NAIKENコンダクター
那智 風太郎
1
このところの俺は内見案内の付き添いばかりしている。
「ここからだと駅までどれくらいなの」
「徒歩で約八分ですね。でも自転車なら三分ほどで着きますよ」
五十代と見受けられるマダムの質問に昨季入社の後輩社員、敷島奈津美はエントランスのオートロックを解除しながら手短に答えた。
間違ってはいない。
けれど彼女の後ろに立つ俺は内心で舌打ちをする。
何やってんだ。
きちんと依頼主の顔を見て話せって何度も教えただろう、まったく。
とはいえここでいきなり説教を始めるわけにもいかない。
代わりに部下の失態をフォローしようと精一杯の愛想笑いを作ってみる。
けれどマダムはやはり機嫌を損ねたのか、スーツ姿の敷島の背中に化粧の濃いその無表情を向けたままだった。
狭いエレベーターに三人で乗り込み、六階で降りる。
内見するのは端部屋の605号室だった。
「すぐそこに大通りが見えるわね。騒音とか排気ガスは大丈夫なのかしら」
マダムが通路の手摺り壁からひょいと顔を覗かせてそう尋ねる。
「えっと、ここからだと多少はクラクションや大型車のエンジン音は聞こえますが室内はしっかり防音されているので大丈夫です。あと、排気ガスについても気になるほどではないかと」
敷島が鍵を開けながらそう答えるとマダムがいかにも気の無さそうに軽く肯き、その横で俺は顔をしかめる。
いや、排気ガスについては十階以上じゃないと微粒子が上がってくるから洗濯物は外に干さないほうがいいと説明するべきだろう。
そういう些細な誤謬でも後でクレームが来たりするんだから。
俺は口走りたい文句をなんとか喉に押さえ込み、得意のビジネススマイルを向けて手差しでマダムを室内へと誘った。
二間ばかりの薄暗い廊下を抜けるとカーテンが取り外された部屋のフローリングが張り替えられたばかりのクロスと相まって白々と光って見えた。
明るいわね、とまんざらでもない顔つきになったマダムに窓際で敷島が相槌を打つ。
「ええ、南向きですし、この辺りで六階だと日差しを遮る建物もないですから」
もっと気の利いたことを言えよ。
ここに住むかもしれないのはこの人の息子さんなんだ。
大学進学で一人暮らしを始めるんだから母親としては病気や治安なんかも心配なはずだろう。こういうときはベランダに出て病院や警察署が近いことをアピールするんだよ。
胸中でさらに不満が渦巻く。
それに今はまだ二月なのになんでもっと分厚いものを用意してこなかったんだ。
マダムの黒いストッキングがビジネスホテルに備え付けられているような薄っぺらいスリッパに収まっているのを見て俺は気付かれないようにそっとため息を吐き出した。
敷島奈津美は万事、こんな風にぞんざいで俺の気持ちを苛立たせる。
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