第2話「女怪盗、悪の組織と出会う」
ロナン美術館の屋上、そこで女怪盗『ティターニア』は、アメジスト色の髪を持つ謎の女から勧誘を受けていた。
「悪の、組織……?」
「そうよ。そのカッコいい手腕を、是非ともウチで奮って欲しいの」
「……ご冗談を」
そういいながら女怪盗は仮面越しベアトリーチェを睨みつける。
当の彼女はなおも余裕のある態度を崩さない。まるで絶対の自信があるかのようだった。
「その様子ではウチを捕まえに来たわけではないのですね」
「いいえ?こちらも仕事でね。出来ればその物騒な剣は是非置いて行って貰いたいわ」
「……そんな交渉に乗るとでも?」
「では、仕方がないわね」
ベアトリーチェが指を合わせて手を上げる。
女怪盗は、何かが来ると身構え、拳を握った。
「ちょっとの間、頼んだわよ―――ロア」
―――パチン。
ベアトリーチェが指を鳴らすと、突然女怪盗は自身の背後にぞろりとした気配が湧き上がったのを感じた。
「―――!?!?」
振り返れば、仮面の男がこちらに向かって手を伸ばしていた。その不気味な見た目から、ただ者ではないことが分かる。
とっさに横に転がり込んで掴みかかる手から逃れ、女怪盗はその男を睨みつけた。
月明かりに照らされ、スーツが光沢を放つ。
男は怪盗に問う。
「何故英雄の品を狙う?」
「……教えるとでもお思いですか?」
「……何故英雄の品を狙う?」
もう一度聞く、これがラストチャンスだと言わんばかりに圧をかける男に、思わず怪盗は気圧される。
しかし、男には徒手空拳の心得が無いようで、構えは滅茶苦茶だ。
自然な構えと言えば聞こえはいいが、それでは自身のスピードにはついてこれない。女怪盗はそう踏んだ。
「―――ふっ!」
狙うは首元、一撃で気絶させてこの場を退避することを作戦とし、実行する。
―――だがしかし。その一撃は首を傾けて最小限の動きで回避した男によって空を切る。
「はっや……!」
(避けられた!?)
男の方も運が良かったとばかりに、その速さに驚いていたが、むしろその反射神経こそが驚きだった。
そのまま蹴りを腹に繰り出すが、それは普通に足と腕の防御で受けられる。
(この人、ただの素人じゃない……!?)
まるで大木に向かって足を振りぬいたかのような手ごたえに、思わず飛びのいた。
「……痛ぇ」
(あ、でも普通に効いてるんだ)
やはり素人なのだろうか。女怪盗は思わず困惑してしまう。
だがしかし、痛みに呻いている今こそチャンスとばかりに、もう一度正拳を繰り出す。
「あ、ちょ、それは、無理」
(―――捉えた!)
正拳は男の顔面を捉え、たたらを踏ませる。
―――カラン。
衝撃で、顔の仮面が、地面に落ちた。
「……お?」
何が起こったんだとばかりに自分の顔を手で覆って確認するロア。
おや?と女怪盗はその男の素顔を見て何かに気づく。
「…………え? ハル様………?」
「……はっ?」
女怪盗に一撃を貰ったロアは顔の痛みに呻きながら、彼女が言った名前に驚いた。
ロアの背後にいるベアトリーチェとアンジェリカも、思わず首を傾げる。
「ハル様。なのですよね……?」
「な、なんのことかな?」
「間違いないです!ふざけないでください!」
怒り出す女怪盗は、ロアに詰め寄ってくる。
その頬には何故か涙が流れていった。
「ウチです!……ほら、思い出しませんか!?」
「……って言っても君も仮面してるし」
「はっ!」
思い至ったように自分の顔に付けられた仮面をペタペタと触ると、それを脱ぐ。
仮面の中に隠されていたショッキングピンク色のボブカットに切り揃えられた綺麗な髪と、くりくりとしたかわいらしさが際立つ男殺しなビジュアルを持つ目が現れる。
「これで思い出しますか!?」
「……誰?」
「そんなーーーーー!?」
慌ただしく取り乱すロア。その後ろで、ベアトリーチェも誰か分からずに首を傾げていた。
「私です!タニアです!」
「……タニア?」
言われて記憶をほじくり返す。すると、幼い見た目の当時13歳ほどの少女の顔が思い浮かんだ。
「「え、タニア!?」」
ロアと一緒に何故かベアトリーチェも驚いていた。
当時の13歳だった時の見た目と、明らかに乖離しており、ロアは戸惑った。
ベアトリーチェもロアと同じ心境だった。
”タニア”は、ロアの冒険パーティのメインメンバーの一人だった。
職業は『武闘家』。火力を一番出せるキャラクターで、当時の衣装はチャイナ服っぽい見た目をしていて、小さな体に良く似合っていた。
髪型も今のボブカットとは違い、後ろに結んだお団子で、今のように乙女げーの主人公もしくはギャルゲーのヒロインみたいな見た目はしていない。
それもそのはず、当時13歳だった彼女も今では立派な16歳。
ロア達が思うよりもずっと大人に成長していた。
「ハル様ーーーーーーーーーーー!!!」
戸惑いを隠せないロアの体に、ひしっとしがみつくタニア。
「―――!?」
ロアは気づいてしまった。自身の体に触れている二つの大きな柔らかい物体に。
これは、これはマズイと頭の中では警鐘を鳴らしている。いくらなんでも記憶と現状との乖離で頭がおかしくなりそうだった。
そこに。
「社長ーーーーー!!怪盗を見つけたのですね!! 今……すぐ……に」
ようやく警備員たちが現れる。
咄嗟にロアは自由になっている両手を使って自身とタニアの顔を隠した。
「なんで怪盗にとっ捕まってるんですか?」
「き、聞かないでくれ……」
ロアは情けなくて涙が出そうになった。
平静をなんとか装って、タニアに抱きつかれた果てに胴体をベアハッグのように締め付けられながら、警備員にロアは言う。
「す、すまないが込み入った事情が発覚した。痛ててて!か、館長に取り次いで貰えるように伝えにいってはくれないだろうか」
「ですが……」
「―――いいな?」
ロアが少しだけ指を開けて普段仮面に隠されていた眼光を向けると、警備員が血相を変える。
「す、すみませんでした!」
ぴゅーーーと警備員が気圧されて逃げていく。
そして、嵐が過ぎ去ったかのような静寂が屋上に訪れると、ロアはタニアが抱きついて来た時に投げ捨てられたフレイムタンをベアトリーチェに拾うように言ってから提案した。
「と、とりあえず事務所に行こうか」
「はい!ハル様!!!!!!!」
とりあえず、ひと悶着ありそうだということは、ロアは覚悟した。
「「ほんっとーーーーーーに申し訳ありませんでした!!!!!!!!」」
美術館の事務所の床で、ロアとタニアはバリー館長に思いっきり土下座をした。
いきなりのことにバリー館長は、困惑していた。
「そ、そんな顔を上げてください」
結論として、バリー館長が到着するまでの間、ロアはタニアに事情を説明した。
元々正規で売り払っていたこと、そして、それは大切に保管されていただけのこと。全ての誤解が解けたようで、タニアはフレイムタンを館長に差し出していた。
ロアまで土下座していたのは、ただ単に仲間だった身内の不始末というか、連帯責任からの行動だった。
「まさか、ウチ、そんなことだったとは知らなくって……」
「誤解が解けたのでしたらよかったですよ。それに、盗品は全て返却して頂けましたし、大切にしていただけていたようで、傷もついておりませんでしたので」
「なんと!なんと心の広いお方なのですか!?神ですか!?」
「言いすぎじゃないです!?」
その様子を遠巻きから眺めるベアトリーチェは「いい子だなあの子ー」と呑気なことを考えていた。
「とはいえ、このままお咎めなしというわけにはいきません。割られたショーケースの代金などもありますのでこれを弁償して頂かないことには……」
「そこは!弊社に!お任せください!いくらでも大丈夫ですよ!なんならハルの装備も追加で贈らせていただきますね!」
「それはそれは。なんと素敵なのでしょうか。……ちなみに占めてこのぐらいの金額なのですが」
バリー館長の取り出した明細書の中身をロアが見る。
建て替えとは言え、かなりの金額が提示されており、ロアは思わず気が遠くなった。
「是非、そちらの、お値段で、お願い致します……なにとぞ、怪盗の起訴は……」
「えぇ、取り下げさせていただきますとも。その代わり……頼みますね」
「……はい」
今まで以上に情けない声がロアから出た。
ベアトリーチェとアンジェリカは、思わずロアが不憫すぎると同情した。
「さて、これからなんだが……タニア」
一連の騒動にもケリがついて、カンパニーの一行とタニアは貴族街を降りて、barフェリーチェに向かう帰路についていた。
その道中、がっくりと肩を下ろしていたロアは、ふかーーーく溜息をすると、タニアの事を呼ぶ。
「はい、ハル様」
「ハルじゃない。その名前は捨てた。今はロアだ」
「はい!ハル様!」
「……。」
何処かでしたやりとりだなー。と考えながら、がっくりと肩を落とす。
しつこく自分はロアだと何度も主張し、偽名を名乗っている理由などを事細かに説明すると、納得したようにタニアは折れた。
後ろの方であくせくするロアを見て、ベアトリーチェとアンジェリカがクスクスと笑っていた。
「わかりました。ロア様……うぅ、呼び慣れません」
「慣れろ。それでなんであんなことをしたんだ」
「……それは、ハル様の遺産が帝国で展示されていると聞いて、ハル様が亡くなったのだと思って……」
「それで、遺品だけでも取り返そうと盗みに入ったってのか?」
「……はい」
ロアは思わず天を仰いだ。
確かに王国には誰にも何も言わずにベアトリーチェの後をついていったし、誰も自分のその後を知らせていない。
知っているとすれば王国側にある竜護の里の人達ぐらいだが、あの里の人間はそもそも王国の人間とすらコンタクトを取らない。最近になってロアが立ち上げた運送業者とやっとコンタクトが取れるぐらいになったぐらいだ。引きこもり具合は筋金入りである。
ふと、そこでロアは思い至る。
「もしかして、俺って王国では死んだ扱いになってる?」
「はい、レオス将軍あたりに暗殺されて、その遺産が帝国で取引されてるという噂があって……それで国王様が今、戦争に向けて準備していて……」
「おーーーーーーーーい!!! あっちもかよーーーーーー!!!」
ロアは王国に行かねばならぬと決意した。
そのためにも、今は目の前のことを片づけなければいけないと心に決めた。
「時にタニア。今後のお前のことなんだが……」
「はい!ロア様に全身全霊を賭けて借金を返させて頂きます!!!」
元気よく返事して、拳をぐっと握りこむ。
頼もしいが、非常にロアにとって不安な要素がまた増えた。
「そこまで気負わなくていい。……とりあえずウチの系列で働てもらうことにはなるが」
そこで、ロアの視線がベアトリーチェに移る。
その目は「こいつ、いいか?」と訴えており、アイコンタクトだけでベアトリーチェに意図は伝わった。
待ってましたと言わんばかりにベアトリーチェがタニアの目の前に躍り出る。
「―――貴女、悪の組織に興味あるかしら?」
ベアトリーチェの言葉に、タニアはそのかわいらしい目をパチクリとさせた。
「えっと、悪の組織、ですか? それさっきも言ってましたけどロア様、一体何を……」
「話を聞いてやれ」
ぐりっとロアに向いたタニアの顔を無理やり掴んでベアトリーチェに向けさせる。
ベアトリーチェは、なおも悪どい笑顔を向けて言い放った。
「アタシたちの組織はね。世界征服を目論んでいるの」
「……世界征服!?」
「あ、ちょ、こんな夜中に声がでかい……」
タニアの声は基本的に腹から全て出ており、よく響く。
しんと静まり返った路地裏にヒロインのようなかわいらしい声が響きわたって、やまびこを鳴らしていた。
内心、ご近所様に怒鳴られないかビクビクしながらも、ベアトリーチェはつづけた。
「アタシたちの目指す世界っていうのは、剣が必要ない世界よ」
「剣が……必要ない」
「そう、そのためには貴女のような人材が必要なのよ。協力してくれるかしら?」
「―――ロア様が居るなら喜んで!」
即答だった。
思わずベアトリーチェも「あれーー?」と問答無用ぶりに拍子抜けするのだった。
「こんな夜中にうるせーーーぞーーー!!」
「ひぃ!?すいませーーん!」
タニアの腹から出る声と、ベアトリーチェの全力謝罪は、夜の街に良く響いた。
ということで、世界征服を目論む悪の組織に、新しく元女怪盗のタニア―――もとい『ティターニア』が加わるのだった。
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