする。

 ダンスを誘ってくれた男性もいたのだが、ステップを間違えないよう足元を見るのにせいいっぱいで会話に集中出来ず、緊張のあまり話した内容どころか顔すらも覚えていない。それでも誘ってくれた事が嬉しく、終わった後に笑顔でお礼を伝えた記憶はあるので、失礼は無かったと思いたい。


 だがその後参加した初めての夜会では、年頃の令息に目を逸らされ、歩み寄れば俯き逃げられ、何がいけないのかも分からないままほうに暮れる。

 唯一目が合う四人組の男性は、明らかに他の貴族令息達とふんが異なり、目がくらみそうなほどうるわしい上、その内一人には何故か怖い目で睨まれてしまう。

 さらには遠巻きにする令嬢達が話し掛けたそうに見ているため、の程をわきますみやかに対象から除外する。

 その日は兄と一緒に会場を回り、お年を召した諸侯達に話し掛けられるうち、何が起こるでもなく終わってしまった。

 帰宅するなりベッドに突っして落ち込み、このまま結婚出来ないのではと自分のからに閉じこもる。

 何故けられ目を逸らされるのか、睨まれるのかも分からず、なけなしの勇気を振り絞る気力も湧かず、招待状が届いても行きたくないとすべて断り続けた。

 昔はもっと上手に、自分の思いを伝える事が出来たのに。

 日を追うごとに自信が無くなり、言いたい事も言えず内に吞み込む事が増えてくる。


「夜会なんて、もう行きたくない! どうせ上手くいかない……誰も私の事なんか、好きになってくれないもの!」


 心配して部屋を訪ねた伯爵夫人││ 母が、ベソをきながら弱音をくミリエッタをねて、「直接話し掛けるのが難しければ、刺繍のハンカチを渡してみたら?」と、提案をしてくれたのはつい先日のこと。


「でも、誰も貰ってくれなかったら?」

「想いを込めたプレゼントを断る男性なんて、論外だわ。むしろ断られて良かったと思いなさい。……失敗しても恥ずかしい事なんて一つもないわ」


 励ますように微笑む母に少し元気を取り戻したミリエッタは、なみだでぐしゃぐしゃの顔でベッドから起き上がり、ぎゅっと抱き着いた。


「誰に渡したら良いか分からない時は、いつも夜会で話し掛けてくださる公爵閣下にでも伺うといいわ。色々な事をご存知だから」


 小さな子どもをあやすように、よしよしと背中を優しくでられる。


「それにうちは経済的にも困っていないし、アレクという立派なあとりもいるから、そんなにおもめなくてもいいのよ?」


 うふふと微笑み、それから気合いを入れるようにミリエッタの背中をパシリと叩いた。


「最初で最後だと思って、誰でもいいから渡してきなさい! なら駄目でいいから、その時は家の仕事を手伝ってちょうだい! お願いしたい事はいっぱいあるの」


 そんな感じで発破を掛けられ、『適当』な方に渡した結果、まさかこんなことになろうとは!

 うん駄目だ、考えても考えても分からない。


「ねぇハンナ、ジェイド様はどうして求婚したのかしら?」

「トゥーリオ卿でございますか?」


 ミリエッタに問いかけられ、湯上がりのかみを丁寧にいていた侍女のハンナは考え込むように手を止めた。


「あんなに素敵な方だもの、だまっていてもきが沢山届くはずでしょう? 揶揄っているのか、それとも何かのばつゲームなんじゃないかしら」

うわさで聞く限りで恐縮ですが、女性をその気にさせて揶揄う方ではなさそうですよ」

「では何かのちがいとか? 私なんかに求婚してもジェイド様には何の得にもならないし……もしかしてやむを得ない事情がおありなのかもしれないわ」


 俯き、溜息を吐いたミリエッタを元気づけるようにハンナは言葉を掛ける。


「何を仰いますか! お嬢様は大変魅力的でいらっしゃいます。こんなに素敵な御令嬢は、どこを探してもおりません!」

「またそんなことを言って……そんな訳ないのに」

「いえいえ、お嬢様が信じてくださるまで何度でもお伝えしますよ? 何といっても王国一の御令嬢ですからね」

「ふふ、ありがとう。でもやっぱり、お断りしたほうが良い気がするわ」


 はくしゃく家に古くからいる侍女ハンナは、おだやかなものごしめんどう見の良さから侍女仲間にもしたわれており、幼い頃からミリエッタの良き理解者でもある。


「お嬢様はもっと自信を持つべきです。そのようにご自身をなさることが、私はいつも悲しくて堪りません。仮にやむを得ない事情があったのだとしても、良いではありませんか。これをきっかけに素敵な恋が出来るかもしれませんよ」

「……そうかしら?」

「そうですとも、折角誘ってくださったのですから、お断りなどせず楽しんで来ればよいのです! 五日後が楽しみでございますね。お嬢様が楽しく過ごせるよう、私もかげながらいのっております」

「ハンナったら……そうね、それに一度おうだくしたのに私のわがままで今からお断りしたら、失礼になってしまうものね。もし何か失敗しちゃったら、また話を聞いてくれる?」


 とうの展開に気持ちが付いていかず、本当に二人きりで大丈夫かと心配だったが、ハンナのおかげで少し前向きな気持ちになれた気がする。


もちろんです。ハンナはいつだってお嬢様の味方です。さぁ夜もけて参りましたので、そ

ろそろお休みください」


 微笑み部屋を後にするハンナを見送り、ミリエッタはゆっくりとベッドに横たわった。

 未だ理由は分からないが、あんなに素敵な男性に誘われればやはり嬉しく、ふわふわと浮き立つ気持ちはいなめない。

 夜々中まで考えをめぐらせた後、久しぶりにぐっすりと眠りに落ちたのである。




******




「……え?」


 くだんの夜会で突然ハンカチを渡されたこの、ジェイド・トゥーリオは震える手で、だがしわにならないよう慎重に、折りたたまれたハンカチへと目を向けた。

 しんの天使に手渡された、想い人へおくる刺繍のハンカチ。

 去り際、引き抜かれた手の名残なごりしさに、ぼうぜんしつし立ちくす事しか出来なかった。

 勿論ミリエッタにそんな気が無い事は分かっているのだが、このチャンスを逃すつもりは毛頭無い。

 帰路にく馬車の中、ジェイドは口元にうすい微笑みをたたえた。

 逃がす気はない。

 ――――どんな手を、使ってでも。



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