棲
零
第1話
賃貸住宅はペット不可
それが常識だった時代もあるというのは、今となっては驚きしかない。
最早歴史の教科書で取り上げられてもいいくらいだと思う。
時代の流れと共に、人間の生活は大きく様変わりしている。
もちろん、国や地域でもそれぞれ違う。
そこに時の流れが加わればなおさらだ。
昔は当たり前に各家庭にあった固定電話だって、今となっては貴重品。
公衆電話はまだ辛うじて都市伝説を引きずりつつ街角に残っている。
多くは緊急時にしか使われないから、緊急時以外の使い方を知らない人も多くなった。
当たり前が当たり前じゃなくなるのにそう時間はかからない。
そうやって時代は流れていく。
住まいの様相もどんどん変わって、今は個人で家を建てる人はそう多くない。
デメリットの方が大きいからだ。
特に雪国においては、うっかり自分で不動産を持った日には冬場の管理に手間がかかりすぎる。
燃料代も、除雪の手間も、集合住宅の方が楽なのだ。
住人が若いうちは良いけれど、年を取ってからも住み続けるならことによっては命にかかわる。
昔はそうして除雪の際の怪我や事故も毎年のようにあったという。
その当時からも、高齢になると逆に集合住宅に住み替えるという方法もあったと聞く。
寒い地方ならなおさらだ。
いかに外壁が頑丈になったとて、月日と共に劣化は免れないし、その分熱は逃げる。
集合住宅のように縦横に部屋が連なれば熱量をお互いにカバーできる。
逃げる熱も少なくて済む。
更に古い時代の長屋ほどではないとしても、挨拶を交わす程度の交流を厭わなければ、それなりに暮らしていけるし、その交流そのものが脳の老化を防ぐことにもつながる。
中には集合住宅間でバスを出し合って時々会合のようなものを開くところもある。
昔は戸建てを持つことがステイタスだった時代もあったけれど、今はいかに良い集合住宅に住むかということが逆にステイタスのようになっている。
部屋自体は豪華じゃなくても、生活そのものの豊かさ、食べ物、飲み物、着るもの、触れるもの、配置するもの、そして、心の豊かさに人々は幸福の度合いを預けている。
箱より中身、というわけだ。
そして、幸せな生活を考えたときに多くの人間が意識するのは共に暮らす存在。
それは人間であっても、そうでないものであっても重要だと言える。
最初の頃、最も、江戸より昔の話になれば定かではないけれど、比較的近代に近いところで言えば、少なくとも人間以外の共存者は煙たがられている、あるいは、不可、とされていたと聞く。
そのころにはアレルギーも盛んにあったようだし、確かに家も傷む。
それは今でも大して変わらないけれど、科学医学の発展に伴って対処法が次々と編み出され、ほぼ問題にならないレベルになっている。
むしろ、そもそも部屋についているということが利点になりつつある。
その付属物がつくようになった当初は猫が有名だったと聞く。
犬は人につき、猫は家につくという言葉通り、猫は自分の住処を変えることを好まない。
そして、当時は犬ほど猫の管理を公がしていなかったから、野良猫も多く、多頭飼いの崩壊や捨て猫などの問題もあって、保護活動も盛んだったとか。
その保護者に負担がかかっていたことも確かなのだ。
その活動の一環としてもとられたのが「猫と住める賃貸」というわけだ。
一緒に住んでみて、相性が良ければ住み続けることが出来る。
また、関係がうまくいけば、他所の部屋に一緒に引っ越すことも可能だったと聞く。
加えて言えば、もし相性が良くなかったときは部屋ごと引っ越すことも可能というわけだ。
一度飼ってしまえば取り換えるとか、返品するとか、そういう対応が聞かない存在であればこそ、相性は大事であることは明白だが、それをはかりかねるというのもまた明らかなのだ。
同じ集合住宅の中でいろんな猫がいて、それぞれの部屋で実際に生活してみる。
そして、相性のいい猫を見つけてそのまま住む、ということが可能だったわけだ。
その方がお互いに幸せであることは想像に難くない。
猫の気持ちは、想像するしかないからだ。
そのシステムは現存している、と、言っていい。
と、いうよりも、多分、当初の予想とは違った方向へ進化したというべきか。
はたまた、ありえないジャンルとの融合と言うべきか。
「なるほど、では、この部屋には落ち武者の霊が出るということですね」
「はい。大変寂しがりなのですが、内気なもので、あまり姿は見られないかもしれません」
「当時のこととか、聞くことは可能でしょうか」
「彼の性格を考えてもまずは慣れて頂かないと」
「気難しいとかは」
「それはないです。ただ、内気なだけで」
「なるほどなるほど」
「気難しくはありませんが、くれぐれも彼を傷つけるような行為は避けてくださいね。彼らにもきちんと人権がありまして、」
「もちろんです。絶対に大切にすると約束します」
彼は目を輝かせて頷いている。
これは決まるなと僕は思った。
そもそも、人類の歴史は長い。
今日日、いわくのない場所なんかない。
事故物件などという言葉も死語に近い。
人の死んでいない土地も無いに等しいと思う。
だからこそ、僕たちはそういう土地を避けるのではなく、積極的に彼らと交渉し、共に生きることを選んだ。
それは人の霊に限ったことではないのだけれど。
「あ、ちなみに、他の部屋にはどんな霊が?」
ええと、と、僕はそのアパートの部屋の一覧を出した。
「今空いているお部屋で入ることが可能なお部屋ですと、猫又と、忍者の霊と、ピクシーと同居できます」
わお、と、彼は分かりやすい感嘆の声を上げた。
「でもまずは、やっぱり憧れの落ち武者の彼とご対面したいなぁ」
彼が頬を紅潮させてそう言った時、部屋の空気が和らぐのを感じた。
今は姿を隠しているけれど、これは仲良く酒を酌み交わす姿を見られる日も近いんじゃないかと僕は思った。
棲 零 @reimitsuki
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