第32話 殺意にむせる
「……よし、殺そう」
「待って、裕太さん。殺すのは、ダメ」
「そうよ、裕太。ちょっと落ち着きなさい」
立ち上がろうとした瞬間、太刀守姉妹に両脇を抑えられて俺は再び腰を下ろす。
しかし、湧き上がる怒りが殺意に変じていくのはとてもじゃないけど、止められそうになかった。
「いいっスよ、殺します?」
そんな俺に、ステキな提案をしてくれたのは正雀だ。
眼鏡の位置を戻しながら、スマートフォンを取り出して机の上に置く正雀が、俺と……潮音さんをゆっくりと見る。
「物理的でも、社会的でも。あの人がリスク要因になっているのは、調査済みッス」
「ちょっと、しょうちゃんまで! 物騒なこと言わないでよね?」
「物騒でもなんでもないっス。ボクの仕事は、相沢社長をご機嫌にすることっスからね」
正雀の業務的な物言いが、些か心に刺さる。
しかし、おかげで冷静さが少し戻ってきた。
「ごめん、潮音さん。まさか、こんなことになってるなんて。俺、知らなくって」
「ううん。わたくしが、愚かだったんです。もっと、相沢君と話をするべきでした。解決したら、きっと戻ってきてくれるって……先走って」
「あなたが、悪いわけじゃ、ない」
「そうよ! 自分を責めることなんてないわ。悪いのは丸樹とかいうヤツなんだから!」
太刀守姉妹の言葉に、潮音さんが小さく首を左右に振る。
「わたくしがもっとしっかりしていれば、相沢君を守れたかもしれない。わたくしが、もっと思慮深ければ、罠にはまることもなかったのです」
「うん、やっぱり殺そう。俺のことだけならともかく……潮音さんを巻き込んだのは、ちょっと許せそうにない」
いくばくか冷静になった頭で考えても、殺意がまるで収まらない。
まるで『渇望』に支配された時のように、思考が一辺倒になってしまっている。
とにかく、丸樹を俺の認識から排除したくて仕方なかった。
「おっと、ハーレムで歓談中に失礼いたしますぞ」
「藤一郎、もう少し空気を読んでくれ」
ミーティングルームにふらりと現れた敏腕社長に、思わず苦言を呈する。
しかし、どこ吹く風といった様子で椅子を引っ張ってきて混ざった藤一郎は、机の上にどさりと紙の束を広げた。
「さすがに物理で殺人はよくありませんので、社会的抹殺ということで参りましょう」
ちらりと正雀に視線をやってから、俺に向き直る藤一郎。
どこから聞いていて、どこまで知っているんだろうか。
「なにか案があるのか、藤一郎」
「案というか、既定路線ですな。もう何も心配する必要はないですぞ!」
机に広げられた資料を指さして、藤一郎がにやりと笑う。
つられて視線を落とすと、そこに広がっていたのは丸樹に関する報告書の数々だった。
「丸樹大地は横領、公文書偽造、名誉棄損などなど七つの罪状で起訴される予定になっておりますぞ。弊社顧問弁護士と大学、それに『鬼蕊』の調査協力によって得られたものすべてが、裁判を通して洗いざらい世間に公表されることになりますな」
「つまり?」
「人生終了のお知らせですぞ」
肩を揺らして愉快げに笑う藤一郎に、ぞくりとさせられる。
やる時は徹底的に……というのがこいつの信条であることは知っているし、俺とてさっきまで「コロス」などと口走ってはいたが、こうして人間一人の人生が終わるきっかけを目にすると、背中に冷たいものを感じてしまった。
「なので、皆さんは平常運転でよろしい。面倒くさいことは我輩と弁護士に任せておけばよいですぞ!」
「さすが、明智のおじさん!」
「おまかせ、だね」
太刀守姉妹にうんうんと頷いてから、俺をじっと見つめる藤一郎。
こういう目を向けるのは、こいつが俺を試している時だ。
そんな目を向けなくたって、やることはわかってるさ。
「潮音さん、この件はこういう解決になっちゃったけど……それでいいか?」
「……はい。お任せします」
「じゃ、次は俺からの提案」
右手を潮音さんの前に差し出して、口を開く。
「もう一度、俺のバディにならない?」
「え……?」
「弊社では信用できる人材を募集中でね。潮音さんなら大歓迎なんだけど、どうかな?」
驚いて目を大きく見開く潮音さんに、精一杯の笑顔を向ける。
最初からこうしておけばよかった、という後悔とともに。
藤一郎から任された『ピルグリム』を私物化するわけにいかない、と意固地になっていた部分があった。
本当は、彼女こそ最初にここに呼ぶべきだったのだ。
──潮音さんは、俺のバディなのだから。
「はい、おねがいします……!」
「ああ、よろしく」
俺の手を握って、目じりに涙をためる潮音さん。
そんな彼女を仲間たちが拍手で迎え入れた。
「ようこそ、『ピルグリム』へ!」
「歓迎、します」
「いらっしゃいっス!」
「Welcome!」
和気あいあいとした雰囲気の中、俺はというと……やはり、暗い気配を心から消しきれずに鬱々としていた。
丸樹には個人的な恨みもある。
というか、俺が恨むべきは丸樹だったとわかったというべきか。
弁護士の調査や大学側からの報告、それに潮音さんから話を聞く中で、やはり俺を罠に嵌めたのは丸樹だということが判明した。
しかも、俺を嵌めるだけでなく、俺を利用して潮音さんを強請るなんて、とてもじゃないが許せるものではない。
今すぐアレを縊り殺したいという『渇望』がじわじわとせり上がってくる。
「待て、ですぞ?」
「人を犬か何かのように言うのはやめよう」
「我輩とて、弟分に躾などしたくはありませんな」
藤一郎の言葉に少しばかりの冷静さを取り戻した俺は、深呼吸する。
そうだった。俺と言う人間は、『ピルグリム』の社長であれば、ここに集まる彼女らの代表でもあるのだ。
個人的な恨みで勝手をやらかすのは、よくない。
「それでいいですぞ。くっくっく、裕太にも社長の辛さがわかってきたようで実に愉快ですな」
「そういうところ、よくないぞ? 藤一郎」
「さて、しばし待って……うまい酒を飲む準備でもしましょう」
それだけ告げて、静かに去っていく藤一郎。
その背中を見送って、俺はすでに潮音さんと打ち解けている仲間たちを見やる。
そこで、ふと隣に座る亜希と目が合った。
「……また、女の子を増やしたわね? スケベ」
小さく囁く亜希に、俺は苦笑を返す。
そう言うつもりは全くないのだが、事実そうなっているのでぐうの音も出ない。
「次は男性社員にするよ。絶対に」
俺の返答に、亜希が含み笑いのように小さく笑った。
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