愛の行方

キクジロー

愛の行方

 ――――果たして、されど、誰が僕の手を握ってくれるのだろうか?


 僕は生まれつき肘から先が無い。

 しかも両腕とも。


 僕は、人生で一度で良いから女の子の手を触ってみたい。

 口と口で触れ合うのもまた一興なのだが、それは、僕が手が無い故に、それくらいしか簡単なスキンシップがないから。


 勿論、今の妻と性行為は何度もしたのだが、私の上で彼女が動くのみ。

 私はまるで彼女の道具のように扱われるだけ。ある一定層にとっては驚異的なご褒美なのだが、である私には全くそそるものがない。

 

 若い頃、一度、私は妻に尋ねてみた。

 手を繋いでみたくはないのかと。


 それに対して、彼女は気を使った目で視線をそらし、口を小さく開けた。


「いえ、私は今の状態で満足でございます」


 言葉とは反対の表情が隠しきれていなかった。

 しかし、それを見た私が何かを出来るかと言えば、どうしようもないのでこれ以上言及することは無かった。

 

 かくして、お互いに距離を取りつつも何十度目かの春を迎えた。

 毎年、私は車椅子に座り、妻に運転してもらいながら桜を見る。


 これだけが、私の唯一の楽しみだ。

 一年に一度だけ。

 妻と私、両方の都合が合い、尚且つ天気が快晴の時。

 あらゆる幸運が重なってようやく、味わえる桜の匂い。

 

 私は障害者年金で、働かずともお金が貰えるのだが、妻はそうはいかない。

 配偶者に障害者がいようといなかろうと結局は働かなくてはならない。


 本当に申し訳ないと思う。


 周りの夫婦は、早くて今頃貯金による老後生活。

 まだ仕事を辞めていなかったとしても、それなりの高給料をもらえているのでお金にはそこまで困っていない。

 それにくらべて私たちは、私のせいで妻の体に鞭を打たなければならない。


 不甲斐ない。

 

 ちなみに妻は近所のスーパーでパートをしている。

 もう六十を超えており、隠居生活をしていても可笑しくない彼女が未だに労働を続けるのにはお金問題以外にも、きっと訳があるのだろう。


 それは私でなくとも、いや、私ではないからこそよく分かるのだろう。

 

 彼女は私と過ごすことが嫌なのだ。

 妻は、私と結婚したことを後悔している。


 本当なら、朝は余裕を持って朝日を浴びて、ゆったりと家事をこなして昼寝なりくつろいでいるはずだ。

 私も、彼女を手伝い、横に並んで寝ているはず。



 はぁ……。



 妻のいないところで溜息をついてしまう。


 私がこうして縁側で太陽を浴びながらも、その裏には、彼女の献身的な努力によるものだ。

 できる事ならば、私も力になりたいところなのだが……。

 

 私は私を恨む。


 何故、神は私に命を吹き込んだのだろう。

 まったく、いじわるな神様。


 もし、私が生まれてこなければ、私も彼女もこんな不運な人生を歩むはずもなかった。


 神は私に何を求めているのだろう?


 苦しむ顔を見たいのか?

 彼女を困らせたいのか?

 あるいは、自ら生命を絶つことを望んでいるのか?


 ……はぁ。


 そうこうしている内に、妻が帰って来た。

 しかし、お互い挨拶もお疲れも交わさない。

 彼女は勿論のこと、引け目を感じる私は、今では妻の顔を見ることもできず、最近ではご飯も一緒に食べていない。


 だが、こんな夫婦でも、昔からとある一言だけは毎日寝る前に言葉を飛ばしている。


 それは生命保険の話。

 こんな私でも、召されればいくらかの大金につながる。


 妻は、そのお金を受け取ることができる。


 あぁ、なんと狂気。 

 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛の行方 キクジロー @sainenn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ