第10話「ロア、狙われる」



「あはは! それーー!」

「きゃーー! やりましたねー!」


 夜。

 月が照らすカジノの屋上。

 そこでは松明や、化学反応を使って緑や青などの色に変化させた炎でライトアップされたナイトプールがそこにある。

 周りには数人のカップルや、親子連れなどが水着を着て、水遊びに興じており、アトリーとノレアもそんな人ごみの中で水遊びをしていた。


「まさか催しがナイトプールとはねー」

「いい雰囲気ですよねぇ」

「アンジェリカ立案らしいわよ。良いセンスしてるわよねぇ……あ、ロアが働いてる」

「いつ休むんでしょうねえ、あの人……」


 ノレアが心配そうに言うが、アトリーからすればワーカーホリックなだけなのではないかと思ってしまうほど、ロアは昼夜問わず働いている。

 流石に世界征服という壮大なお題目のために、ナイトプールのウェイター作業をやる必要はないとアトリーは思うのだが、彼の考えていることは相変わらずよくわからなかった。

 ロアのことは置いておこうと思ったアトリーは、ちゃぷんと水に体を預けて夜空を見上げると、前世の頃には見れなかった満点の星空が自分たちを照らしていた。


「そっか、今日で休みも終わりなのね……」


 ふと、何処か寂しさが胸の中を過ぎった。

 前世の高校で経験したような夏の思い出が、脳裏に思い浮かぶ。


「遊んでばかりではダメですよアトリー様」

「わかってる。ゼファー兄様に怒られるものね」

「ノレアお姉ちゃんも、怒りますよー」

「同い年じゃない。ワタシたち」


 何言ってるの? と笑いながら言っていると、寂しさも何処かに飛んで行ってしまった。

 恐らくは、この暗くて何処かぬくもりを感じる闇の向こうに消えて行ってしまったのだろうと、アトリーはガラにもなく思った。


「よーし、今夜はとことん遊ぶわよー!」

「じゃあ、流れるプールに行きませんか? ちょっと気持ちよさそうで良いと思ったんですよねぇ」

「良いわね! じゃあ行きましょう」


 暖かな夜風が吹くプールサイドで、はしゃぐ女の子二人は、仲良くナイトプールを堪能するのだった。






 そんな二人から少し離れた人の手で植えられたヤシの木の陰で、怪しく身を隠す鼻のとがった男が居た。


「…………チャンスが来たっ!」


 男の名は”フージ=ワラタッツィヤー”

 このリゾートで幾度にも渡って漁船に乗せられてマーグロー釣りや、カニ漁に連れていかれたりなど、散々な目にあってきた男である。

 しかし、それは借りの姿である。


「”暗殺ギルド”から依頼されたターゲット……仮面の男”ロア”」


 フージの視線の先では、憎き重労働の元凶である仮面の男がウェイターとしてプールサイドを片手にお盆を持ちながら右往左往している。


「今まで昼は漁船で人の目があったし、夜はどこにも居ないで暗殺の機会が無かったが……今回は闇が深い月が隠れた夜だ。絶好のチャンスだぜ」


 フージが履いている水着の中には小さな針があり、それにはたとえタイラントベアであっても1日は昏倒させるという強い眠り薬が塗ってあった。

 今日のために、大切にケースの中に入れておいて、今日、それを抜くべき時が男には到来していた。

 木陰からチャンスを伺いながら、ロアが人目に付かない場所に移動しないか、よく観察する。


「……くっ、ヤツめ。いつになったら裏に引っ込むのだ……」




 ―――――――――――

   <●>  <●>

 ―――――――――――




「……っ!? き、気のせいか」


 フージは妙な視線を感じて辺りを見回すが、誰もいない。

 ある意味で彼は現在不審な人物として視線を集めていたが、妙な感覚がした。

 まるで心の奥底を見透かされているような、ねっとりとした熱が籠った視線だったが、そんな視線を放っている人間はフージの見える限りには居なかった。

           <● > <● >


「……ふっ、どうやら気が立っているようだ。これまで数々の任務をこなしてきた俺が、あんな仮面男一人に緊張することなどそもそもないのだ……」


 気を取り直して、フージは仮面の男を監視する。

 すると、ふっとロアはバックヤードに行くのだろうか、暗い物陰に移動していった。

 何にしても、フージにとっては千載一遇のチャンスだった。<● > <● >


「チャンスが来た……! 今すぐにヤツを仕留めr―――」




「―――もし? 少々よろしくて?」

< ● > < ● >


「……えっ?」


 声を掛けられて、背後を振り返ると、そこには赤い瞳を持った茶髪の女性がそこにいた。

 その更に背後には金髪の女性が見えたのを最後に、フージ=ワラタッツィヤーの記憶はそこで途絶えた。





「―――――はっ!?」


 目が覚めると、そこは知らない天井だった。

 灰色の天井を見上げ、今自分がどこにいるのか確認しようと首を傾けようとするが、金具で固定されているのか動けない。

 それだけではない。腕、足、腰までいたるところが金具で固定されており、ビタほども体が動かなかった。

 瞳を動かして横を確認すると、長い金髪をまとめた白いマスクに白衣の女性が、何やら金属の器具を手に持っていた。


「右下から、C1、C1、C2……」

「あががが……!? あがっ!?」


 声を出すが、口まで金属の金具で固定されており、舌だけしか動かせない。

 金髪の女性は、フージの口を金具で何か調べているようで、余計にその意味不明さが恐怖を掻き立てていた。

 その傍では更に気配があり、その人はバインダーで紙に何か書き込んでいるようだった。


「……はい、とりあえず今日は2本の虫歯と、親知らず3本の治療ですねー」

「先生、準備出来ましたわ」


 女性の声がして、金髪の女性に何かを手渡す。

 ガチンガチンと音を鳴らして金髪の女性はフージに見せつけるようにして、ペンチのように見える何かを持ち出した。


「あがーーーーー!? あがが、あがーーー!?」

「はーい、抜歯をしますから、もし痛かったら今日の暗殺の目的と雇い主を頭の中に思い浮かべてくださいねー」

「あくまで、治療ですから安心してくださいまし」


 緩やかな口調とは裏腹に、余りにも物騒な光景に、フージは涙が止まらなかった。

 抵抗しようにも体は動かなく、されるがままにしかなれない。

 恐怖だけが、フージの今の頭の中を埋め尽くしていた。


「はーい、では右下3番の虫歯を抜歯していきますねー。ちょっと乱暴しちゃいますから痛いですよ~」

「あ、あ、あ……」


 フージの口にペンチのような何かが近づいていく。

 金髪の女性は、口元を三日月のように歪ませて、嗤っていた。


「あがぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!!!」





 拷問……のように見えるだけの歯科治療を終えて、アンジェリカとバーバラは血まみれのマスクを取り外す。

 男はショックのせいか気絶しており、机の上には四本の歯が転がっていた。


「さて……どうでしたかバーバラ?」

「ばっちりですわ。帝国でも有名な暗殺ギルドの所属で、雇い主は”評議会”だそうですわ」

「……ふむ、やはり彼らもそろそろ私たちの目的に気付いたようですねぇ~」


 アンジェリカは、椅子に腰掛けて、その長くすらっとした足を組んで顎に手を当てる。

 バーバラは、机の上にもはや必要のないバインダーを置いた。


「これは、ショッピングモール開店時には、もっと妨害が激しくなるでしょうねぇ」

「……先に暗殺ギルドを潰しにかかりますの?」

「そんなことをしなくても、どうせ彼を殺すことなど出来はしないでしょうが……そうですねぇ」


 ウフフと、怪しく笑うアンジェリカ。

 その目は細く、瞳の色は確認できない。


「……彼に伝えれば、もっと面白いことを考えてくれそうですねぇ」

「では、聖女様の御心のままに致しますわ」

「頼みましたよ。バーバラ」


 一体このリゾートのどこにあるのかも分からない歯科治療ルームで、赤い瞳と金髪が、ただ闇の中蠢くのだった。



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