KAC20242 ご要望は何でしょう?

霧野

眺めの良い部屋


 日曜の夜。僕は大きなため息を吐いた。

 本来この店の閉店は18時。で、今は18時47分。

 お客さんの都合如何では時間通りに閉店できないことは仕方ない。でも、今日の残業はいつもより長めだったし、何よりすごく疲れた。


「うぃ、お疲れ。大変だったみたいだな」


 先輩が冷たい麦茶を振る舞ってくれる。芳しく香る琥珀色の液体を湛えた白い紙コップを、僕はありがたく受け取った。たとえ来客用に淹れた麦茶の余りであっても、疲れた体には嬉しい。

 一気に飲み干すと、先輩はすぐさまおかわりを注いでくれた。


「あざまっす」

「だいぶヘバってんな。結局、内見何件行ったん?」


 あ〜……と指折り数えて記憶を辿る。


「今日だけで19件ですね」

「マジか! あのペースでそりゃキツイわ」

「金曜からだと45件…かな? もう覚えてないっす。資料見ればわかりますけど」

「いや、いいって。恐ろしくて正解を知りたくない」

「僕もです」


 先輩がここまでビビっているのは、金曜の夕方からこの時間まで僕が担当した客が、たった一人だからだ。

そう、たった一人の客が2日半かけて自社・他社物件計45件を内見したのである。

 少なくともうちの店舗では、これは異例の多さだ。


 普通、物件の内見というのは、来店したお客様からのご要望を元に物件をいくつか選び、実際に見て回る。データや画像だけではわからない、建物の雰囲気や周囲の環境などを確認し、そこで生活するイメージを掴むためだ。

 一度に見るのは大抵3〜5件程度。気に入ったものが無ければ、店に戻り別の物件を検索してまた内見するのだが……

 今回の僕の担当客は、これをみっしりマンツーマンで2日半。今日の午後なんて、店に戻るどころか休憩さえ取れずに歩き回ったのである。


「流石にもうご紹介できる物件が無くて……」

「だよなぁ」

「月曜に物件の更新があると言ったら、明日の朝イチでご来店されるそうです」

「げえっ! こっわ…」


 僕は2杯目の麦茶を飲み干した。足は棒だし、いくら飲んでも喉の乾きが癒えない気がする。空腹もとっくに通り過ぎてしまったのか、食欲も湧かない。

 思わず天を仰げば、なんの面白みもない白い天井とありきたりな蛍光灯の眩さが僕の目を刺した。目の周りを揉みながら、僕はため息とともに愚痴を吐く。


「なんか、ご要望も曖昧だし……内見中の感じもな〜んか違和感あるっていうか」

「違和感?」

「最初は気づかなかったんですけどね、なんかフワフワしてるような…」


 先輩に促され、僕は感じたことを頭の中でまとめてみた。



 客は30代半ばの女性。なかなか顔立ちの整った真面目そうな人で、最初はラッキーと思ったくらいだった。

 探す範囲がごく狭いだけで、家賃や築年数、間取りや日当たり等へのこだわりは無く自由度が高かったので、すぐに見つかるだろうと予想していた。

 ところがいざ内見してみると、部屋の様子や水回りをざっと眺めてはみるものの、「悪くはないんだけど……」と言いつつなかなか納得しない。

 何件も回るうちに、どうやら窓の配置にこだわりがありそうなのがわかってきた。ところが、風通しや窓からの眺望など案内しても、全く話に乗ってこないのだ。


「もう、お客さんが求めてるものがわかんないっす。明日が怖い……」

「明日もつきっきりじゃ辛いよなぁ。うちも仕事にならないし……よし、今まで回った物件全部見せてみな。お客さんのニーズが絞れるかも」


 僕が物件の資料を集め始めると、先輩はそれらを順に机の上に広げて並べた。

 物件の情報は全てデータベースで共有され、お客様にはタブレットでご案内している。同時に紙に出力したものもちゃんと保存されており、年配のお客様などは紙の方を好まれる方も多い。


「俺もさ、今日は大変だったよ。担当した若いお嬢さんが可愛くてさ」

「え、ラッキーじゃないっすか」

「まあ、だからこそソッコーで着いたよね」

「動機が不純」

 先輩らしくはあるけど。おっさんが来店すると平気で目ぇ逸らすもんな、この人。


「で、お勤め先が不動産建築の会社だって話になってさ、『こりゃ、変な物件ご案内できませんねぇ』なんて言ったわけ」

「はあ」

「そしたら『他業種だったら変な物件案内するんですか?』って」

「ああ、まぁ……」

「ニコニコと可愛い子だったのにさ、急に真顔で。俺ビビって泣きそうになったわ」

「いや、泣きたいのは向こうじゃないかと。真面目に部屋探してるんだから」

「しかもさ、『会社の借り上げなんで、総務の審査が入りますから』って脅されて」

「脅すというより、警戒されてますよね。本社に直でクレームされないだけむしろラッキーでしょ」

「結局、他所で探すって断られちゃった」

「自業自得ですね」

「軽い冗談のつもりだったのにさ。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……」


 面倒な視線を感じたので、僕は目を逸らした。顔を背けて淡々とファイルを繰り、資料集めを続ける。


「そんな横目で見てきても言いませんよ。ほんとそのネタ好きっすよね。誰にもウケないのに」

「………こぉんな世の中じゃ〜♪」

「だから歌っても言いませんってば」

「ポイズゥン!」

「資料揃いました」



 先輩はしばらく資料を見比べると、タブレットでその近辺のマップを開いた。今日訪れた物件にマーカーで印をつける。


「その客、窓の位置を気にしてるって言ったよな」


 物件の位置と間取りを一件ずつ見比べて、窓のサイズに合わせた幅の線を外に向けて引いていく。さまざまな太さの直線がマップ上に入り乱れた。


「ほら。こうして見ていくと、部屋のどっからか、このあたりが見える物件なんだよ。ベランダや窓、風呂やトイレの小窓なんかから」

「……ほんとだ」


 先輩は最も線が集中しているあたりを指先でぐるっと囲んだ。


「この辺の建物、もしくは特定の部屋が見える物件に当たりつけて探してるんじゃね? 今はネットである程度情報拾えるし」


 「うわっ!」

 思い当たることがあって、僕は思わず叫んで両腕を掻き抱いた。


「その方、何度かその部屋の上の階とか隣の部屋は空いてないかとか、聞いてきました!」

「やっぱりか……この辺は住宅街で店とか無いからな。おそらく個人宅を見張るのが目的」

「というと、もしや探偵?」

「いや、探偵ならもっと効率的に探す」

「待って」

「おそらく」

「やめて」

「ストーカー?」


 ゾゾゾゾッ…と一気に肌が粟立つ。


「ひぃぃぃぃ! 無理無理無理無理! 怖いっす。そんなの聞いちゃったら、内見の案内なんて出来ない!」

「実際見てみたら、木とか看板が邪魔になって外が見えなかったりするしな」

「いやああああ!」


「大丈夫。俺に考えがある」


 先輩は僕の肩にポンと手を置いて、爽やかに笑った。

 さすが先輩、頼りになる。心にふわっと温かな風が吹いた気がする。


「この辺りの物件はほぼうちの自社物件だから、居住者はすぐわかる。まずストーカーにはいい物件見つけてやって、その条件からストーキング対象を割り出して、『あなた狙われてますよ』って教えて引越しさせようぜ。これで、営業成績2件分ゲット」

「いや、あんたが一番こえーよ。なんすか、そのゲスい思考回路」


 心の中に一気に木枯らしが吹いた。


「俺の心の内見、しちゃう?」


 憎ったらしいドヤ顔のせいで、木枯らしがブリザードに変わった。


「絶対事故物件じゃないっすか。お断りします」

「……っポイズゥン!」

(しね)



 ああ、余計に明日が怖い。どうしても、僕が紹介した部屋の窓から彼女がじっと外を見張っている光景を想像してしまう。

 ストーカーの相手なんてヤダヤダ。どうかウザクソ先輩の見立てが誤りでありますように。


 机の上に散らばった資料を片付けながら、「他店舗への異動願い出そっかな…」と思い始める僕なのだった。




終わり

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