帰巣本能
小狸
短編
「あいつらを殺そう」
心の中でそう思った時、気が付いたら口に出していた。
ある何でもない日の、正午の話である。
いつものように、食費を抑えるために、家の床でカップラーメンを食べていた。
26にもなって仕事は何をしているのかと思われるかもしれないが、僕は定職についていない。
かといって、フリーターでもない。
一人暮らしの、引きこもりのニートである。
こうなったことには、色々と理由があるが、一番は精神病ということが大きい。
テレビのニュースで、こんな事件が流れていた。
かつていじめられていた青年が、成人式に出席し、いじめっ子を包丁で刺して殺害したという、凄惨極まりない事件だった。
死者は3人、重傷が2人、軽傷が2人。
恐らく標的を殺害した後も、他のいじめグループに所属していた者達を殺そうと思ったのだろう。駆け付けた警官によって逮捕され、精神鑑定がなされている最中だということだった。成人式ということもあって、加害者の青年は実名報道されていた。
それを見て、すぐさま僕はネット上でその事件を検索した。
すると、まあ、ニュースのコメント欄やXの投稿などには、阿鼻叫喚の様相を呈していた。いじめられた側擁護派、いじめた側擁護派、いじめられ側精神病派等々、第三者が多者多様に好きなことを好き放題言っていた。
流石は日本人といったところである。
火のある所に、希死念慮を持つ蛾のように寄って来る。
「これいじめた側も悪いだろ」「いや、何年も前のいじめをいつまでも引きずっている方が悪い」「自分の人生が上手くいかないのを、いじめのせいにしているだけ」「だからって殺すのは良くない」「じゃあどうすれば良かったわけ?」「当時の教育委員会は何してたんですかね~」「あーあ、これ当時の担任とかもしょっぴかれるんじゃね」「それはないだろ、殺しは殺し。犯罪をしたのはいじめられた側だ」「いじめは犯罪じゃないのかよ」「それとこれとは別」「人生辛かったんだろうなって思う。私は、いじめられた子の気持ちが分かるな、三十になった未だに忘れられないもん。私を無視した子たちが不幸になれって思ってる」「隙あれば自分語り乙」「これ加害者の両親はどうすんだろうな。自分の子がいじめられて、挙句犯罪者になって、可哀想」「いじめられた件に関しては、そいつは悪くないだろ」「何? 同級生? 実際に居た訳じゃないのになんで分かんの」「そうそう、いじめられた側にも原因があるかもしれないし」
等々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々々。
言いたい放題言っている中、僕は記事の中の「復讐」という文字を見ていた。
どろり、と。
自分の中で、ずっと抑圧していたはずの感情が
僕もかつて、いじめられた者だった。
暴力の伴ういじめだった。
しかし彼らは、僕をいじめている自覚などなかったのだと思う。
ただ、自分より下の人間が欲しかった、僕が下にいて欲しかったのだ、と思う。
そのせいで自分の自信という自信が打ち砕かれ、何も気力がなくなった。
何も、頑張れなくなった。
何とか高校まで通ったものの、うつ病と診断されて中退し、自殺未遂と入退院を繰り返しながら、26まで生きている。
家族には、腫れ物として扱われている。
理想の高い両親だった。
きっと、自分の子はいじめに縁がない者と思っていたのだろう。
普通に育ってほしかったのだろう、と、今なら思う。
親に迫害されなかっただけましだろうか。
一人暮らし先を用意され、そこに隔離され、ほぼ絶縁という状態の中、生活保護を受給して生きている。
子ども部屋おじさんは回避しているけれど、実際は同じようなものだ。
もう僕も26歳である。
毎日自責と自罰の念と、希死念慮の中生きている。
果たしてそれを生きていると言って良いのかは、微妙である。
自分は生きていて良いのか、自分みたいな人間は死んだ方が良いのではないか、国民の血税を使って生きている価値はあるのか、周りの皆は仕事をして一所懸命に頑張って生活しているのに自分はどうして皆と同じようになれないのか。
そして。
僕から日常と普通を奪ったいじめっ子たちに対する復讐心も、僕の心の奥底の蓋付きの瓶の中に保存してある。
中には、あらゆる負の感情を腐敗するまで煮詰めた、どろどろの禍々しい液体が巣食っている。
ふと。
その蓋が。
開いた音がした。
そうか。
殺せば良いんだ。
幸い、加害者たちの生活圏は把握している。
今どこに住んでいるかまでは分からないけれど、記憶力だけは良い、彼らの家がどこにあるのかは、きちんと覚えている。
もし本人たちがそこに住んでいなくとも――加害者たちの家族に危害を加えることができれば、殺すことができれば。
間接的に彼らを不幸にすることができる。
僕と同じにすることができる。
そう思ったら、行動は早かった。
思い込んだら行動は早い。
僕は一人暮らし先を出た。
いつもは外出して人とすれ違うだけでも悪寒が走る程に社会不適合だけれど、今は違った。
少し
そのまま、加害者の家まで着いた。
広く大きな家だったことが、僕の
表札には、主犯格の加害者の苗字が書かれていた。
「…………」
恵まれやがって。
選ばれやがって。
幸せに包まれやがって。
彼が主犯格になって、小中学校時代、僕をいじめていた。
殴って、蹴って、
だから、僕も、同じことをしよう。
きみの全てを、踏み
僕は宅配便の業者に
そして出てきた女性を、そのまま刺した。
母親だろうか、良く分からない。
まあ、誰でも良かった。
眼は合わせるのは苦手なので、合わせなかった。
コミュ障なのである。
喉を掻っ切ったので、女性はもの言えぬまま、倒れた。
じっとりと血が、女性の服を濡らした
その濃度は。
僕のこころの瓶に入っていた液体と、少し似ていた。
令和6年3月3日の、午前11時の話である。
(了)
帰巣本能 小狸 @segen_gen
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