7「不死者の見る景色」
「光れぇ‼」
光子分解──俺はまだ、事ここに至ってもそのすべてを使いこなせない。
だけど、ヒントは過去にこそある。
思い出せ。思い出したくもない過去を。罪を犯したその過去を。
玉枝を殺したとき、イワカサがやったようにヤツの全身を光に変えて、空高くに弾き飛ばそうとしていたんだ。それで殺せるとは思ってなかったけれど、いくらか時間を稼げると思っていたから。
でも実際に起こったのは、ヤツの上半身を引き千切り、射出する現象だ。
対して、先ほど。これまた燕貝を一発でも殴りたい一心で行使した異能は、俺の身体を分断することなく成功した。もっとも、内臓の一部を失い死にかけたわけだが。
この二つのちがいは、光子分解の四つの手順のいずれかに関わるのだろう。
大事なのはイメージ。前者に対して、後者の方が明確なイメージを持てていた。
珂瑠になりかけていた玉枝の肉体と十六年間共に育った俺の肉体。イメージしやすいのは断然後者だ。つまり、分解対象のイメージの話。もしくは、移動先。遠くの高い空と、燕貝のいる場所という具体性に差異がある。
そして、イメージによってちがいが生じるというのなら、それを逆手に取って攻撃に転用することも可能だろう。
おそらく、燕貝が見せた指鉄砲は玉枝のときと同じ理屈だ。
指先だけを分解して、光速で射出する。
「──ッづぁああぁ……」
宙を踊り舞う燐光が俺の右掌に纏わりついたかと思えば、激痛。ぶちぶちと断裂する感覚。断面が空気に触れるなり、やすりでもかけられたように痺れる。
想定していたよりも余分に分解された掌は、人差し指の付け根までを奪われて、中指がプラプラと千切れかけている始末。
そこまでの痛みを負ったのに──
「良いセンいってたけど! まだまだ青いなァ‼」
宙を突き進んだ掌の欠片は次第に勢いを失って、やがてべちゃあと地面に落ちた。
それを踏み抜いた燕貝は嘲笑い、目にも止まらない速度で迫りくる。当然のように視界に収めることができないけれど、無駄に高い能力が仇になるんだよバカヤロウ‼
燕貝は俺を殺せない。コイツらの目的である月印は、俺の身体から出てしまえば数秒で消えるらしいから、それでは目的は果たせない。
つまり、コイツは俺の自由を奪うような攻撃しかしてこないはずだ。
そしてヤツが狙うとしたら、それは──
「脚ィッ‼ 跳っべっばァ‼ 避けられるんだろォ‼」
なにも見えていない状況で、予測と山勘だけに頼って身体を縮める。
それから地面を強く蹴りだし、できるだけ高く飛びあがる。
足の裏を、鋭いなにかが走り抜けた。
やった! 回避できた!
なんて思う間もなく、
「ぐえっ」
燕貝はおそらく、手刀か蹴りを放った勢いをそのままに、次の一手を放ったのだろう。曲芸師めいた回転運動と共に、踵落としで中空に舞う俺を地面に叩きつけた。
全身が砕けそうな痛みと、頭蓋に響く強烈な衝撃に吐き気。魂だけはまだ宙を漂っている気がした。自分でもなに言ってんのかわかんねぇ気持ち悪い‼
「バカだろ。瓜丈」
「かひっ」
うつ伏せで丸くなる俺を罵倒した燕貝は、脇腹を蹴って来た。ひっくり返る、なんてもんじゃない。真横からトラックに轢かれたみたいだった。勢いよく土壁に激突して意識が飛びそうになる。
「あっ、かっ、げ……──ぇえ」
胃の中身を絞り出す。血の混じった唾が胃液が、バチャバチャと地面に吸い込まれていく。涙も鼻水も鼻血も。全部出る。出ちゃう。やばい。なにがやばいって、痛すぎてやる気も決意も覚悟も全部なくなっちゃいそうなこと。
「気持ち一つで戦力差がひっくり返るわけでもないしね。ここまでかな」
「ひっ」
揺れる視界に燕貝の下駄が収まり悲鳴が漏れる。
尻餅ついたまま壁に張り付き後ずさる。でも、そんなことに意味はない。どれだけ懸命に下がっても、固い壁の感触と、はらはら零れる砂で汚れるだけ。
どうしよう。あれ。どうするんだっけ。どうすればいいんだっけ。
「じゃあ、おしまいだ」
そうだ思い出した。光子分解。この距離ならうまくいっても外れない。
震える右手の指をなんとか折り曲げ、銃の形に整える。照準を合わせる。
「ああ、ぁあ、──あぁあああああ」
迫る燕貝に指の弾を──。
いつまで待っても、なにも、出てこない。
身構えていた燕貝は身体を弛緩させて、心底呆れたような溜息を零した。
「……『光れ』と、口に出さなきゃダメじゃないか」
あ、そうだった。間抜けな失敗に気付いて、下駄の歯が顔面に向かってきて。
バツン。古ぼけたブラウン管が電源を落とすように、少し前まで見ていた景色の残滓が残りつつ、後はすべてが真っ暗闇に。
「ぁ、あああぁあ? あぁあ?」
折れた歯が刺さりまくって口が開かない。目も見えない。呻き声を出すたびに顔中の傷口が引っ張られる。ぐちゅぐちゅうるさい。喋るな裂ける。血がもったいない。
「ぁあああぁああぁ」
丸くなって泣いて、るのかどうかはわかんない。
いや。いやだ。怖い。死ぬ。死んじゃう。はやく気ぃ失え。気絶しろ。限界になれ。寝ろ。死ね。死んじゃえ。その方が楽に──。
「……んー、あ、そういうこと。霊薬擬き呑んだんだ。そりゃあ、気絶はしないか」
追撃もせず、燕貝はそんなことを言う。
やだ。聞きたくもない話が始まる。予感。
「あ、え? あえ?」
「月印は不死の霊薬の効果を何倍にも引き上げる。たとえその劣化コピーである霊薬擬きであろうとも、それは変わらない」
なにを言ってるんだよ。聞きたくないよ。やめてよ。黙れよ。
なんて、言葉にすらならない懇願を無視して燕貝は楽しそうに講釈を垂れる。
「つまりね。今の瓜丈は霊薬擬きによって限りなく不死に近づいているわけだ。本来、霊薬擬きの効能で傷の修復が始まるまでには、およそ三十秒ほどのタイムラグがあるわけだけれど、君の場合はコンマ数秒ほどの間を置いて修復が始まるわけだよ」
だからほら、見えるだろう?
問いかけに合わせて、顔がむずがゆいのに気づく。折れた歯も、破けたまぶたも、その裂け目の中で弾けた眼球も。すべてが元に戻り始めている。顔を這う芋虫が、あらゆる傷を舐め取っているようだった。
明瞭に映る視界には、憐れなものを見るような燕貝。
「三日月印を持つ僕もまた、君と同じなのさ。辛いぜ。それは。どれだけの傷を負っても……それこそ腕が千切れようとも、首が飛ぼうとも、脳漿が辺りに飛び散ろうともすぐに治ってしまう。だから、痛みで気を失うこともできない」
「へ、へへ、あは、は……ぅひぃいひひひ……」
不意に聞こえてきた笑い声が、自分の喉から湧き出てきたものだと気づくのにいくばくかの時間を要した。
絶望と恐怖を前にして、せめて心を守ろうと思ったのかもしれない。笑えば気分が高揚してくれるかもしれない。そんな一縷の望みに賭けたんだ。けれどもあるいは、この状況下で笑っている時点で、すでに心は──。
同情の滲む声で、燕貝が言った。
そしてそれは、事実上の死刑宣告。
始まったばかりの旅の、終末だった。
「瓜丈の心が死ぬまで、僕はこれから君を殺し続ける。頭を潰す。腕を千切る。肌を切り裂き皮を剥ぎ、血を啜り骨をしゃぶりつくそう。それでも死ねない君はやがて死を望み始める。そうしてすべてを受け入れる人形になるまで、僕は君を痛めつける」
そうでもしなきゃ、君はそのうち逃げてしまうかもしれないからね。
少年は、困ったように笑った。
「……や、やめてください」
そこにわずかでも人らしい感情を読み取ってしまったからこそ、俺は無意味な懇願をし始める。地面に頭を擦り付けて、額が擦り切れて血を流して、けれどもそれすら修復されて──無傷なまま、心だけが欠けたまま、泣き喚いていた。
もはや、笹貫や祥子さん、造健さんや家族の安否について考えることもできない。
利己的な感情だけが唯一、俺だった。
「僕は、中納言石上麻呂のような不甲斐ない真似はしない。僕は僕のために瓜丈の月印を珂瑠に捧げる。そうして、本物の自由を手に入れるんだ」
「おね、お願いしま──」
みっともなく続いた懇願をかき消したのは、風切り音と飛び散った血の音。
あとのことは、うまく思い出せそうにない。
ただ、百じゃ足りないくらい「死にたい」って思った。
それだけは、ずっとずっと後になっても思い出せる。
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