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 ああ~~、どうして私、お母様の言う通りにハンカチを渡してしまったんだろう。

 しかも公衆の面前で!

 もう泣きたい……。

 昨夜の出来事を思い出し、しゅうのあまり何も手につかず、部屋に引きこもってゴロゴロしていると、かろやかにりんが鳴った。

 来客かしらとそっと部屋を出て少しだけ顔をのぞかせると、昨夜の夜会でハンカチを手渡した男性に見える。

 驚きのあまり口元を両手で押さえながら再度そろりと覗くと、面識があるのか母が微笑みながらむかえ、おくれてしょさいから出てきた父までがおで何かを話し込んでいるようだ。

 え? まさか昨日のハンカチを返しに?

 いやいやそんなしちめんどうな事をするだろうか、それとも柱にぶつかったあの一件で文句を言いに来たのだろうかと、ドキドキしながら様子を窺う。

 応接室に男性を案内した母が何かを申し付けると、数人のじょ達がミリエッタの部屋を目指し、階段を上がるのが見えた。

 ミリエッタはこっそりと自室にもどり、何事もなかったように慌てて読書のふりをする。


「おじょうさま、失礼いたします。お客様がおいでですので、急ぎたくをさせていただきます」


 何が何やら分からぬまま、通常時の三倍速でたくを整えると、応接室に来るよう父か

ら声がかかった。

 慌てて応接室に向かうと、待ってましたとばかりに立ち上がり、ミリエッタのもとへつかつかと歩み寄る。


「こんにちは、ミリエッタ嬢。トゥーリオこうしゃく家、ジェイド・トゥーリオと申します。昨日はお声がけいただき、ありがとうございました」


 やわらかく微笑みていねいに頭を下げる彼は、トゥーリオ公爵家の次男であるらしい。

 よりによって、公爵家の方に渡してしまうとは……分不相応な自分の行いに、早くもなみだである。


「ミリエッタ・ゴードンと申します。こちらこそ、昨夜はありがとうございました。お怪我の具合は如何いかがでしょうか?」

 自分のせいで怪我をさせてしまった昨夜の一件。

 申し訳なさそうにジェイドへ問いかけると、「お気遣いなく。あの程度、怪我の内にも入りません」と、事も無げに返される。


「本当に申し訳ございませんでした。……あの、本日は一体どのようなご用件で?」


 夜会での鋭い眼光とは一変し、柔らかなまなしを向けられたミリエッタは、まどいがちに問いかけた。

 そもそも誰なのかすら分からなかった彼の名前が判明したところで、本日の来訪目的が気になって仕方ない。


さきれが直前となり申し訳ありません。昨夜のお礼と、婚約の申し込みに参りました」

「婚約の申し込み!?」


 昨日の今日で!?

 あまりに急な展開にミリエッタはヒュッと息をみ、そろりと両親に目を向けた。

 笑顔でうなずく母を見遣り、再び視線をジェイドに戻す。


「昨夜も告げた通り、本当に深い意味は無いのです。気を悪くさせてしまったらきょうしゅくですが、どうか無かった事に」


 夜会で睨まれた時のことを思い出し、怒られはしないかとちゅうちょする気持ちもあったのだが、いそがしい中わざわざ足を運んでくれた彼に、不誠実なは出来ない。


「……そうでしたか」


 ふむ、と困ったように首をかしげる立ち姿すら美しく、こんな素敵な人が何故自分にきゅうこんするのか、いよいよもって理解不能である。

 貴族令嬢ならば、誰もがえんきたいと願う四大公爵家。

 そのうちの一つ、トゥーリオ公爵家の次男……揶揄からかわれているだけなのではとだいに不安になり、ミリエッタは身構えた。


「それではなおさら、突然の求婚に驚かせてしまいましたね」


 急にけいかい心をあらわにした様子に気付き、ジェイドは少し傷付いたようにまゆを下げる。

 突然降って湧いた婚約話。

 ハンカチを貰った手前仕方なく来たのか、婚約者探しに難航する自分をあわれに思い同情してくれたのか、はたまたおもしろはんぶんで揶揄っているだけなのか。

 いずれか判断が付かず、ミリエッタは混乱する。

 そのすべて、というパターンもあるわね……。

 何やらどんどん悪い方向へ考えてしまい、今にも人間不信になりそうである。


「ですが……無かった事になど、したくはないのです」


 眉をひそめて考え込んだミリエッタに思うところがあったのか、ジェイドはゆっくりと言葉を重ねる。


「信じてもらえないかもしれませんが、本気です」


 真っ直ぐに向けられたしんけんな眼差しに、ミリエッタはゴクリと喉を鳴らした。

 ……あとから間違えましたと訂正しても、問題ないと聞いていたのに。


「あ、あの、トゥーリオきょう

「ジェイドとお呼びください」

「その、……ではジェイド様」

「はい、なんでしょう?」

「いくらなんでも、こう、あまりに急過ぎるのではないかと」


 適当に・・・ハンカチを渡しただけなのに、なにゆえこれほどたいそうな話になってしまったのか。

 いぶかし気な表情をかべるミリエッタに向かってにこりと微笑んだ後、ジェイドは少し躊躇ためらいがちに口を開いた。


「実を言うと、昨夜は感激してねむれませんでした」


 照れくさそうに告げる様子があまりにまぶしく、全く以て現実味が感じられない。


「昨日の今日でごめいわくかとも思ったのですが、居ても立っても居られず、おうかがいしてしまいました」


 理解がおよばず絶句するミリエッタを安心させるように、優しく言葉を投げかける。

 あらまぁと母のうれしそうな声が聞こえたが、もはやそれどころではない。


「おおお待ちください! あまりに急なお話で、いきなり婚約とおっしゃいましても」

「ご安心ください。意に染まぬけっこんいする気はありません」


 ごういんに婚約を迫るわけではなく、意外にもミリエッタの意向をんでくれるらしい。


「ですが少しでも私を知ってもらい、願わくば心のかたすみに置いていただきたい」


 本人の意図するところではなさそうだが、生来の高貴な血筋が為せるわざなのか、なし崩しに首を縦に振ってしまいそうなオーラを発している。

 お母様の厳命でこうなったのだから、どうにかしてください!

 助けを求めるように再度両親へ目を向けると、はくしゃくじんは訳知り顔で頷き、「むすめしょうだくすれば、我々は何の異存もございません」と、ジェイドへのえんしゃげきを乱れ打つ。

 ――ち、ちがうちがう! そうじゃない!

 予想外の方向へ飛んだ援護射撃に及びごしで顔をらせ、ジェイドからあと退ずさるように距離を取る。

 ハンカチを渡すだけだから重く考えずとも大丈夫だと、背中を押してくれたのは、誰だったか。


「そういえば、最近人気でなかなかチケットが取れないしばがあるのですが、ぐうぜん二枚、手に入りまして」


 少し遠ざかった距離を以てしても体格差があるため、特に威圧している訳ではないのに圧倒されてしまう。


「折角なのでおさそいしたいのですが如何でしょうか。改まった場ではなく観劇だけですので、お気遣いは無用です。丁度仕事もかんさん期。つかえの無い日程をお伺い出来れば、おむかえに上がります」


 ミリエッタは無理矢理微笑みを浮かべ、受けようかお断りしようかなやんでいると、その気配を察知したのかジェイドが心配そうに膝を曲げかがんだため、真っ直ぐに視線が交差する。


「あ、あの、……ッ」


 真正面から見つめられ、どうしてよいか分からず目を泳がせたミリエッタに、ジェイドは言葉を続けた。


「三日後と五日後ですと、どちらがごう宜しいでしょうか」

「え、ええッ!? どちらかというと、五日後のほうが……」

「承知しました。それでは、五日後の昼過ぎにお迎えに上がります。くわしいお時間は後ほどごれんらくいたします」


 あ、しまった、と気付いたころには、時すでおそし。

 思考停止状態で頷いたミリエッタは、流されるまま二人きりのデートを承諾してしまうのであった―― 。

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