第40話 断末魔響くフロア6
吹き飛んだ丸樹が壁に叩きつけられるよりも速く、俺は地面を蹴る。
頭に血が上っているなんて言葉があるが、いまの俺は『全身に血が上っている』みたいな感覚だった。
思考がクリアで、シンプルで、衝動的。
つまり、殺意の塊だった。
飛びかかるようにして、唖然とする覆面の男を一人、轢き潰す。
こんな状況になって、ぼんやりしている方が悪い。
息はまだあるようだが、ずいぶん血を吐いて右胸が潰れている。
もう立ち上がることはあるまい。
「なんだ、なんなんだ、コイツ!」
もう一人の男はクロスボウを俺に向けた。
いいぞ、反抗こそ生きる意志だ。素晴らしい。
殺すけど。
腕を振って、プロテクター腕部に備えられたエッジですれ違いざまに触れる。
「──……」
気管ごと動脈を裂かれた男が、血を吹きだしながら膝をつく。
この男も、もうダメだ。
どいつもこいつも、弱い。
もっと美味そうなヤツはいないのか。
せっかく、せっかく……こうして、腹を減らしてるというのに。
まるで足りない。喰うに値しない。
「相沢ァ……ッ!」
振り向くと、丸樹が立ち上がっていた。
手にはあいつの得物である鉄棍棒。
「何してんだ、何してんだーーー! テメェは!」
激昂する丸樹。
さすがにタフじゃないか。いいぞ、来い。殺し合おう!
迎え撃つべく足に力を込めた瞬間……丸樹ががくりと崩れ落ちた。
鉄礫、ハンドアクス、投げナイフ、そして光の弾丸が、丸樹の両足に直撃したから。
「は? ぐ、あああッ」
のたうつようにして痛みの声を上げる丸樹。
興ざめだ。せっかく、殺り合えそうだと思ったのに。
まぁ、せっかくだ。殺すだけ殺しておくか。
「裕太!」
少し責めるような声が俺の耳に届く。
ちらりと見ると、亜希がこちらに歩いてきていた。
「……亜希?」
「行くわよ!」
「まだ殺してない」
「いいの! あたし達の目的はなんだったかしら?」
亜希の言葉に、少しばかりの冷静さが心に戻ってくる。
そうだ、こんなところで丸樹などにかかずらっている場合ではない。
「古川さんを助けないと」
「そうよね。ほら、行くわよ!」
「……うん」
なんだか、亜希の勢いに押されて『飢餓』が鳴りを潜めた。
あいつらの命は、もうどうでもいい。
喰っても、美味しくなさそうだし。
「急いで! 嫌な気配が、近づいて、来てる!」
十撫の言葉に、はっとする。
そうだった。得体のしれないミノタウロスの件もあるんだった。
なおさら、こんなところでぐずぐずしていられない。
「ごめん、古川さん」
「いいんだけどー……そろそろ、限界かも。少し、寒い」
力なく笑う古川さんに手を差し出して、俺は仲間たちに指示を出す。
「総員、進行。全力でこの場を離脱。フロア5を目指すぞ」
「了解っス……てか、ケガは大丈夫なんスか!?」
「あ」
ふと見れば、わき腹からは血が溢れ、右足はちょっとえぐいことになっていた。
いまは痛みもないが、俺の迷宮適応が切れればまずいかもしれない。
「亜希、悪いけど……」
「任せて! 行くわよ、みんな!」
古川さんを担ぎ上げて、亜希が声を張り上げる。
その瞬間、十撫が小さく呟く。
「……くる」
その言葉通り、俺にもわかるような気配が部屋に近づいてきている。
足音と荒ぶる吐息のような音が、ゆっくりと薄暗い通路の先から聞こえてきていた。
もう、すぐそこに……いる。
「万一の足止めも考えて、ボクが殿を務めるッス。社長は先行を」
「……すまない、正雀」
「社長を守るのが、ボクの仕事っスから」
にこりと笑った正雀が俺の背を押す。
そんな俺に、声をかけるものがもう一人いた。
「相沢! おい!」
丸樹がこちらを見て叫んでいる。
切羽詰まったような、恐怖に歪んだ顔。
お前みたいなやつでも、そういう顔をするんだな。
「助けてくれ! 頼む!」
厚顔無恥にもほどがある。
言っていて恥ずかしくないのだろうか?
殺そうとしていたのはお前だろうに。
「……」
黙っている間に、奇妙な気配が強くなっていく。
確実に、この部屋に向けて近づいてきている。
「謝る! 何でもする! 心を入れ替えて──そうだ、まだ潮音にも謝ってないしよ? な? 頼む! 仲間だろ? オレたち」
「違う」
自然に、拒否の声が口から出ていた。
あまりに本音すぎて、無意識に出てしまったのだろう。
「ヘ?」
意外そうな声を上げる丸樹。
むしろ、どうして俺達に助けてもらえるなんて考えたのか、理解できない。
だって、あんたは……敵だろ?
いや、魔石も素材も採れないから、それ以下だな。
それを……助ける?
どう考えても、
「裕太さん、急い、で!」
「行くっすよ、社長」
十撫と正雀に促され、俺は踵を返す。
もう
「お、っと」
「拙者がフォローいたす」
バランスを崩す俺の肩を、ジェニファーが支える。
忘れていたが、俺の右足はちょっぴりダメになってるんだった。
「GO! GO! GO!」
思ったよりもパワフルなジェニファーが、俺を半ば抱え上げるようにして駆ける。
その隣を十撫が走り……その後に正雀が続いた。
「おい、うそだろ? なぁ、おいって! 相沢! 助けろ! 戻れ!」
「……」
もはや返事する気すら起きずに、ただ遠ざかっていく丸樹の声を聞く。
かつては先輩で仲間だった男を置き去りにすることに、良心が痛むかと思ったが……そんなことはなかった。
存外、俺は冷たい人間だったらしい。
「ヒッ……なんだ、コイツ!? 来るな、来るな!!」
「やめろ! やめろ! ああああ、痛い痛い痛いッ!」
「離せ! オレの脚……? あっぐああああ」
「いやだ! おい! おいィ!?」
「やめ、いや、いやだ──助けて、だすげでッ!」
叫んでいた丸樹の声が、徐々に悲鳴に変わっていく。
そして、最後に「う、うぐワァァァァァ!?」とひときわ高い悲鳴が上がった後……それっきり丸樹の声は聞こえなくなった。
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