第4話「彼が本当に欲しかった言葉」



「英雄ハル。貴方、悪の組織に興味ないかしら?」

「……はぁ?」


 それは、ハルがロアになるちょっと前の話。

 ジェスティ王国の酒場。そこで、ある二人の男女が初対面した時の話である。


「ない」


 それだけ言って、ハルはまた酒を呑み始める。

 華麗に断られたベアトリーチェは「ふーん」と余裕のある態度を崩さなかった。

 背後では「そろそろ、店締めたいんだけどな……」と酒場の店主が遠目からぼやいていた。


「さて、店主さん。お部屋を借りたいのだけど」

「……200ゼニスだよ」

「はい、これで」


 ベアトリーチェが店主に小銭を渡し、店主から部屋の鍵を受け取る。

 その様子を見て、ハルも店を出ていこうと立ち上がる。

 が、しかし、何故かハルは飲みすぎからのめまいのせいか立てなかった。


「……やばっ」

「丁度良いわね。部屋で話をしましょう」

「あ、おい、なんでだよ。俺は行かない……」

「店主さん。もう200ゼニス払うから、この人部屋まで運んでくれない?」

「仕方ねえな」


 店主がそう言うと、ひょいっと酔いつぶれた男を抱え上げた。

 力なく担がれたハルは、抵抗しようとするが店主の膂力には敵わなかった。


「仕方ないってなんだおい! やめろ! うぎーーーー!!」




「ごくっ……ごくっ……ぷはぁ! ……で、悪の組織がなんだっけ?」


 部屋まで運ばれたハルは、ベッドの上で水を飲むと、ベアトリーチェに問いただした。

 その様子を椅子に足を組んで座って見ていたベアトリーチェは、アメジスト色の髪の毛をかき上げる。

 帝国人によく見られる顔立ちの少女だ。

 他国からやってきたであろうその娘に、ハルは激しく警戒心を抱いていた。


「悪の組織に入って欲しいの。貴方が必要なの」

「……大体悪の組織ってなんだよ。何するんだよ?」

「ん? うーん」


 ハルが聞き返すと、何故かベアトリーチェは考え込み始めた。


「おい、まさか、考えてなかったなんてことないよな?」

「……どうしよっか」

「知るか!? いやなんでそんな行き当たりばったりなんだよ。お前帝国からわざわざ来たのにさ」


 呆れたようにハルが溜息を吐く。

 ベアトリーチェは取り繕うように、冷や汗を流しながら、指を立てた。


「そ、そんなことないわよ。それに悪の組織としてやることは決まっているもの」

「本当か?」

「本当よ。私達悪の組織の目的は……そうね」


 そうね。と前置きをするところからハルは妙なうさん臭さを感じていた。

 言葉を少し切ってから、ハルの目の前に手をかざして、ベアトリーチェは言った。



「世界征服よ!」


「……マジか」


 コイツは重症なんじゃないかと思った。

 だがしかし、目の前の女のキラキラとした瞳が、何故かハルの印象に強く残った。


「だけど、なんで俺なんだ? 俺よりももっと相応しい奴が居ただろ」

「居ないわ」

「……?」


 妙にきっぱりと言い切った。

 その言葉に、ハルは聞く姿勢に自然となってしまう。


「貴方が一番、この世で最も悪の組織に相応しいわ」

「……そんなわけが」



「だって、貴方は未だにあがいているもの」



 ベアトリーチェの言葉を聞いて、ハルは自分の喉の奥が急に乾くのを感じた。

 一体、この女は何を言っているのだろうと、頭ごなしな言葉が、脳裏を走り抜ける。


「ワタシね。あがいている人が大好きで、応援したいのよ」

「……酒に溺れた奴が一体、何をあがいているって? 適当なことを……」



「自分の嫌なところを、お酒で誤魔化していたのよね。本当に言いたかったことから、逃げたくて」


 ドキリと心臓が跳ねた。


「やめろ……」


 一言一言、言葉を紡ぐたびに、ハルは自身の心をむき出しにされているような感覚がする。

 ただ、胸が痛くなった。


「自分の抱えている憎しみを、怒りを、必死に堪えていたのよね」

「やめてくれ……」


 そこで、ベアトリーチェは、思い至った。

 ただ、レオスとララのことを、忘れたかったから酒に溺れたわけではなかった。

 ただただ現実から逃げたくて酒の力に頼ったわけでもなかった。

 本当は……。


「そうか――――」


 ベアトリーチェは本当の彼を、やっと理解できた。




「 ―――貴方は、二人を許してあげたかったのね 」




 ハルが、両手で顔を覆った。



 大粒の涙が、床に沁みを落とす。

 それが、彼の本当の望みだった。


「仲間のみんなは、アイツらを、許せないって、気持ちが分かるって、そう言ってくれてたんだ……」


 ぽつぽつと、少しずつ、彼は本音を語り始めた。

 自分でも、初対面の女に、何を言っているんだろうかと自嘲しながら。

 ベアトリーチェは、静かに彼の言葉を聞いていた。


「でも、違うんだ。自分の本当に欲しかった言葉は、わかってたんだ」


 ベッドから、力なく、ハルが落ちて膝を付く。

 胸を抑えて、辛そうにしていた。


「……『二人を許してあげて欲しい』って、そう、誰かに言って欲しかったんだ」


 嗚咽が混じる。

 ふと、ハルの頭に、ぬくもりが訪れた。


「もう一度言うけど、ワタシね、あがいている人が大好きなの。応援してあげたくなるから」


 周りの人でも気付かないように、彼はあがいていた。

 自分の黒い気持ちを押し殺した。

 そんな自暴自棄の不器用さを、ベアトリーチェは初めから知っていたのだ。

 敵わないな……と、ふとハルは負けを認めた。


「気持ちの整理が付いたら、帝国に来て。別人になって、必死に何かに取り組めば、意外と気にならないかも知れないわよ」

「別人に?」


 ハルが聞き返すと、ベアトリーチェは荷物袋の中から、仮面を取り出した。

 今やロアが愛用している、瞳が見えないタイプの白い仮面だった。


「いいのか? 暴れだすかも知れないぞ?」

「そうはならないわ。だってーーーー」


 ベアトリーチェの顔を、ハルが見上げる。

 右目に涙を流した彼女が、にこやかに笑っていた。


「ワタシが、そばで見ててあげるから」






「そっか……」


 あがく人が好き。

 ベアトリーチェは、そう言った自分の言葉をロアの行動にあてはめて、彼の行動の意味が分かった。


 フードコートの席で、思い起こしながら、彼が悪の組織に入ることを決めた話を喋り終えた。

 ティターニアが、目を閉じて、彼の真意を噛みしめていた。


「本当は、許してあげたかったんですね……ハル様」


 そうつぶやく彼女は、静かに遠くで未だにビラを配り歩いているララを見つめる。

 ロアの言葉を思い返しながら、彼女の言葉が、ティターニアの耳にやっと届いた。


『どうか、お願いします! 夫の裁判の減刑を! どなたか、これに署名をお願いします!』


 そう、雑踏の向こうから聞こえてきて、ティターニアは唇を噛んだ。


「ちょっと行ってくるわね」


 ベアトリーチェが立ち上がった。

 慌ててティターニアも立ち上がろうとしたが、隣に居たノレアが手を引いた。

 ノレアを見ると、首を横に振っていた。


「わかりました」

「うん、待ってて」


 それだけ言って、もう一度、席に座ると、ララの所へと歩いていくベアトリーチェの背中を見送るのだった。






「どうかお願いします! レオス=パルパの減刑に署名を! お願いします!」

「なに貴方? 目の前に来ないで」


 子供連れの目の前にララが立ちはだかり、ビラを差し出す。

 興味がないと、ララを避けようとして、肩がぶつかる。


「うっ……」


 バランスを崩して、ララは転んでしまい、子供連れは逃げるようにその場を離れていった。


「……いけない」


 慌ててララがビラを拾おうと、落としてしまった紙に手を伸ばす。

 だがしかし、それは誰かが踏んでしまい、破けてしまう。


「あっ……」


 そこで、彼女は心が壊れていくような気がした。

 破けた紙には”レオス=パルパの減刑を求める署名”と書かれており、どんな大きな厳罰を与えられるか分からなかった彼を救うためのものだった。

 紙を胸に抱いて、大粒の涙がこぼす。

 今の自分は、貴族でも、王族でもない、ただただ一人の女で、そんな彼女には現実がとても残酷に思えた。

 甘かったのだ。自分の生きてきた現実も、見通しも何もかもが。


「―――ねえ」


 そこに、声がかかる。

 見れば、そこにはアメジスト色の髪色を持つ女性が立っていた。

 タイトスカートにスーツにジャケット。妙に貫禄を持っているような恰好の彼女は、ララに手を差し伸べた。


「署名」

「え、あ……は、はい! どうぞ!」


 ララが破けた紙を咄嗟に差し出してしまうと、それをなんとも思っていないとばかりに、女性はすらすらとペンを走らせる。

 そして、最後に傍にあった壁を使って、服のポケットから出した何かを紙に押した。


「はい……がんばって」

「あ、ありがとうございます!」


 紙を受け取る。

 不格好な形になってしまった紙を大切そうに、胸に抱いたのを見て、女性は踵を返した。

 頭を咄嗟に下げて、その人物を見送った。


「不思議な人、だったな……でもこれで、やっと一人…………えっ?」


 署名に書かれた名前を確認すると、そこには押印付きで、衝撃的な名前の書かれていた。


「『アトリー=ロナン』……しかも、この押印……もしかして」


 もう一度、その人物の背中を見る。

 ララにとって、その名前は、100人分にも、1000人分にも思えた。

 先ほどの涙とは違った、喜びに溢れた涙と共に、彼女の心は力を取り戻そうとしていた。


「ありがとう、ございます!」


 もう一度、ララは女性の背中に、頭を下げた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る