第38話 追跡の気配

「古川さん!」


 部屋の隅でうずくまる人影に声をかけて、駆け寄る。

 ややひょろりとした不健康な体つきの男性が、こちらに気が付いて片手をあげた。


「ああ、相沢君じゃないか。いいところに来てくれた。実はちょっとはぐれちゃってね、軽く怪我もしちゃったもんで動けないんだ。悪いんだけど、折り返し野営地リターンキャンプまで行って助けを呼んできてくれないだろうか。もちろん、お礼はするからさ。いやー、参ったよ。もうちょっとで肉玉ミートボールになるところだった」


 まくしたてるように早口で話す古川さんの前にかがみこんで、傷の確認をする。

 これだけ話せるなら呼吸器系は大丈夫。肺なんかに傷はない。

 出血があるのは……右腿、左ふくらはぎ、それに顔に擦り傷が少々。

 自分で止血したみたいだけど、出血量はそこそこあるな。


「俺達が救助隊ですよ。〝プロフェッサー〟に頼まれて、あなたを探しに来たんです」

「静が? 心配かけちゃったなぁ」


 ぽりぽりと頭をかく古川さんだが、まじまじ見ると顔色はあまりよくない。

 経過時間的に、失血性ショックをいつ起こしても仕方がない状況だ。

 急いで戻る必要があるだろう。


「この人が古川さん? 見つけたなら、戻りましょ?」

「ああ。傷の具合から自力で歩行は難しそうだ。俺が背負っていくよ」

「あたしのがよくないかしら? 迷宮ダンジョンの中なら、パワーあるわよ?」

「戦力的な問題だ。亜希には前衛をやってもらわないとだから。十撫、俺の代わりに殿を頼む」


 そう声をかけるが、返事がない。

 振り返って視線を向けると、十撫はじっと小部屋の出口を見つめていた。


「どうした?」

「遠いけど、何か……いる」

「こっちに向かってる正雀ではなく?」

「しょーちゃんは、こんな、濁った気配は、しない」


 十撫の言葉に、ジェニファーと亜希が緊張した面持ちで得物に手をかける。

 俺はそんな仲間たちの後ろでどうするべきか考えあぐねていた。


 魔物モンスターだとして、ここで迎え撃つのか、それとも打って出るのか。

 正雀にはここで合流と伝えた手前、動くのは悪手かもしれない。

 ポイント4はここからそこそこ距離がある。

 いくら正雀でもここ──ポイント3に到着するまで少しかかるだろう。


 ……よし、折衷案だ。


「警戒しながら移動する。少しだけ遠回りになるが、ここからポイント4へのルートを移動して、正雀と合流を目指しつつ、フロア5への階段を目指す」


 遭遇戦の可能性はあるが、この小部屋で追い詰められるよりはいい。

 もし、十撫の感知したものが件のミノタウロスだとすれば、ここで後のない戦闘をする方が危険だ。


「ナビゲーションは僕ができるよ」


 壁を支えに、立ち上がった古川さんが、軽く笑う。


「助かります。じゃ、俺の背中に。亜希、悪いけど俺のクロスボウを担いでいってくれ」

「おっけ。それじゃ、行きましょ!」


 古川さんを背に担ぎ上げて、俺は亜希に頷く。

 それを合図に、俺達はポイント3の小部屋を後にした。


 ◆


「十撫、どうだ?」

「少し、離れた、かも。やっぱり、わたしたちを、狙ってた……?」

「いまフロア6にいる探索者ダイバーは俺達だけだしな」


 やはり、追ってきているのはミノタウロスだと考えるべきか。

 フロア6の魔物モンスターを食い散らかして、探索者おれたちも殺すつもりだろう。

 逆に言えば、まだフロア5に『這い出し』してないことを喜ぶべきかもしれないが。


 あそこには、防衛部隊がいるとはいえ、探索者ダイバーではない研究者や施設運用のための一般人も多数いる。

 しかも、あの場所自体が『迷宮ダンジョンタウン』のテストケースと位置付けられているので、危険が及ぶのはまずい。


「古川さん、もう少し頑張ってくださいよ。すぐに折り返し野営地リターンキャンプに戻りますからね」

「大丈夫、大丈夫。僕、こう見えてタフなんだよ?」

「やせ我慢ができるだけ元気があるなら、それで結構」


 軽く苦笑しながら、俺は早足に進む亜希の背中を追う。

 そろそろ、正雀と合流できてもいいはずなんだが……。


「あれ? みなさん? どうしてここにいるんスか?」

「ぴったりのタイミングだ、正雀」

「拙者は、ちょっとびっくりでござるねー?」


 ジェニファーの首筋には、正雀の手刀がギリギリのところで止まっている。

 出会い頭の事故が起きなくてよかった、


「ジェニーさん、ごめんなさいっス! 首ちょんぱしなくてよかったっス」

「oh...ニンジャクリティカルねー……! cool」


 やり取りの途中で、正雀の視線が俺の背負う古川さんに向く。


「そっちが当たりだったみたいっスね」

「ああ。でもちょっと厄介な事態でね。俺達を追いかけてる何かがいるみたいなんだ」

「ミノタウロスっスか?」

「わからない。ただ、十撫が気配を掴んでる」


 俺の隣で、十撫が小さくうなずく。


「追われていると仮定して、ポイント4通過ルートで登り階段を目指す。いけるか? 正雀」

「ボクにお任せくださいっス!」


 にこりと笑う、正雀がくるりと背中を見せる。


「最短ルートで行くっスよ!」

「ああ、頼む。古川さん、あと少しですからね」

「お構いなく。みんなの安全第一でよろしくお願いいたしますよ」


 こんな時まで気遣いを忘れない。

 本当によくできた人だ。


「それじゃあ、進行! 十撫、適宜気配についてはアナウンスを。戦闘は回避するが、ルート上の魔物モンスターは撃破。ジェニファー、コストは度外視していい」


 俺の指示に頷いて、パーティ全体が動き出す。

 複雑に枝分かれしたフロア6を、古川さんのナビと正雀の先行警戒で潜り抜け……必死に歩くことしばし。

 ようやく、フロア5への階段に一番近い部屋に到着した。

 ここまで来れば、折り返し野営地リターンキャンプはもうすぐ。


 小さく息を吐きだして、俺は少し気を抜いた。

 それが、よくなかったのかもしれない。


 次の瞬間、どこからか飛来した太矢が俺の右腿を貫いた。

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