第42話 小悪魔は囁く

 折り返しキャンプ地リターンキャンプのスタッフ達がバリケードを作り終え、立て籠もりの準備を終えた頃。

 そして、俺達が準備を終えた頃。


 ……封鎖ゲートが鈍い音とともに、破られた。


「くる、よ!」


 十撫がスリングショットを構えながら、短く警告を発する。

 その言葉に応じたわけではないだろうが、封鎖ゲートをヘシ曲げながらのしりと……魔物モンスターが姿を現した。


「ホントに、ミノタウロスなんスねぇ……」

「気を付けろ、神話系の魔物モンスターは強力って相場が決まってる!」

「見たらわかるわよ! あの図体だもの!」


 魔物モンスターは、手強い……というのは、探索者ダイバーの間でまことしやかにささやかれるジンクスである。

 この見覚えというのは、見たこともない迷宮ダンジョン生物ではないという意味ではなく、俺達が神話や逸話、伝説に見る生物に酷似しているという意味だ。


 迷宮ダンジョンについての歴史はわかっていないが、過去にもこれが出現していた可能性について、迷宮ダンジョン学者がいくつかの仮説を出している。

 過去に出現した迷宮ダンジョンから這い出た魔物モンスターが、そういった文献に残っているとすれば……資料に残るほど大きな被害をもたらした可能性がある魔物モンスターというわけだ。


 さすがにドラゴンの出現報告は聞いたことはないが、世界各地でこうした『神話系魔物モンスター』の出現は、報告されており、そのいずれもが這い出しオーバーフロウを始めとした大きな被害を出している。

 魔物モンスターとしてもイレギュラーなのだ、こいつらは。


「ジェニー、やっていいぞ!」

「OK! BOSS!」


 返事と同時に、ジェニファーの指先から特大の光弾が放たれる。

 高純度の魔石を丸ごと消費して最大火力の初手を切る、というのが今回の『プランその1』だ。

 マナ研究者が目を剥きそうな貴重品、値段も当然張るが……命には代えられまい。


 俺達の目的は、魔物モンスターの脅威となって〝プロフェッサー〟達がいる野営地から、コイツの目を逸らさせることだ。

 最初からフル火力で行く必要がある。


「亜希、ぶっぱなせ!」

「ええ!」


 【ぶち貫く殺し屋スティンガー・ジョー】を軽々と持ち上げた亜希が、鋼鉄製の太矢を発射する。

 痛み止めが効いてるとはいえ、右足のバランスが悪い俺が撃つよりいいだろうと思っていたが、あの武器はこのまま亜希に渡しておいていい気もするな。


「ブオオオオッ!」


 胴に光弾、そして左腕に太矢を受けたミノタウロスが、悲鳴とも怒りともわからぬ鳴き声を上げる。

 『プランその1』は効果ありだったが、仕留めるには至らなかったか。

 この初手に期待していたのだが。


「くるぞ! 戦闘開始! 踏み込みすぎるなよ!」


 俺自身もマチェットを抜きつつ、声を張り上げる。

 戦闘に耐えられるかどうか、と問われれば「きっと無理」なのだろうが……無理を押し通す手段だって、ないことはない。


「一意専心──FIRE!」


 こちらに向けて突進する仕草を見せたミノタウロスに、ジェニファーの二射目が放たれ、出鼻をくじかれた牛頭がたたらを踏む。

 〝プロフェッサー〟は好きに使っていいと言ってくれたが、これで500万円近くの魔石が消費されたと思うと、少しばかり胃がきゅっとなる光景だ。

 だが、その火力はこの戦闘において命綱とも言えるもの……ケチッてなどいられない。


「化物とはいえ人型。素っ首を叩き落とせば、問題なしッス」


 ぞっとするような気配で、ぞっとするような言葉を口にした正雀が、音もなく空に跳ぶ。

 右手に黒鉄鋼ブラックメタルの刀、左手にはフック付きワイヤー。

 現代の忍者というのは、なかなかロマンがある。


「あたしも行くわ」

「気を付けてくれよ、亜希」


 うなずいた亜希が、猛スピードで駆けていく。

 迷宮ダンジョン適応を完全に自分のものにしている姿は、少しばかり羨ましい。

 俺の迷宮ダンジョン適応は未だに発動条件がよくわからない上に、どうもコントロールが難しい。


 しかし、丸樹を叩いたときに不完全燃焼だった『渇望』が、少しばかり腹の底にくすぶっているのは感じている。

 これを、どう惹起させるのかがわからない。

 そもそも、発動してしまっていいのかもわからない。


 少し、怖いのだ。

 俺の中にあんな獣じみた本性が眠っていたことに。


「怖い?」


 前線を睨む俺に、十撫がそっと囁く。

 まるで、俺の心を読んだかのように。


「ごめん、びっくり、したよね。でも、そんな風に、見えたから」

「君にはかなわないな。まぁ、怖いよ。迷ってもいる」

「うん。裕太さんの、力、すごく強いもん、ね」


 そう、あの力は強力だ。

 しかし、抑えがきかないところもあるし、反動も強い。


「でも、使わないでいて、みんながケガするのも、ヤなんだ、よね?」

「まったくもって、その通りだ」


 前線では、亜希と正雀が善戦している。

 しかし、それはまさに『薄氷を履むが如し』といった様相で、何もできない自分が……ひどくもどかしい。


「大丈夫、だよ」

「え?」

「たくさん食べて、たくさん抱いて、たくさん寝ればいい、よ?」


 十撫の声が、妙に心地よく染みわたっていく。

 俺の望みを、知っているかのようだ。


「今は、食事の時間。闘争の時間。命の時間」

「十撫、君は……」

「生きることは、食べること。我慢、しなくていい」


 肚の底が、じわりと熱くなる。

 それは小さな種火のようであったが、燻っていた『渇望』を目覚めさせるには、十分な熱だった。


「……ふふ、うまくいった」

「小悪魔ってレベルじゃないな」

「む、ひどい。でも、うん……終わったら、わたしを、いいよ?」


 なんて餌を見せつけてくれる。

 よしてくれ、『渇望』に支配された俺は、倫理観とかが薄っぺらくなるんだ。

 ああ、でもデザートにその豊満を貪れると思えば……目の前の『闘争』たる『晩餐』が、前菜オードブルに見えなくもない。


 ならば、手早く終わらせよう。

 すぐに終わらせよう。

 あの美味そうな命を喰らって──この柔らかそうな女どもを抱こくおう。


「ブオオオオン!」


 ミノタウロスが怒りの声を上げている。

 殺気に満ち溢れていて、実にいい。

 きっと、あれの命は……とても美味い。


「行って、裕太」


 十撫の声が、きっかけになったのか……俺は、獣の意思を宿してミノタウロスへと疾走はしった。


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