中編

 そのアパートは、古くて小さな一軒家の物件からすぐ傍のエリアにあった。自転車なら五分とかからないはずだ。


 二階建てで外観は白い壁が綺麗に手入れされている。駐輪場も広いし駐車場だってある。


「この物件はですねー、お値打ちなんですよー。先ほどと同じ2Kの物件ではありますが、設備が全く違うんです! 物件の隣の部屋には大家さんが住んでいますしね。何かあったらすぐに話をできますよ! さぁ、早速中の方へどうぞどうぞ」


 促されるまま、中に入る。


「あ……綺麗……」


 玄関を入ってすぐがキッチンなのだけど、まずフローリングが綺麗で驚いたの。洋室のフローリングも綺麗に手入れされているし壁紙だって汚れていない。和室の畳だって軋んでないし、何よりお風呂場が今時の『ピッ』ひとつで入れるやつで。


 さっきの物件には無かった脱衣場もあるし、洗面台も大きなものが付いている。


 私の心は大きく弾んでいた。この物件が五万五千円で借りられるっていうの!? それって最高じゃない!?


「ね、ねぇ正樹さん。この物件とても素敵だと思わない?」

「あぁ、そうだなー。綺麗だなー」

「ねぇ、仮押さえしておきましょうよ」

「えっ? もう決めちゃうの?」

「だって五万五千円よ!? すぐ他の人に決まっちゃうかも」

「予算は五万円だったんだけどなぁ。その分節約して捻出できる?」

「出来るわよ! 私頑張る!」

「分かった。ならいいよ」


 そうして私たちはそのアパートを借り押さえした。正式な契約は審査が通るのを待たなきゃいけないから、一週間後だ。


***


「……というわけでね、とっても綺麗な物件を格安で借りられそうなのよ」


 私は内見の結果を両親に報告していた。


「あのエリアで五万五千円だと? 相場は八万円くらいだろう? 事故物件なんじゃないか?」

「え……? 事故物件……?」

「ほら、今話題の心理的瑕疵物件ってやつ」


 父にそう指摘されて、私は不安になって来た。


(どうしよう。そんな事不動産屋さんは言ってなかったけど、もしかしたら告知義務を上手くかわしている物件なのかもしれないわ。お化けが出たらどうしよう!?)


 私はその後一週間悶々として過ごす事になった。


 六日目に審査が通ったと営業マンから電話があって、翌日の日曜日に正樹さんも交えて本契約をする事になった。


「この度はご契約ありがとうございますー! いやー、あそこはお値打ち物件ですからねぇ!」


 営業マンは相も変わらずニコニコとしている。


 私は意を決して真相を確かめてみた。


「あのっ……! 家賃が相場より随分お安いようですが、もしや事故物件ですか!?」

「へっ……?」

「だから、前の住民が亡くなっていたりとか!」

「あーあーあー」


 営業マンは困惑の顔を見せた。


「違うんですよ。誰も死んでいないんですよ。ただ──」

「ただ、何です!?」


 私は身を乗り出して問いただす。


「ただ……あの、物件の隣の部屋が大家さんの部屋だってお話したじゃないですか? その大家さんがですね……事故物件レベルのクソジジイなんです」

「「事故物件レベルのクソジジイ!?」」


 私と正樹さんの声が重なった。大家さんがクソジジイで家賃が安いってどういう事!?


「それって、大家さんが私たちに嫌がらせとかして来るって事ですか!?」

「違うんです! 違うんです!!」


 営業マンは滝の様な汗をかきはじめた。


「嫌がらせとかはしないんですが、癖が強くて。昔の頑固ジジイっていうんですか? そういうのなんですよ! 悪い人ではないんです。気に入られれば無害です!」

「そ、そんな一か八かな……」


 ここで、正樹さんが提案をしてきた。


「他にこの値段で入れる綺麗なアパートって無いんですか?」

「あのエリアだと、ぶっちゃけ無いです。あっても八万円とか十万円です」

「大家さんに気に入られれば無害……どうする? 千明」

「私は……私は……」

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