第8話「悪の女ボス、猫を拾う」



 ロナン城、皇女の部屋。

 外は雨が降っており、どんよりとした空模様のある日。

 ベアトリーチェこと皇女アトリーは、午前の執務が終わり、ドレスに変な皺がつかないように、お上品に座り、おっさんのような品のない声をあげた。


「あぁーーー……今日の執務終わったぁ」

「おつかれさまでした。紅茶をどうぞ」


 メイドのノレアが、さっと机の上にティーセットを置く。ほわっと出ている湯気からはアールグレイの爽やかな風味が香り、疲れて緊張していた気持ちが安らいだ。

 皇女の上層教育というのは、どうしてこうも厳しいのか、マナーというのは一朝一夕とは身につかないが、こうも覚えることが煩雑だと庶民慣れしているアトリーにとって面倒なことこの上なかった。

 文句を言いながらもちゃんと最後までやり通すだけの根性だけはマナー講師には買われているものの、やれることとやれないことが極端すぎると小言を貰うのがアトリーの日常である。


「うーん、相変わらず美味しい紅茶だわ」

「光栄です。あ、アトリー様。今日の朝刊です」

「ありがとう」


 ノレアから新聞紙を受け取り、その記事の見出しを読む。

 見出しの隣には、見たことのある仮面男の魔道具写真が貼り付けられていた。


「……『帝都騒然、乱闘騒ぎか?真昼に修道女達と怪しい仮面男の爆走チェイス』? 帝都も案外物騒なことが起こるものね」

「そうですねー」


 朝刊の見出しを他人事のように眺めて、紅茶を飲む。

 仮面男の知り合いはアトリーにとって一人しか居ないが、また何かやらかしたのだろうと、アトリーは高を括った。

 当然のように心配する様子など皆無だった。

 香りを楽しみながら紅茶を飲むと終わるのも早かった。


「ごちそうさま。……さて、今日も午後からの予定はないわよね?」

「はい。自由な時間となっております。今日もカンパニーに出勤でよろしかったですか?」

「えぇ、すぐに着替えていくわ」

「かしこまりました。カッコいい服装を見繕わせていただきます」

「よろしくね」


 言われてノレアはクローゼットの奥にある棚をどかしてクローゼットの更に奥に手を伸ばす。そこに入っているのはアトリー秘蔵のカッコいいモード系ファッションコレクション達であり、今世においてアトリーの秘宝である。

 紅蜘蛛のロングコート、暗黒蝙蝠のレザージャケット、三毛別クマのファーコートなど、どれもこれもこの世界においてはブームにならなかった品ばかり。しかし極度の中二病を患っているアトリーことベアトリーチェにとっては好みぶっ刺さりの一目ぼれアイテム達だった。


「これと、これと、あとこれを併せてみようかな……これでどうでしょう?」

「OK、着替えるからちょっと待って頂戴」


 そういうと、来ていたドレスを一瞬で脱いで、用意された衣装に着替える。

 早着替えは前世の頃からのちょっとした特技だ。


「うん。完璧ね」

「恐れ入ります」


 ロングコートにロングブーツ。ぴっちりとしたYシャツとタイトスカートで、自慢のスレンダーですらっとしたスタイルを際立たせる。

 まさに大人の女性であり、悪の組織の女ボスっぽい服装ぴったりだとベアトリーチェは満足した。

 満足げな様子のベアトリーチェにノレアは傘を差し出す。


「ではアトリー様。今日は雨が降っておりますので傘をどうぞ」

「ありがとう。行ってくるわね」

「行ってらっしゃいませー」


 そう言うと、ベアトリーチェは本棚を操作し、普段から皇宮を抜け出すために使っている、脱出用の隠し通路を出現させて、その中に潜っていく。

 残されたノレアは『この後なにして遊ぼうかなぁ』とぼけーっとそんなことを考えながら、ベアトリーチェを見送るのだった。





 隠し通路を出て街の真ん中に出てきたベアトリーチェは傘を差しながら雨の中の街を歩く。

 その口からはなにやら「ふふふ…」と声が漏れていた。


(傘を差して雨の街を行く、悪の組織の女ボス……フフフ、なかなかこのシチュエーションはカッコいいのではないかしら)


 相も変わらずブレずにそんなことを妄想しながら、路地裏に入っていく。


(こう、こうゆう時は何か特別なイベントが起こる気がするのよね……特別な……特別な……)


 妄想に浸りながら歩いていると、ふと路地裏の端っこの方にあるものが目に留まる。



「にゃー……」



「あら、捨て猫かしら?可哀想に……」


 木箱の中から雨ざらしになりながら鳴き声を上げる、子猫だった。

 子猫が濡れないように、傘を傾けながら、ベアトリーチェはしゃがみ込む。

 かなり衰弱しており、助けを求めるかのように、子猫は鳴き声を上げてベアトリーチェに向かって前足を一生懸命に伸ばしている。


(可愛い……飼いたい……あぁダメダメそんなきゅるっとした瞳で見つめたら!)


 そんな母性本能めいたものがベアトリーチェの中にふつふつと湧き上がってくる。

 気づけばすでに子猫に向かってメロメロだった。

 ふと冷静さを取り戻し、ベアトリーチェはぶんぶんと首を横に振って現実と直面する。


(って言ってもお城じゃ飼えないし、きっとロアもダメって言うだろうし……ここは悪の女ボスとして、非常な心で……ん?)


 ふと、ある考えがベアトリーチェの中に生まれた。


(―――椅子の上で猫を愛でる悪の組織のボス……カッコいいんじゃね?)


 じっとベアトリーチェは子猫の目を見る。


「にゃー……」


「……。」


「……にゃー」


「………。」


「にゃっ」





「ねえ、ロアこの子飼ってもいい?」


「ダメ」


 ヤクルゴンの執務室で、ロアは仁王立ちで言い切った。

 即答だった。

 子猫をタオルにくるみ、大切そうに抱えるベアトリーチェは、ロアに向かって憤慨した。


「なんでー!!いいじゃん子猫ーーー!!」

「誰が面倒見るんだよ。お前は城で、俺は飲食店の奥、アンジェリカは宗教上ペット禁止だろうが」

「ぶーーーー!」

「子供か!」


 珍しく態度が幼児化しているベアトリーチェに、ロアは苦戦しながらも正論で返す。

 この状態のベアトリーチェになることは稀なことで、ここまで本気で言い負かそうと必死になるのは、ロアにとっては久しぶりの出来事だった。


「やりたいやりたい!ペットを愛でる悪の組織のボスやりたい!」

「……はぁ」


 実際、確かにロアも困っていた。

 ロアも雨ざらしの中、小さな命を捨てられるほど鬼ではない。

 だがしかし、命を預かるというのは責任重大で、のちのち心の傷になることも多い。中途半端に面倒を見るという選択肢は、ロアには無かった。

 必要以上に拒絶してしまっているのは、ベアトリーチェが「自分のやりたいことだけが理由」で猫を預かりたいと言っているからに他ならず、別に飼う飼わないの単純な問題でも無かった。


 なので、妥協案をなんとか探そうと、ロアも頭をひねっていた。


「こんな時アンジェリカが居ればな」


 今日に限ってアンジェリカは「先日の件で用事がありまして」と言って午前中にそそくさと帰ってしまっていた。

 この状態のベアトリーチェを説き伏せらるのは彼女だけなので、なんの用事なのかは興味などないが、今日に至っては戻ってきてほしい気持ちで一杯だった。


「大体、俺達で飼えないんだから、誰かに頼むしかないんだぞ」

「……猫かわいいじゃない」

「そうだな。だがその人にも責任負わせるってことは考えないといけないんだぞ」

「だからって雨ざらしの中見捨てられなかったし……」

「まぁ……それは」


 ロアも同じような場面に出くわしたら同じような行動を取ってしまうような気がして、それ以上は言い返す言葉に困ってしまう。

 ただ、考えなしに拾うことはせず、ある程度の計画性を持つうえで、今まで生き物と接してきた。

 こと育てるということに関して、竜を何匹も育て上げてきたロアの右に出るものは居ない。ゆえに妥協などもっての他だった。


 そうして、ロアは一度説得することだけは諦めた。


「とりあえず、世話してもらえる人を探すぞ」

「ロア……!」

「ちゃんと里親が見つかったら感謝するんだぞ」


 そう言ってロアは、ベアトリーチェと一緒に里親探しを始めるのだった。




「……見つからないな」

「……うん」


 案の定、里親探しは難航していた。

 とりあえず、ヤクルゴンの従業員から始まり、ヤローワークの従業員、建設会社インパクトの人達も頼ってはみたが、どこを当たってみても反応は渋かった。

 雨の中、帝都の街を二人は並び歩く。ベアトリーチェの腕の中にいる子猫は、体温が暖かくて気持ちがいいのか、すやすやと呑気に眠っていた。


「流石にこの雨の中、ハマの村に行くわけにもいかないしな」

「村の人なら飼ってくれそうな人は一杯いるんでしょうけど……今日は諦めようかしら」

「諦めるにしてもどこで匿うかだが……」

「そうなんだよねぇ」


「―――あ、おーい、アトリー様ーーー!」


「……ノレア?」


 二人で歩いていると、背後から声をかけられて二人が振り返ると、そこにはメイド服を脱いで普段着で両手に買い物袋を下げたノレアが居た。

 ぱたぱたと駆け足で駆け寄ってくる。


「あ、ロア様も!ごきげんよう!」

「ノレア様。ごきげんよう。……お買い物中でしたか?」

「はい!今日はもう非番ですので! ……その子猫は?」

「えぇ、道で捨てられて居たのを拾ったのよ」

「可哀想に……でも、アトリー様に拾われてすやすやですねー。かわいぃー」


 ノレアはアトリーの腕の中で眠る子猫を見て微笑む。


「今はこの子を飼ってくれる人を探していてね。なかなか見つからなくて困っていたのよ」

「え?お城でお世話すればいいじゃないですか。私が面倒を見ますよ」

「「――え?」」


 二人して素っ頓狂な声を上げると、ノレアは買い物袋をガサゴソと漁り、缶詰を取り出した。


「実はアトリー様には黙っていたのですが……お城で猫ちゃんをお世話してまして……」

「貴女……なにしてんの?」

「あははー……アトリー様には秘密ですよ?」

「目の前に居るわよ」


 ロアに向かって「しー」とジェスチャーをするノレアにジト目を送るベアトリーチェ。

 二人の漫才に巻き込まれたロアは、フッと鼻を鳴らした。


「なんだ。なら問題解決だな」

「迷惑かけたわね」

「いや」


 それだけ言うと、安心したようにロアは肩をなでおろす。

 本当に気にしては居ないようで、ベアトリーチェは心底安堵した。


「じゃあ、この子のご飯とか、寝床とか買ってこないとですね」

「そうね。……ロアは」

「俺は仕事に戻る。二人で行ってくればいい」


 ロアが手を振る。


「うん。ありがとうねロア」

「お安い御用だ。……良かったじゃないか猫を愛でるボスが出来て」

「あ、ちょ、それはノレアの前では……!」

「ははは、じゃあな」


 そういって、ロアが立ち去っていくと、ベアトリーチェはノレアは二人して歩き出した。

 その背中を振り返って見送るロアは、小さくつぶやいた。


「俺も、あんな感じで拾われたのかな」


 元英雄は、そんなことを思いながら、雨の街の中を再び歩き出すのだった。




 後日。


「おはよう!社員たち!」

「なーーー!」

「ベアちゃんここ飲食店なんだけど!?」

「だから言ったのに」


 肩に猫を乗せたハイテンションなベアトリーチェが、アッシュに怒られたのは、言うまでも無かった。

 こうして悪の組織に、新しい仲間『チピ』が加わったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る