月と波の子守唄
深雪 了
月と波の子守唄
休日の昼下がり、緑で生い茂った木々の間をセオは車で走っていた。
セオが一人で暮らしている家を出発してから既に一時間程経っており、車は市街地をとうに抜けて緑豊かな郊外を走行していた。
遠くまで出掛けているのは、母に会いに行くためだった。母に会うのは前回から計算して数ヶ月ぶりだった。長い距離を車に乗らないといけなかったが、年に三回程はこうして母のもとへ顔を出していた。
変わり映えしない緑の中を進みながら、セオは十数年前の少年時代の事を回想していた。
彼の生まれ故郷は小さな村で、そこで母親と二人慎ましく暮らしていた。子どもはセオしかいなく、父親は少し前に終わった戦争で兵隊に取られて戦死していた。
セオは母親の事がとても好きだったし、母親もセオを深く愛していた。しかし彼女は重い病を抱えていて、貧しいその家では苦痛を和らげる薬を買うのがやっとだった。
それでも、母は毎晩セオが寝付くまで隣で寄り添ってくれた。彼女はよく子守唄を歌ってくれ、それをベッドに横になりながら聴いているのが何より好きだった。
「月の・・・満ち欠け・・・夜空に白く・・・・・・」
横になったセオの肩を優しく叩きながら、母は唄ってくれた。囁くような、安心する声だった。この世に何も怖いものなど無いと思わせてくれるような、優しい響きだった。その歌を聴きながら眠るのが、彼にとって何よりの幸せだった。
けれど母の病状は思わしくない状態へと変わっていった。瘦せ細り、やつれていく母を前にセオはただ悲しく、何も出来ない自分の非力さが悔しかった。しかし母親は息子を抱き締め、「あなたが居てくれるだけで十分なの」と弱々しいながらも優しく微笑んだものだった。
三日月が輝くように浮かぶ、美しい夜空の日だった。その日も母は就寝しようとするセオの傍らで横になり、彼の肩をたたきながら歌を唄っていた。
「潮の・・・満ち、引き・・・浜辺を、さらって・・・・・・」
以前と違ってその美しい声はかすれ、やっとのことで絞り出しているようだった。横になっていた少年は戸惑った。
「母さん?」
呼び掛けると、母は苦しそうな様子を見せつつも、ふっと微笑んだ。そして、少年の額に触れ、ありがとう、と呟くと、続きを紡いだ。
「海・・・と・・・、ひとつ、に・・・・・・あ・・・お・・・の、な・・・か・・・」
それが少年がきいた、母の最後の声だった。
◇ ◇ ◇ ◇
車は先ほど走っていた郊外よりも更に物静かな土地へ辿り着いた。
質素だがのどかな、セオが少年時代を過ごしていた村だった。
車から荷物を取り出し、見知った顔に挨拶と少しの世間話をしてから目的の場所へと向かう。
人が少ない村の中の、ひときわひっそりとした場所。対照的に緑だけが鮮やかに目に映るその一画に、目指していたものはあった。
深いグレーの色に、形は四角く細長くて、先の方だけ丸みを帯びている。その石の下に——母は眠っていた。
セオはその前で片膝を付き、手に持っていた花束を墓石の前にそっと置いた。
「久し振り、母さん。また会いに来た。俺は何も変わりないよ。元気にやってる」
墓石に向かって語りかけると、セオはその縁をそっと撫でた。語りかける彼の顔は終始穏やかだった。——まるで、少年時代を思い浮かべているかのように。
大切な存在は失くなってしまったけれど、あの穏やかな時間はずっと自分の記憶の中にある。その記憶がセオを支えてきたし、これからも生きていく糧となるだろう。
風が強まって、辺りの緑を軽く揺らした。墓石に手を置くセオの髪も穏やかに流される。「また、会いに来るよ」そう言って、子は母へと向かって静かに微笑んだ。
月と波の子守唄 深雪 了 @ryo_naoi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます