第4話「悪の女ボス、前世へと戻る」



 パッポーー。パッパッポー。

 ブゥウウウウン!


「……え?」


 気づけばアトリーは、見覚えのある場所にいた。

 アスファルトの地面、目の前には横断歩道。信号、そしてそこから出る青信号の音。自動車のエンジン音と、どこか懐かしい排ガスの匂い。


「……ここ、日本? あれ、ワタシ、ホテルで寝ててそれで……」


 慌てて自分の衣服を確認すると、それは前世の私服であるワンピースにシースルーパーカーだった。

 ポケットの中には『名取ちえ』と書かれた前世で働いていた会社の社員証が入っていた。


「そっか……夢、だったんだ……」


 幸せな夢を見ていた気分だった。

 どこか、切なくなって地面にうずくまってしまう。


「帰ろう……」


 彼女は、自分の実家に向かって歩き出す。

 ふと、彼女は足を止めた。


「……ここ、こんな場所だっけ?」


 記憶違いが起きているのか、はたまたタイムスリップでもしてしまったのか、街の様相が知っているものとは違っていた気がした。


「えっと携帯……あれ?」


 ポケットに携帯を入れていたと思い、探せど見当たらない。


「……たぶん、大丈夫だよね」


 何が起きているのか、自身の身に降りかかっている現状を、整理出来ないまま、再度実家に向けて歩き出した。




「やっぱり、違う気がする」


 名取ちえは、実家暮らしだった。

 会社と実家を行き来する生活をずっと送っており、それは、自身が事故に遭う日もそうだった。

 だから、体感で10数年も経っている感覚なのに、何度も通った道だからこそ分かるものがあった。

 コンビニの位置、あったはずの大型デパート、明らかに新しいビジネスホテル。

 なにもかもが、以前の記憶とは様変わりしていた。


「着いた……ここは、変わってない」


 気づけば実家に到着していた。

 平屋建ての一軒家で、入口には父親の愛車である白い軽自動車が停まっている。


「……。」


 名取と書かれた標識のある門に手を出す。


 ―――するっ。


「えっ……!?」


 すり抜けた。

 手がまるで水にでも突っ込んだかのように、あっさりと、門をすり抜けた。


「……もしかして、ワタシ……」


 するりと、体を門に近づけ、そのまま体がすり抜ける。

 まるで自分には干渉できない物かのように、それはあった。


「そっか……ワタシ、幽霊なんだね」


 そうして気が付いた。

 この世界で死んでいること、今日がお盆の日であること、そして、名取ちえとして一度帰ってきたことを。

 だからこれは、真夏の夜の夢であることを、名取ちえは思い至った。


 実家のドアに手を触れようとするが、やはりその手はすり抜ける。

 なんだかコソ泥にでもなったようないけない気分になった。





「ただいま」


 玄関に入ると、日めくりカレンダーは7月13日になっていた。

 年号を見ると”令和”と書かれており、名取ちえの最後の記憶からはもう10数年も経過していた。

 玄関には、父親の大きな靴が入船で置かれている。几帳面でいつもなら靴の向きを直すはずの母親の靴はなく、結婚して東京に嫁いだ姉の靴も当然ない。

 どうやら家には現在、父親だけがいるようだった。


 廊下を上がると、ちーん、と金属の鳴る音が聞こえた。

 その音に従って、居間の方へ行くと、大柄の太った男性が、壇の前で手を合わせていた。


「お父さん……」


 名取健一、前世での父親だった。

 壇の上には、ちえの遺影が置かれており、変な気分になる。


「……ちえ。もう君が亡くなってから随分と経つね」


 寂し気に、遺影に話しかける父親の背中は、とても小さかった。


「早苗とも離婚してから、秋葉も遠くへ行って、全然お盆だというのに戻ってこないよ。薄情だよねぇ」


 母、早苗とは離婚したらしく、ちえは驚いた。

 仲が良かったはずの両親のことを思うと、途端に寂しい気持ちが湧いてくる。


「……そうだ。君の遺品のことなんだけどね」


 そう言って、話を切り替えた。

 なんだか、ちえは嫌な予感がした。


「あの、ちえのクローゼット大量に積まれてた分厚い月間雑誌あるだろう?」


 月間雑誌?と言われて首を傾げる。


「あれ、読んだんだよね。驚いたよ」


 何が?と更に首をひねった。


「女性向けの月間漫画って、なんというか……その、意外と濡れ場ばっかりなんだね」


 言われて、ちえは思い至る。

 確かに、母親が買っていたレディースコミックのことだろう。

 母親が読み終わったものを大量にクローゼットの中に押し込んでいた気がする。


「あれ、普通にスーパーに置かれてるだろう? なのに普通に局部表現あったりとか、裸で抱き合ったりとか、もうR-18の基準が分からなくなるよね……」

「うわーーーーーーーー!!! 違うのお父さんワタシはむっつりじゃない!」


 ちえは慌てて騒ぎ立てるが、こちらの声が届いている様子はない。

 起きろポルターガイストと言わんばかりに暴れ狂って、落ち着く頃には父親は壇の前から立ち上がっていた。


「さてと、恥ずかしい話を蒸し返すのはやめておこうか。お父さんも遺品としてパソコンの中身見られたら死んでも死にきれないからね」

「今がその気分だよ。殺してぇ……もう死んでるけどぉ。あと知りたく無かったその情報……」


 実の娘に何を報告しよるねんというツッコミもそこそこに「さて……」とキッチンの方へと歩いていく。

 キッチンではどうやらカレーを作っていたようで、美味しそうなスパイスの匂いが漂っていた。


「そういえばね」


 キッチンからまるでちえがその場にいるかのように声を上げる健一にちえは耳を傾ける。


「ちえが昔やってたゲームね。最近になって続編が出たんだよ」


 懐かしむように言いながらカレーをかきまわしていく。


「ハルっていう元主人公がラスボスになるって展開で。クリアしたけど兎に角辛かったなぁ」

「ハル……それって」


 ちえが昔やっていたゲームだ。

 タイトルは『バハムートラグナロク』と言ってRPGのゲームでも未だにある意味で知名度の高いゲームだった。

 そして、現在ではアトリーとしての現在の生を生きる世界でもある。


「他国に行った姫様が子供を授かったと聞いて、嫉妬に狂って、それで暴れて自国の牢屋で何年も投獄されててさ……ある時、仲間だったタニアって子が成長した姿で助けにくるんだ」


 ティターニアの名前が出てくる。元気で、犬みたいな彼女の顔が浮かんだ。


「彼女はハルのことをずっと好きでね。牢屋から出て何もかも忘れて旅に行こうって説得して、彼を連れ出したんだ」


 思えば、ティターニアのハルへの好意は分かりやすいものだった。

 きっと彼女は、彼が酒に溺れている間も、ずっと一途に想い続けていたんだろうことは、父親の言葉からも容易に想像がついた。


「でも、そこで見張りの兵士に見つかって、長い牢獄生活で体力が落ちていたハルを抱えての脱出は無理に近かったんだ。それで……タニアは彼をかばって命を落としてしまう。ここが一番堪えたよ……」


 これは、今のアトリーからすれば知らないIFの話だ。

 今のタニアは絶対にそのような様子はない。いざ命を張る場面になれば必ずハルの方がかばう側に回るだろう。

 だから、そんなことはアトリーの生きる現在の世界ではありえない。

 分かっていても、どうしても、知っている人が、気に入った人がそのような目に遭うIFの話は、ちえにはとても辛かった。

 だけど、どうしても知らなければいけないような気がした。


「絶望した彼は、手元に現れた黒い呼び笛で、バハムートを召喚し、自分の故郷を消し飛ばしてしまった」


 一時期の彼は、何処か不安定でそのような傾向にあった気がする。

 暗殺や、闇討ちなど、そのような事を冗談交じりに言っていたとは言えやりかねない凄みは感じていた。


「そして、彼はそのままバハムートで帝国すらも消し飛ばして……そして、そこから新しい主人公ーーレオスと姫の息子が、最後は災厄となってしまったハルを手にかけてしまうんだ」


 余りにも報われない話だったよ。と父親は言葉を締めくくった。

 胸がぎゅっと締め付けられる。

 そんな胸中のちえを置いて、健一はカレーをよそって机の上に置いた。


「いただきます」


 そのまま、カレーをすくって口に頬張ると「うん、うまい」と頷いた。


「なんでかな」


 健一は、向かいに置いた遺影に、話掛ける。


「今、教えてあげないといけないと、そう思ったんだ……もしかしたら、あの世界に異世界転生……なんて思い過ごしかな」


 あながち間違いでもないと思いながら、父親の隣に、ちえが座る。


「ありがとう、父さん」


 感謝を伝えると、自分の体が光に溢れていることに気が付いた。

 どうやら、ここまでしか居られないようだ。


 カレーを食べて満足そうにする父親を見る。


 ちえの母親である早苗は、カレーが大得意だった。

 それでこそ、毎週食べたいと、健一も早苗のカレーが大好きだった。

 離婚しても、たとえ離れていたとしても、なかなか縁や想いは切る事はできないのだろう。


 まるで、かつてララ姫のことに心を捕らわれていたロアと、健一の姿が重なったのだった。


「良い人見つけてね」


 最後に、名取ちえは微笑んで、父親のささやかな幸せを願うのだった。





「―――……リー様。アトリー様!」

「ううん……ノレア?どうしたの?」


 次に目を覚ますと、ベッドの上に居て、アトリーの顔を覗き込むノレアの姿があった。


「もう昼ですよ。昨日遊び疲れたとは言え、ぐーたらしすぎです」

「ごめん。この部屋涼しくって気持ちよくて……」

「もう……」


 呆れるノレア。

 アトリーは頬を掻く。

 部屋の隅っこでは、ゼファーの執務室にあったのと同じようなツボが置いてあり、ホテルの部屋の中は快適そのものだった。


「随分と良い夢を見てたんですね。こんなに長く眠れるなんて」

「そう、だね……」


 アトリーは思い出した。

 前世に行く夢を見ていたこと、そして、そこで父親と再会した時のことを。

 くだらないことも、そして大事なことも、全部覚えている。


 ベッドから身を起こすと、ふかふかとしたベッドが「待って待って」と言わんばかりの誘惑を放っていたが、ノレアに手を取られてベッドから立ち上がる。


「今日は、夜に隣のお城がオープンするんでそちらに行きましょう」

「いいけど、結局なにをするところなの?」


 ノレアがそういわれて「ふふふ」と笑う。


「ベアトリーチェ」


 そういわれて、声の方向を見ると、入口にアンジェリカが立っていた。

 昨日までは「アトリー殿下」と言っていたのを思い出す。

 つまり、今日は悪の組織ということだ。


「……面白そうなことをやる予感」


 アトリー、もといベアトリーチェは心をワクワクさせた。


 アトリー=ロナンは異世界転生してきた皇女である。

 そして、今は悪の組織のボスであり、図らずとも世界の行く末を変えてしまった女である。


 きっとこの先も、それは変わらない。


 悪の組織の女ボスは、世界だって思いのままなのだ。


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