第7話「帝国皇女、スシを食べて誕生日を祝われる」



 どん底。


 人生において、過酷な労働を課されている時に脳裏をよぎる言葉。

 今まさに無数の水揚げされたカニの個数を数える男”フージ=ワラタッツィヤー”に、一番似合う言葉である。


「……155……156……くそっ、いつになったら底が見えるんだ……157……」

「……1220、1221、1222、1223……」


 フージの隣では、仮面の男が高速でカニを無心で捌き続けており、彼の手は既に早すぎて見えていない。次から次へとカニが空を飛び、隣にある数え終わったカニを叩き込むためのケージに投げ込まれていく。

 釣果は大漁。ケージの中には無数のカニがわしゃわしゃとうごめいており、取れれば取れただけ苦労をするという異常な光景だが、これがカニ漁である。


「くぁぁ……ねむぃ。一体いつまでやればいいんだよ……158、159……」

「―――おい」


 大きな欠伸をしながらフージがカニを数えていると、隣の仮面男がドスの効いた声を上げた。

 驚いて思わず肩を震わせたフージは隣の男に視線を向ける。


「あ……? え? なんすかセンチョー?」


 フージ=ワラタッツィヤーの手元を指さして、仮面の男が告げる。


「そのカニは―――残像だ」


 フージが手元を見ると、持ち上げていたはずのカニが消えていた。


「ええええなにこれ!?」

「気をつけろ。さっきから4杯残像を数に入れていたぞ。159だったか?155から数え直せ」


 言われてフージは「くっそ……」と悪態を吐きながらも数えなおす。

 一匹一匹のカニはカサカサと動き回っており、非常に気色が悪い。


「……155、156………157」

「それも残像だぞ」

「もおおおおおお!!!!なんなんだよぉおおおおお!!!」


 拾ったら消えていくカニの残像に惑わされるフージは、ケージを拳で殴りつける。

 仮面の男は、フージに注意を送りながらも手の動きは止まらず、カニを宙に飛ばしていっていた。


「くっそ……156……157……あぁもう、これも残像だしよぉ! すいませんセンチョ―! 数が分かりません!」

「問題ない」


 ズバッと言う仮面の男。その手が急に八つに分裂したかと思うと、ケージの中の全てのカニが宙に浮いた。


「数え終わった。156だったな? ならば今ので2224杯だ」


 ビシッといつの間にやら取り出していた手帳にペン走らせて、彼は去っていく。

 取り残されたフージは唖然としながら彼の背中を視線で追ってつぶやくのだった。


「……な、なんなんだ」





 時間変わって朝。

 アトリーとノレアはリゾートから少し離れたところにある”メーブル漁港”にやってきていた。


「うーーーん。漁港って感じねー」

「そうですねー。私にとっては故郷の雰囲気なんですけどねー」

「そういえばそうよね。里帰りしてみてどう?」

「なんか地元が魔改造されてるから全然違う場所に来た気分でしたねー」

「ですよねー」


 木で出来た桟橋を歩きながら、談笑をしていると、数人の漁師がそこにいる。

 突然現れた女性二人に漁師たちが目を向けると、一人の男性がノレアに気が付いたようで声を掛けてきた。


「お、ノレアの嬢ちゃんじゃねえかぁ。地元に帰ってきてたのか」


 アトリーの見たところ初老のおじさんで、麦わら帽子を被っていた。

 今は生け簀の世話をしていたらしく、ゴム靴をパカパカと鳴らしながら近寄ってきた。

 誰か気づいたノレアは大きく男性に手を振った。


「誰かと思ったらベンおじちゃん~!元気してた~?」

「おぉおじちゃんはいつも元気じゃ~! そっちの娘っこは?」


 ベンが腕をまくって力こぶをアピールしながらノレアに尋ねる。

 呼ばれたアトリーは男性に軽く会釈をする。


「あたしの就職先のお嬢様だよ~」

「えっと、アトリーって言います……」

「ほほぉ~そうかそうか!うちはなーんにもねえけんど、ゆっくりしてけーな? あれ? 今はなんかあるんだっけか?」


 ベンがすっとぼけたように言うと、ノレアが「あはは」と笑った。


「そうだよー。今は漁港の近くにリゾート出来たじゃない」

「あぁ~そうだったそうだった。今回はそれでこっちに遊びに来たんか」

「そうそう。あ、お父さん達はまだカニ漁行ってる?」

「いんやぁ、もう帰ってくるころじゃ。ほらもうそこに船も見えてるぞ」


 ベンが沖の方に視線を向けると、大きな船が桟橋に近づいてきていた。

 船の上にはケージが四つも積まれており、その中にはカニがわらわらと蠢いているのが遠くからでも確認できた。


「ホントだ。お~~~~いお父さーん!」


 ノレアが大きくてを振ると、操舵坤を握っていた大柄の男が、ノレアに気づいて手を振った。

 その横にはアトリーがよく見たことがある頭にねじり鉢巻を巻いた仮面男が腕を組んで立っていた。

 船が桟橋に近づいた時に、ベンが係留ロープを投げて、それを使って船が停留する。


「おーーーい! カニのケージを下ろすの手伝ってくれ!」

「「「おーーーす!!」」」


 ノレアの父親であるピスティ領の領主でもある”ノーブル=ピスティ”が声を張り上げると、乗員になっていた元ならず者達が声を上げてカニの入ったケージを陸に上げていく。

 その作業を横目にクールに桟橋に降り立ったロアは、ベアトリーチェ達に気づくと、ねじり鉢巻を外しながら近寄ってくる。


「来たか」

「来たかって……またノレアを使ってワタシを呼びつけたの?」

「どうせスシと聞けば自ずと来ると分かっていたからな」

「ワタシを食いしん坊みたいに言わないでくれるぅ?」


 むー。と口を尖らせるベアトリーチェを、ロアは華麗にスルーしながら、桟橋の生け簀へと歩いていく。


「ん……これ、マグロ?」

「マーグローだ。これでも一応は王国でよく食べられている高級魚でな。美味いぞ」


 生け簀の中には大きなマーグローが泳がされており、ベアトリーチェはそれを見て大きく「うひゃぁ!?」と驚いてたたらを踏んだ。


「ははは。流石に皇族のお嬢様も活きの良い魚は見たことないか」

「もう。からかわないでよ」

「ははは。すまんすまん」


 笑うロアの肩をベアトリーチェが殴る。

 その様子を微笑ましく眺めるノレアは、ベンに声を賭けられた。


「……あの二人、恋仲なのか?」

「ううん。多分違うけど、仲良しなのはそうだよ」

「そうなのかぁ……」


 どう見ても恋仲のように見えてしまうほど距離感の妙に近い二人に自分の若いころの事を重ねるベンは、手を合わせて「幸あれぇ」と勝手に祈ると、カニの陸揚げを手伝いに行った。


「まぁそう見えるよねぇ…」


 っと、ロアとベアトリーチェを生暖かい目で見るノレアは、一人でつぶやくのだった。




「さぁ!!! それでは今からマーグローの解体ショーを行います!!」

「「うおおおお!!」」


 カニの水揚げが終わり、しばらくすると、机や包丁を持ち出した漁師たちはマーグローを天井の鉤に釣り下げて解体ショーを始めだした。

 鉤に吊るされたマーグローはビチビチと激しくのたうち回っており、迫力満点だ。

 ベアトリーチェとノレアはその解体ショーを間近で見ることになっていた。


「こうして見ると超でかいわねぇ。一尾何人前になるのかしら」

「ベアトリーチェ換算だと3人前でしょうか?」

「人のこと食いしん坊見たいに言わないでノレア」

「……? ワタシじゃありませんよ?」


 そういわれてノレアを見ると、彼女は首を傾げていた。


「え、じゃあ今の誰……アンジェリカ!?」

「うふふ、どうもどうもベアトリーチェ」


 ノレアの陰から、いつの間に来たのかアンジェリカがニコニコとした顔で現れる。

 右手には何故か刀かと見まがうほどの大きさの包丁が握られており、布でくるまれているとはいえ、ベアトリーチェには心底怖かった。


「アンジェリカ、その包丁は解体ショーの?」

「そうですよー」

「―――アンジェリカ来たんなら包丁をよこしてくれ! 鮮度が落ちる!」

「はいはーい」


 ロアに呼ばれたアンジェリカが足早に包丁を渡しに行く。

 包丁を受け取ったロアは、くるまっていた布を取ると、未だに体をバタつかせてもがいているマーグローの目の前に立つ。

 そして、静かにロアは中段の構えを取った。


「………。」


 そして、静かに構えを解く。


「あれ? 何もしないの……?」


 ベアトリーチェが疑問に声を上げると、ノレアとアンジェリカが「違いますよ」と声を上げた。


「彼はもう―――切っています」


 瞬間、釣り下げられていたマーグローが三枚に下ろされ、尾と頭と骨を残してばらばらに解けていく。

 周りにいたベアトリーチェを含む、漁師達も、一人残らず唖然とした。


「む、無駄に凄い」

「しっかりと筋肉の流れに沿って断ち切られていますね……流石ロアです」


 切った赤身の一部を更にブロック上に切り分けてから、アンジェリカが小さなナイフと取り出してズバババと刺身へと切り刻み、いつの間にか取り出した皿に乗せる。


「さぁ、ロア。それではお寿司をお願いします」

「任せろ」


 ダンダンダァン! とさらにどこから持ち出したのか木で出来た机とまな板を持ち出し、さらにどこからか出した米の入った桶を用意すると、ロアはズバババと刺身と一緒に白米を握り込んでいく。

 やがて、作業が終わったのか、一握りのマグロのお寿司を板に盛り付けた。


「マグロ一丁……おまちどう」


 素晴らしい色の赤身のスシがそこにあり、ベアトリーチェに差し出される。

 それと同時に、ノレアとアンジェリカから拍手があがった。




「ベアトリーチェ、お誕生日おめでとうございます」

「アトリー様、お誕生日おめでとうございます!」

「え?」



 ―――パチパチパチ


 拍手で誕生日を祝われるが、今までの早業に何もかも頭がついていかずに、ベアトリーチェは固まっていた。


「今日は君の誕生日だろう? だから前から”ごちそう”だと言っていたスシを作ってみたんだ」

「ワタシのために?」

「そうだ。漁港にマーグローを釣りに行ったのはそのためだ」


 ロアは力強く頷く。


「カニ漁に行ってたのは?」

「あれは単純にショッピングモールに設営する魚市場に出すものを仕入れてただけだ」

「残念。カニ食べたかったのに……」

「……後で一杯くらい貰ってくる」


 困った様に言うと、マーグロースシを乗せた木板をベアトリーチェに渡す。

 ベアトリーチェは、スシを手で触ろうとして、その手を止める。


「手、洗ってなかった」

「手を拭きますね」

「流石、ノレア。ありがとう」


 ノレアに手を拭かれ終わると、改めてベアトリーチェはスシを手に持って、口に入れる。


「……ん?」


 ベアトリーチェが何か違うといった風な顔をした。


「……米があんまりしょっぱくない?」

「なにか違ったか?」

「あ、醤油と酢飯のこと説明してなかったっけ」

「すまない。期待に添えなかったようだ……」


 ロアがベアトリーチェに頭を下げる。

 ベアトリーチェは「え、何で謝るのよ?」というと、指に着いた米をついばむ。


「ロア達が色々と再現してくれようとしてくれた気持ちが嬉しいわ。ありがとう」


 そういうと、ロアたちは「ベアトリーチェ……」と感動したような顔をする。

 そして三人で一度集まると「酢飯ってどんなヤツだ…?」「酢でご飯を炊いたりとか?」「ご飯に酢で味付けしたものでは?」など色々と意見を出し合っていく。

 しかし、ベアトリーチェは「別に良いわよ。これでも美味しいし」と言う。


「また今度、説明するからその時に改良しましょう。もしかしたらまた商品にするかも知れないしね」

「……じゃあ、改めて」


 アンジェリカが音頭を取ると、二人は手を叩いた。


「ベアトリーチェ誕生日おめでとう」

「誕生日おめでとうございます!」

「おめでとうございます!」


 言われて、ベアトリーチェは周りの漁師たちの視線に晒されて恥ずかしそうに顔を掻いた。


「……ありがとう」


 それだけ言われると、ロアは「もっと作るからな」と言ってスシを作る準備を始めて、ノレアはどこからかお茶を用意する。

 アンジェリカは「うふふ」と笑った。


「これで作戦が一つ達成ですね」

「作戦?」


 アンジェリカがロアに言った言葉に、アンジェリカが反応する。


「知らないのですか? 今回、アンジェリカにプレゼントをしようっていう作戦を立てていたんですよ」

「プレゼント?????」


 ロアが「おいそれは秘密だったろ」とアンジェリカに言うと、彼女は「そうでしたっけ?」と、とぼけたように言った。

 すると彼は溜息を吐くと、ベアトリーチェに視線を向ける。


「誕生日プレゼントを用意していてな……」

「お寿司じゃないの?」

「誕生日のごちそうとプレゼントは別だろう? 帝国だと一緒だっけか?」

「まぁそうなんだけど……ちなみに何をくれるの?」


「―――リゾート」


「は?」


「このリゾート自体だよ」


 衝撃的なことを言うロアに、驚きで顔がひきつる。

 ベアトリーチェの様子に、ロア達は不安そうな顔を浮かべた。


「もしかして……嬉しくなかったか?」

「え!?」


 その言葉に、何故だかベアトリーチェはとても申し訳ないような気がしてくる。


(リゾートをプレゼントとか言われてもスケール違いすぎるし……でも、リゾートを支配する悪の女ボスっていうポストを用意してくれたのは嬉しいかもだし……いや、ここはカッコよく決めて喜ばせよう!)


 心を決めたベアトリーチェは、頬に手を当てると「オーホッホッホ!」と高笑いをした。

 周りに居た漁師たちがビックリする。


「このワタシにリゾートをプレゼントなんて流石じゃないアナタたち! 今後もアナタたち社員の働きに期待するわ!」


 耳を真っ赤にしながらも高らかに告げるベアトリーチェに、ロア達は満足そうに顔を輝かせて喜んだ。


「よかった! じゃあ次の誕生日はこの世界をプレゼントするぐらいしないとな!」

「そうですね。この程度では満足出来ませんよね」

「次のプレゼントは世界ですかー」


 そういって盛り上がっている三人。

 ベアトリーチェはそんな三人の様子を見ながら「これでよかったのかしら…」と、夏の暑さに負けず劣らず熱くなった顔を仰ぎながらつぶやくのだった。



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