僕と彼女の新生活
ゴットー・ノベタン
新生活
「広さ、良し。日当たり、良し。水回りの臭い、良し……」
あれこれと呟きながら、1LDKの部屋を見て回る。
一通り見終わったあたりで、背後から女性の声が掛かった。
「いかがでしょうか?」
「良い家ですね! 床がカーペット敷きなのもありがたいです。フローリングだと足元が滑る感じがして、ちょっと苦手なんですよ」
僕が笑顔でそう答えると、彼女もにこりと微笑んだ。
「気に入って頂けて何よりです。ではこれから、諸々の手続きに入りますね」
「よろしくお願いします!」
いよいよこの部屋で、新しい生活が始まるのだ。
それは、奇跡の様な出会いだった。
半年ほど前の事だ。突然やってきた見知らぬ人々に、僕と両親は家から追い出されてしまった。
理由も教えて貰えないまま、車でバラバラに連れて行かれ、わずかな荷物と共に河原へ放り出される。スマホなんて便利な物も持っていないので、互いがどこへ行ったかも分からず、とうとう両親とはそれっきりだ。
橋の下で雨をしのぎ、段ボールと申し訳程度の毛布に包まりながら、わずかな缶詰で飢えをしのぐ日々。
一度、警察にも行ってみたものの、僕の話など全く聞いてはくれなかった。
帰って来れば最後の缶詰も野良猫に盗まれており、もはやこれまでかと短い生を思い返していた時。たまたま通りがかった彼女が声を掛けて来た。
彼女の計らいで僕は病院に連れて行かれ、九死に一生を得る。それだけでなく、彼女は住む家の無い僕を自分の家に住まわせ、食事の世話までしてくれたのだ。
「こんなにして頂いても、僕にはなにも返せるものがありません」
あまりに申し訳なくて、そう謝った事がある。
「何も気にしなくていいんですよ。ちょうど、一人でいるのは寂しいと思っていた所なんです」
彼女はそう言って、優しく僕を抱きしめてくれた。
しかし、そんな日々にも終わりがやって来る。
ある日、彼女の家の大家さんから、『そいつを住まわせ続けるなら出て行ってもらう』と言い渡されてしまったのだ。
散々世話になったばかりか、これではとんだ疫病神だ。住む家を失う辛さを、彼女にまで味わわせる訳にはいかない。
そう決意した僕は、彼女の家を飛び出した。
とはいえ、他に行く当てがあるわけでもない。
ぼう、と雲を見上げながら歩くうち、ふと見覚えのある景色に気が付いた。
ここは確か、家族と一緒に車で通った道だ。僕は思わず駆け出した。
(もう一つ先を曲がれば、すぐそこが僕の家! あれからもう随分経ったし、今なら入れて貰えるかも知れない!)
見慣れた生垣が目に入り、思わず胸が高鳴る。呼吸を整え、静かに近付き、外側からそっと中を窺うと……
そこには、何もなかった。
みんなで一緒にご飯を食べたリビングも、おばあちゃんと一緒に日向ぼっこをした縁側も、庭の片隅にちょこんと置かれた盆栽も……
よく見れば生垣もほとんどが刈り取られ、わずかに残された幹と枝ばかりのヒイラギが、青空を透かして影絵の様に立ち尽くしている。
思い出の我が家は跡形もなく取り壊され、後にはただ、更地だけが残されていた。
それから、どこをどう歩いたのか。
呆然としている間に家を離れ、随分と彷徨っていたらしい。気付けば僕は、いつかの橋の下へとやって来ていた。
最愛の家族と引き離され、帰る家は思い出と共に崩れ去った。奇跡の様な出会いも、自ら手放してしまった。
川の対岸で、野良猫同士が喧嘩している。彼らの様に路上で生きていくためには、他者から奪い、他者を退けるだけの強かさが必要なのだろう。
自分にも、あのような暮らしが出来るだろうか?
そこまで考えてかぶりを振る。ろくに家から出た事もない自分に、今さら路上生活が出来るとはとても思えない。
(今日はもう、考えるのはよそう。歩き回ってへとへとだ。あれもこれも全部、明日、明日……)
河原に転がっていた段ボールを集め、形ばかりの壁と天井を手に入れる。
湿った感触に身をすくめながら、スイッチが切れたように意識を手放した。
隙間から射し込む光で目が覚める。
そんなに長く寝た気はしないので、夜は明けていないはずだ。何の光だろうか?
段ボールの中から這い出し、光源の方を見る。まだ暗い中を、誰かがライトで照らしているらしい。
「見つけた!!」
そこに、2度目の奇跡がいた。
「急に飛び出しちゃうから探しましたよー、もしかしたらと思ってここへ来て正解でした!」
一緒に帰りましょう、と彼女が手を差し伸べてくる。
「なんで……なんでそこまでしてくれるんですか? 僕が戻ったら、貴女はあの家を出なくちゃならないんですよ!? なのにどうして……」
後ずさろうとする僕を、彼女の腕が優しく包み込む。
「住む場所なんて、新しく探せばいいんです。大事なのは、誰と一緒にいるか」
彼女は両手で僕の顔を挟み、真っ直ぐに見つめて来る。
「私は、貴方と一緒にいたいですよ。貴方はどうですか?」
そんな風に聞かれてしまったら、答えなんて決まっていた。
「よろしく、お願いします……!」
僕は彼女の両手に自身の手を重ね、泣きながらそう告げた。
「手続き終わりましたよー」
新しい大家さんと話していた彼女が戻って来る。
「荷物はすぐにでも運び込んで良いそうなので、梱包出来てる分は持って来ちゃいましょう。間取りが広くなったから、いずれは貴方用のベッドも買いたいですね」
「別に毛布さえあれば、僕は床でも構わないんですが……」
僕の声が聞こえているのかいないのか、構わず彼女は続ける。
「床がカーペットになったとはいえ、これから冬ですから。何なら電気毛布も用意して……ああ、そうそう」
そこまで言って、彼女はひょい、と僕を抱え上げた。
「正式に家族になるんだから、貴方の名前も決めないと」
僕は猫だ。名前はあったが、知ってる人はもういない。
彼女が付けてくれるならば、新しい名前もきっと、素敵なものに違いない。
僕と彼女の新生活 ゴットー・ノベタン @Seven_square
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