第8話「帝国将軍、翻弄される」



「竜乳屋のロアの行方が途絶えました」

「なに……?」


 帝国騎士団の詰所。

 そこでドラグーン部隊の隊長の報告を聞いて、将軍レオス=パルパは硬直していた。

 机の上には大量の資料が置いてあり、その全てが未だに処理しきらない騎士たちの退職届だった。

 レオスはかけていた眼鏡を外す。


「……奴が出店していた会社はどうした?」

「ロアの関わる全ての会社には新しく帝国人による社長が就任しております」

「バカな。あれだけの規模の資産事業を全て捨て去ったとでも言うのか? ……ありえん」


 机の上で握りこぶしを固めるレオス。

 その尋常ならざる様子に、正面の部隊長は生唾を飲んだ。

 しばらく静寂が詰所の中を支配すると、レオスは諦めたように溜息を吐いた。


「……一体何が目的なのだ。帝国の軍事力を削いだと思えば、地方へ人員を送り、あまつさえ帝国の発展に貢献している。王国の策略ではないのか?」

「王国は現在、軍艦を新設中だそうですが……」

「全く持って真意が読めん……どこもかしこも何がしたいのだ」


 言いながら、レオスは前にロアから言われた言葉を思い出す。


『―――時代の流れについてこれるか?』


 残念ながら、今のレオスは状況に全くついていけていないのを、自覚していた。

 それゆえに歯がゆい。悔しさばかりが口に出る。

 レオスは目の前に積みあがっている退職届の山をもう一度見ると、なんだか腹が痛くなってくるのを感じた。


「ぐぅ……」


 目下最近のレオスの悩みはこの胃痛。

 事務仕事ばかりで最近ろくに訓練も出来ておらず、剣筋が鈍るばかりか、最近は寝不足からか瞼の下がぴくぴくと痙攣するようになっていた。

 妻の元に帰ったとしても、話をすることもなく気絶をするように休眠に入るのが最近のライフワークであり、子供の顔もしばらく見れていない。


 レオスは机の引き出しをあけて、小瓶を取り出した。

 それを見た部隊長が、声をあげる。


「レオス将軍。それは……?」

「あぁ、最近将校たちの間で流行っている胃薬だ」


 ぐっとレオスが小瓶の蓋を開けにかかる。


「あの…それ……」

「ん?なんだ?」

「いえ、よく使われているのですか……?」

「……? あぁ、これが無ければもう仕事など出来ないほどだ」


 それだけ言うと、部隊長は何か言いたそうにもじもじとしだす。

 レオスが苛立ちに駆られる。


「なんだ? いいたいことは、はっきりと言え」


 その言葉で意を決した部隊長は、ぐっと喉を鳴らした。


「その、薬、名前はなんと……?」

「ん? ……『YGX胃痛薬』だが?」


 それだけ言うと、部隊長は何かを察してレオスに言った。



「それ、ヤクルゴンの製品ですよ?」

「 」



 レオスの背後に落雷が落ちた。

 途端に手が震え始める。


「ま、まさか敵の開発した薬だというのか……それを私は……っ!?」


 見ると、小瓶の蓋が空いており、左手の指の間には既に錠剤がつままれていた。

 驚愕に目を見開くレオス。


「……な……なに……!? いつの間に……!?」


 レオスは咄嗟に右手で、錠剤を口に入れようとする左手の手首を掴んだ。

 凄まじい左手の力量に、右手がブルブルと震えている。

 それどころかレオス自信が大きく揺れていた。


「や、やめろ……! 俺の体はもうこれがないとダメだとでも言うのか……!? くっ……!!」


 左手の錠剤が口に近づいていく。

 部隊長はあんぐりと口を開けて、レオスを驚愕した目で見ていた。

 レオスの手はだんだんと上に釣りあがり、まるで鯉に餌をやるような高さで止まる。

 彼は、悔しさと、恐怖が混ざりあい、自らに怒りを覚えながら叫んだ。




「ぐがぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「レオス将軍ーーーーーーー!!!!!」




 ―――ごくん。



 レオスの腹部から痛みが霧散していく。

 まるで魔法にでもかかったかのような、そんな不思議な感覚を、快楽のように覚えてしまったどうしようもない体を自覚し、レオスは涙を流した。


「フフ、フハハハハハ!!!!!!」


 もはや笑うしかなかった。自分にとっては敵でしかない相手の薬で、知らぬ間に癒されていたのだから。

 これは悪夢だと、悪い夢なのだと、レオスは頭の中で反芻した。


「そうだ、私は疲れているんだ……今帰ってゆっくり休んで、この胃痛ともお別れするのだ……」

「れ、レオス将軍……?」


 幽鬼のようにゆらゆらと立ち上がったレオスは、部隊長を押しのける。

 そのまま、何も言わず、ただただ悠然と部屋を出ていくのであった。


「……おいたわしや」


 部隊長のつぶやきが、ついぞレオスに届く事はなかった。





「ただいま……」

「おかえりなさいませ。レオス閣下」


 馬車を降りて貴族街にある大きなレオスの邸宅に戻ると、早速入口でメイドが待っていた。

 彼女はレオスの上着を慣れた手つきで脱がせ、深く一礼をする。


「ララは……?」

「奥様はジョン坊ちゃまと一緒に自室にいらっしゃいます。時間上はまだ起きてらっしゃるかと」

「そう、か……」

「お疲れのご様子で」

「あぁ、私は疲れた。ララのところへ行く……」

「かしこまりました。替えのシーツのご用意をしておきますね」

「余計な気を回すな」


 何か勘違いをしているメイドを置いて、レオスは妻の自室へと向かう。

 二階、廊下の先、一番奥の部屋にあるドアをノックする。


「はぁい?」


 低い女性の声がする。レオスにとっては落ち着く音色だった。


「私だ」

「旦那様!? どうぞいらしてください!」


 ドアを開けると、レオスの妻であるララが、ベッドの上で息子ジョンをあやしていた。

 二人の顔を久しぶりに見ることの出来たレオスは、ララの横に腰掛ける。

 すやすやと眠るジョンの寝顔を見て、レオスはどこか胸の奥がスカッとする気がした。


「良く寝ているな……」

「あの、お疲れ、でしょうか?」

「……あぁ、少し、疲れた」


 レオスは、憔悴しきった顔で赤子の顔を見ていた。

 すぐにララが「それでしたら」と声を上げる。


「今日はこちらでゆっくりお休みください。どうせなら親子川の字になりましょう」

「そう、だな……それもよい」


 それだけ言うと、お腹が空いたのか、赤子がぐずりだした。

 とっさにララが「あぁよしよし」と宥め、レオスに顔を向ける。


「わかりました。ジョンにミルクをあげますので……少々お待ちください」


 それだけ言うと、ララは机の上にあった哺乳瓶を取ると、机の引き出しからある物を取り出した。


「なんだそれは?」

「最近婦人会の方で流行っているものでして、お乳が出ないなど悩ましい時に便利なので、最近取り寄せているんです」


 レオスは、今の言葉を聞いて、悪い予感がした。


「待て、それは、まさかとは思うが……ちなみに、商品名は?」


「―――はい? 粉ヤクルゴンですが……」


「 」


 レオスの表情から、全ての感情が消え失せた。



 すっと、レオスが立ち上がる。


「ヤクル……ヤク……ヤクルゴン……」

「旦那様?」





「――――ヤクルゴンンンンンンンンゥウウウウウウウウウ!!!!!!!!!!」




 レオスは狂乱しながら、部屋を飛び出した。


「……。」


 ララは絶句しながら、ストレス値が振り切った旦那の背中を、ただただ眺めることしか出来なかった。






 翌日、ロアは、イルミナティカンパニーの隠しアジトで、朝刊を読んでいた。


「……怪奇。夜中にレオス将軍が発狂しながら街を大激走……」


 記事の内容を声に出してしまう。

 ロアの感想はこうだった。


「……何してんだあいつ」


 ロアは知らない。

 ノレア=ピスティがヤクルゴン竜乳を研究した結果、製薬会社が創設され、それによりヤクルゴンは更なるステージでの活躍をしていたことを。

 そして、それでレオス=パルパが人知れず、謎に苦しんだことを、ロアは何も知らないのだった。

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