入社したての頃の彼女は元気で人懐っこくて好感の持てる後輩だった。


 背が低く丸顔で容姿は十人並みだったけれど、笑った顔には無邪気な仔犬みたいに愛嬌が溢れていて、その上近頃の若者には珍しくヴァイタリティに溢れていた。

 分からないことがあればどんどん質問してきたし、ノルマを与えれば何時間残業してでも必ずその日のうちに終わらせていた。

 駅前支店の主任を任されていた俺はそんな彼女の意気込みを買って、優秀な社員に育て上げるために精一杯手を掛けてやったつもりだ。

 

 けれどいつの頃からだろう、敷島は俺を避けるようになった。

 割り振った仕事はきちんとこなすが、物件の下見などの同伴は曖昧な理由をつけて断るようになった。

 また残業に付き合ってやろうとするとこれみよがしにそそくさと帰り支度を始めたりした。

 

「その態度はなんだ。上司である俺がそんなに気に食わないのか」


 たまりかねたある日、誰もいない応接室でそう問い詰めたが彼女は終始黙ってうつむいたままだった。その態度にどうしようもなく腹が立ち、俺は身振り手振り言葉を尽くして彼女を叱責した。

 多少、行き過ぎたところもあったかもしれないがそれは彼女の成長を願ってのことだった。

 そのつもりだった。


 

「浴室の換気はどうなっているの。湿気がこもったりしないかしら」


 薄暗い洗面所を覗き込んだマダムが訊く。


「はい、浴室乾燥機が付いていますし、小さいですが打ち出し窓もありますから。それに独立洗面台が設置されているので湯気で窓が曇ることもありません。この価格帯のワンルームマンションにしてはお得だと思いますよ」


 説明を受けて小刻みに肯く依頼主に敷島は頬をほころばせた。


 そうだよ。

 そういうフォローも全部俺が教えてやったんだよな。

 それなのにお前は恩を仇で返すような真似をしやがって。



 その日、出勤すると常務からのメールが届いていた。

 なんでも重要な話があるから顔を出すようにとの通達で、首を傾げながら慌てて本社に赴くと難しい顔をした常務に迎えられた。


「君に関する内部告発があった」

「え、……と言いますと」

「パワハラとセクハラだ。身に覚えがあるんじゃないのか」

「いえッ……そんなことは」

「告発者以外の証言もある。君が認めなくても見過ごすわけにはいかない」


 大仰に首を振りながらも告発人の目星はあっさりと付いてしまった。

 しかも支店に配属されている他の社員の誰かが敷島を援護している。

 誰だ。副主任の垣添か、それとももう一人の女子社員である浅野か。

 頭の中で疑惑がグルグルと渦を巻く。


「とりあえず追って処分を伝えるから、それまで謹慎しているように」


 あくまでも指導の一環でしたと食い下がる俺に常務はそう告げて、うるさそうな顔をして退出を促した。

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