第2話「元英雄、やりすぎる」
ベアトリーチェの朝は早い。
「アトリー皇女殿下。朝の紅茶をお持ちしました」
「ありがとう。……うん。今日も良い一日になりそうね」
寝室の窓際で朝の優雅なティータイムを営むアメジストの髪色を持つ麗人。
ベアトリーチェ、もとい本名アトリー=ロナンにとって、朝の紅茶というのはまさに至福の時間なのだ。
窓から吹き抜ける柔らかなロナン帝国の風、そして眩い太陽と、ハーブの香り。
一日を始めるにはこのルーティーンは欠かせないものとなっていた。
「今日の予定を教えて頂けるかしらノレア?」
「はい」
ノレアと呼ばれたメイドの女性はポケットからメモ帖を取り出す。
幼い頃からずっと自分の世話をしてくれていた優秀なメイドで、子爵の令嬢の出の彼女はアトリーにとって信頼における数少ない友人だ。
「この後、朝食後、街の視察を予定しております。そのあとはご自由に……とのことです」
「分かったわ。ありがとう」
「……あの、アトリー様。あまりお気を落とさないよう……」
「レオス将軍との縁談について?それとも、お父様の期待に応えられなかったことかしら?」
そう聞くと「そのどちらも」という回答が返ってきて、アトリーは「ふっ」と笑った。
(まぁ、どのみち婚約破棄イベントは回避出来ないのよね……)
というのも、アトリーは転生者だった。
前世では会社員として働いており、トラックとの接触事故で死亡して、気づけば自分がやっていたゲームの脇役皇女アトリーとして生まれ変わっていた。
レオス=パルパは作中のキャラクターで、大人の色気が存分に盛り込まれた作中屈指の(色々な意味で)人気キャラ。
ジャンルがRPGの作品で、しっかりと作りこまれており、当時色々な意味で話題になっていたため、隅から隅まで全部やったことがある。
結果として、かなり賛否両論を呼んだ作品で、一部では鬱ゲー扱いされている……前世でやっていたアトリーもなかなか後日寝込むほどのショックを受けた記憶がある。
(まぁ、もうそんなゲーム知識は必要ないけれど……)
どのみち今はストーリーも終わり、結果的にレオスとの婚約破棄も完遂。
今はその先の人生を歩まなくてはならないというのが、今のアトリーにとっては重要だった。
だから、ノレアの問いに関してはこう応えることにした。
「私、今は別にやりたいことがあるから。結婚しなくてよかったわ」
「そうですか。それは……よかった……のでしょうか?」
「どのみちタイプじゃないから」
「あはは……」
ノレアは苦笑し、アトリーもつられて笑う。
そしてアトリーは紅茶にもう一度口を付けると不敵な笑みを浮かべた。
(今は、イルミナティカンパニーの方が重要だしね。……なんたって前世から憧れていた悪の組織のボスになったのだから!)
ふふふ……と謎の笑みを浮かべるアトリーに、長年連れ添ってきたメイドのノレアは「また何か企んでる……」と悪い予感がするのであった。
「さて、着替えの用意を致しましょうか」
「そうね。よろしく頼むわノレア」
「はい。腕によりをかけさせていただきますね」
そういうとノレアがアトリーのアメジスト色の髪に手をかける。
「ふふ、相変わらず綺麗な髪色ですよね」
「ノレアのお手入れのおかげね」
「ふふ、ふふふ……」
「の、ノレア……? なんか肌寒いわ?」
後ろから何処か悪寒がする笑い声が終始絶えず、アトリーは何故か緊張しながら着替えをするのだった…。
「な、なにかしらあれは……?」
馬車に乗って市井に出ると、異常な街の雰囲気が出来上がっていた。
みな、街の一角にあるある店の周りで列を成していた。
まるで前世で見た限定版のグッズを朝市で買おうとする人だかりのごとき様相だった。
「アトリー様知らないのですか?最近お城の方でもお出ししている竜乳と言うものを売っているお店ですよ」
「そうなの?確かに最近牛乳がなんだかいつもと違うなと思ったけれど……」
「ええ、お気づきになられなかったですか?」
「まぁ……それにしても城で出すような高級な飲み物にあんなに人だかりが出来るとは思わないのだけど……」
「え?あれはかなりお安い品物ですよ? 牛乳400ガルドに対して、竜乳130ガルドですから」
「安い!?」
このロナン帝国に置いて、牛乳というのは決して買いやすいものではない。
というのも酪農がまだ発達しきっておらず、帝国はレオス将軍が軍拡主義を掲げるせいで、農業面に関しては後回しにされているからだ。
そのくせ年貢も多く、それが結果的に都市に人口が集中する原因にもなってしまっており、農村というのが廃れて食料不足が、深刻な社会問題になっている。
そんな世界において、全く新しく、さらに安い製品が出来たというのは衝撃的なことだ。
一体どんな傑物がそんなことに踏み切ったというのか、アトリーは戦慄した。
「そうですよねぇ……牛乳に比べて質も良く、保存も効きやすく、更に美味しいとくれば誰だって欲しいですよね」
「貴方もそうなの?」
「えぇ、私の家は、毎月定額を払って毎週ヤクルゴンが届くようになっていますから」
「ヤクルg……なに? ていうかサブスク……?」
「ヤクルゴンレディーというのが来て毎週届けに来てくれるんですよー。いやー本当に美味しいからラッキーですよー」
「ヤクルゴンレディー」
聞いている限り、アトリーの世界にあったある会社が思い浮かぶ。
いやいや、ここは異世界だ。そんなことはないだろうと思うが、一つだけあることを思いついた。
(もしも、この世界に別の転生者がいるのなら……?)
だというのであれば、悪の組織として勧誘せざるをえない。
その高い経済力こそ、今のイルミナティカンパニーには必要なのだ。
それに恐らく元居た世界からやってきたというのであれば、あちらの知識はこちらの世界に取っては毒も同じ。
ましてロナン帝国で好き勝手やらせてしまうと最悪帝国がひっくり返るなんていうこともあり得るのだから、皇女としては注視せざるを得ない。
なんたって、悪の組織と皇女の二足の草鞋なのだから。
そう思って、アトリーは店の方に向かうように馬車に伝える。
そして店の前に行くと、そこではやはり行列を成しており、店内の様子は伺えなかった。
ただ、お店を出ていく客の手には小瓶の束が抱えられており、みんな一様にほくほくとした顔をしていた。
そしてお店を眺めていると、一つ、アトリーは気づいた。
(あれ?この建物、裏にフェリーチェがある建物じゃ……)
イルミナティカンパニーの隠しアジトのあるbarフェリーチェの建物がある場所だ。
何度も通っているから覚えているのだが、いつの間にか大通りから見て表側にあった道具屋の場所がいつの間にやら別の店舗に変わっている気がした。
「失礼」
アトリーはお店の内情だけは把握しようと店の中に入ろうとして……。
「アァーーーー!? ナニ割り込みしようとしてんだゴラァ!?」
「ひっ!?」
普通に並んでいた客に怒られてしまった。
街の人間には一応これでも皇女としてそれなりに認知されていると思っていたのに、当てが外れてしまった。
というか、全員がヤクルゴンのためなら全力で手に入れようと躍起になりすぎており、もはやアトリーが何者なのか眼中にない。
「ヤク……ヤク、欲しぃ……」
「早く、早くしてくれぇ……もうヤクが欲しくておかしくなっちまうよぉ……」
こ、この人達ヤバい。と全力でアトリーの体が警鐘を鳴らしている。
まるで危険な薬物にでも手を出してる人達の如く顔が逝ってらっしゃる様子に、ただただドン引きしていた。
「一般の方には美味しすぎますからねぇ……仕方ありません欲しいのでしたらおとなしく並びましょうアトリー様」
「その必要はございません」
列に並ぼうとするアトリーたちに、女性が声をかけてきた。
その女性は、金髪のロングヘア―をしており、どこか見覚えのある風貌の女性だった。
「―――あ、アナタ!?」
「アトリー皇女殿下。ご無沙汰しております」
「どなたですか?」
隣のノレアが問いかけてくると、アトリーは言動に困ってしまう。
アンジェリカの本名は知ってはいるが、どっちを言おうにも今は角が立つ。
何せ、目の前のアンジェリカの本業は『聖女』であり、本名を出せばそれだけで市井に影響が出てしまうやんごとなき立場の人だ。
そして悪の組織で名乗っているアンジェリカという名前で呼んでいいのかは完全に彼女が聖女なのか悪の女幹部として此処に居るのか分からない以上わからない。
「こちらの店舗で臨時支店長をさせて頂いております。アンジェといいます。皇女様とは久しい間柄でして」
「え、えぇそうなのですわねおほほほ!」
結果的にアンジェリカは、本名でも偽名でもない更なる偽名を名乗った。
余計にアトリーには「え!?どっち!?どっちの立場!?」という混乱が起きたが、アンジェリカは知る由もない。
「VIPの方にご案内しますので、こちらへどうぞ」
「「VIP!?」」
聞いたことない言葉にノレアが目を輝かせ、アトリーは聞いたことある言葉に驚く。
なんだ、何が起こっているのだろうかとアトリーは内心ひやひやとしていた。
裏手に通されると、裏口から建物の中に入る。
「ここから先はアトリー様だけお願い致します」
「あ、はい分かりました。アトリー様ファイトですよ」
「え、何を頑張ればいいの?」
二階建ての建物で、内装は普通。
そこからアンジェリカに連れていかれるままに、二階に上る階段を上っていく。
普段ベアトリーチェとして活動している時と違って、今はドレス姿で、足元が見えずらい。
「あの、アンジェ……一体、これはなんのアレなのかしら?」
「しーーですよ」
秘密、ということなのだろう。
ということはイルミナティ―カンパニー絡みの案件ということなのだろう。
なんだなんだ私に黙って面白そうなことをしているじゃないかと、内心アトリーはワクワクしていた。
二階の執務室と立札に書かれた部屋に通されると、そこには予想通りの人物が居た。
「やぁ、アトリー皇女殿下」
「ロア」
そこには全身黒で揃えたスーツを着ている仮面の男、ロアが居た。
彼はソファに座って足を組んだ状態でアトリーを迎えた。
部屋の奥には、イルミナティ―カンパニーの隠しアジトのレイアウトよろしく長机と回転する椅子が置いてある。
やはり、フェリーチェに元々置いてあった家具類と同じものだ。
「じゃあ此処が新しいアジトってわけかしら?」
「barフェリーチェの奥にある隠しアジトはそのままだぞ。家具類は似たものを発注して造らせた」
「……随分と羽振りがいいわね」
「これでも忙しくてね。やっと余裕が出来たところだ」
フッとニヒルに笑いながら言うロア。
どこか哀愁が漂っており、ここまでの苦労を感じさせた。
「それにしても私に内緒でこんな面白いことをしていたなんてね」
「すみませんベアトリーチェ。何分本当に大変だったものですから」
「アンジェが謝ることはないわ。……それで?首尾はどうなっているのかしら?」
平静を装いながら、奥のチェアに座り、足を組んでいつものように問いかける。
アンジェリカもロアの対面のソファに座る。
内心、ベアトリーチェは動揺で背中が冷や汗だらけだった。
何をやらかしたんだろうかと疑ってしまう。
「とりあえず、この国の牛乳業は終わりだ。もうどこも牛乳を買いはしないだろう」
(なんですってーーーーーー!?)
一国の事業一つを、たった一か月あまりで壊滅させたイルミナティーカンパニーの下っ端に何故か最高幹部が頭を抱える。
(いや牛乳業界一つなくなったところで影響は……いやあるなぁ全然ありそう。とりあえずこれってロアの利益独占になってるし、牧場間で利益分散してたのが一気に集中……)
それ以上は胃が痛くなりそうで、考えるのはやめておいた。
この国の皇女ではあるが、悪の組織の女ボスなのだと、ボロが出て社員に失望されないように不敵に笑ってみせる。
「そ、そう。よかったわね」
「これもベアトリーチェが教えてくれた知恵のおかげだ。特に訪問販売はかなりの利益が出た」
「アタシだったーーーーー!!」
思わず頭を抱えるベアトリーチェ。
前に、ロアとアンジェリカに対して知識マウントを取るためにべらべらと経済知識やら販売方法などの話をしたことがあり、それがこんな結果になるとは夢にも思わなかった。
この部下の優秀さが今は何故かとても恨めしく思えた。そもそも転生アドバンテージがあろうが人間性能が二人とは段違いなのだが。
「どうした頭を抱えて」
「……なんでもないわ。これでカンパニーの資金難は解決でいいのよね?」
「あぁ……だが別の問題も見つかってな。それでベアトリーチェを呼んだというわけだ」
「呼んだ? ―――あなたまさか!?」
「あぁ、君のところのメイドっていいところのお嬢様だろう?良い顧客として格別サービスを付けたら喜んでウチに協力してくれたよ」
どうゆう経緯を使ったのかは全く持って謎だが、ノレアまで懐柔されていたそうだ。
一体どこまで想像を超えた活動をしたのかはベアトリーチェの知るところではないのが、なお恐ろしかった。
流石は英雄。優秀すぎるのも考え物だ。
「で? 私が呼ばれたのはどういった要件なの?」
「ではこちらをどうぞ」
アンジェリカが机の上にバインダーを置いた。そこには一枚の報告書と書かれた紙が挟まっていた。
「……『輸入禁止案 品目 竜乳』……?」
どこで入手したのだろうか帝国の議会で出された案らしく。提出者はレオス=パルパだ。
彼は帝国軍所属の将軍。まず政界に足を踏み入れたというのはベアトリーチェにとって初耳だった。
「軍属将軍が政治議会に議題案を提出ね。随分と思い切りがいいわね彼」
「目下悩みの種ってのはこれだ。これが英雄たる将軍さまのパワープレイで可決されればウチは帝国では商売が出来なくなる」
「ちょっと待って。普通に商売しているのであればこんな議題が出てくるわけないわよね」
「……。」
「おいこら目を反らすな」
ロアが諦めたように溜息を吐くと、ソファにもたれかかって観念した様子で話始める。
「竜護の里はジェスティ王国の北側にあるザエン山岳の頂上に位置していてな。自然とその周辺の村々からドラゴン達の餌を購入している。その過程で竜乳の売上を王国金貨にエクスチェンジしてから乾草などを買ってると……」
「分かった。つまりは帝国金貨が外国に流出してるのね?」
「それだけなら大したことはないが、深刻なのは金の流れを辿られることでな」
「最悪、竜護の里にまで事が波及すれば……」
「あぁ、軍拡派のレオスのことだ。事を荒立てて王国への敵対感情を煽る可能性がある」
「結構な大問題ね」
それだけ聞いて、ベアトリーチェはロア達が抱えている問題の大半が見えた気がした。
つまりは、自分に求められているのは、政財界を動かすだけの伝手が欲しいということだろうということは容易に想像がついた。
「アンジェリカ。アナタではどうにかならなかったのかしら?」
「あら、ベアトリーチェ。私に議会をどうにかできるだけの力があると?」
「ありそうーーー」
「買いかぶりですよ~」
実際はおそらく出来るのだろう。彼女の本業のことを考えれば当然だと言えた。
なんたってこの世界の一大宗教『ミシリス教』の『聖女』ともなれば全世界経由でどうにでもなるというものだ。
大聖堂もあるこの国においてもその求心力は絶大な力を発揮するだろうが、彼女は今は悪の組織の女幹部という立場で居たいのだろう。
ベアトリーチェは試されているのだろうかと溜息を吐いた。
相も変わらず貴族学園に居た頃からの知り合いだが底が見えないのがアンジェリカの怖いところだ。
「いいわ。ケツを拭いてあげるわよ。可愛い我が社の有能社員の頑張りに報いないとね」
(決まった……!今のは余裕ある悪の組織のボスらしく、そして上司として理想ムーブ!完璧ね!)
などと考えなしに、安請け合いをする悪の組織のボスなのであった。
「それで?どうするつもりなんだ?暗殺するなら準備があるから早めに言ってくれ」
「待った待った!そんな物騒なの余計に足がつくじゃない!」
「冗談だ」
「割と本気で言ったわよね……? 私怨もりもりに籠ってるじゃない」
「バレたか」
ましてや相手が過去に婚約者を寝取った憎き相手ならなおのことやりそうで困る。
場を一度整えるために、ベアトリーチェは咳払いを一つすると、部下二人は居住まいを正す。
「要はお金の流れが正常になればいい話なわけね。なら簡単な方法があるわ」
「「それは?」」
「―――ワタシたちが帝国内の村おこしをしましょう」
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