ちなみに和室はたくさんあります。
扉を抜けて、まず目に入ったのは、一面の肉の色だった。
その部屋の壁も、黒かった、んだと思う。
その黒を覆い隠すように、部屋には赤みがかった肌色の触手か葉脈のようなものが満遍なく張り巡らされていた。
肌色の触手は、一部が紫色に変色している。腐ったのか、毒になったのか。
どくんどくんと脈打つそれらを辿っていくと。
部屋の中央に、人がいた。
正確には、多分、人だったもの、だ。
表面を、触手と同じ赤みがかった、あかぎれた肌のような、しおれた触手のようなものが覆っている。それらは多分、元の肌と癒着していて取れない。床ともきっと張り付いている。
顔も同じように覆われていて、目や口などの穴があるであろう位置には細長い縦穴が空いている。
そこからは、確かな生気が漏れていた。
「こちら、最後の部屋になります」
「……ぅわ……」
私は声を漏らしていた。
「……あの……これ……」
「ここは、さっきも言った通り和室ですね。畳とかがあるわけではないですが、まあ、和があります」
「そうじゃなくて!!」
突っ込む余裕はない。
大きな声を出した表紙に、腹の中の栄養バーがせり上がってくるのを感じた。
「うっぷ……!……あれ、……あれ、なんですか……!」
「あれ?社長ですけど」
「……!」
田中さんは。
どうしてそれが気になるのかわからない、というような。
きょとんとした表情で答えた。
「三億年ぐらいが限界でしたね、確か。そこまではなんとか、メインルームとかダイニングキッチンとかで保ってたんですけど。それぐらいの時にこの部屋にふらっとやってきて、空間と調『和』したんです。この部屋が一番やりやすいんですよね。なんていったって『和』があるから。だから『和』室。人の姿やめたって言いませんでしたっけ」
「ど、毒チワワって……」
「何馬鹿な事言ってるんですか。冗談っていうか、比喩ですよあれは。知ってます?チワワって本当によく鳴くんですよ」
ぷしゅ。
壁の脈動に合わせて、弱弱しく鳴く小動物のように、触手の穴や顔の穴からから肌色の液体が勢い無く飛び出している。
「まあ100パー比喩ってわけじゃないですけどね。『毒』にはなるんですよ、人は」
「空間と調和して一体になったところで、この空間にとって人体は異物、毒なんです。空間と体が物理的に癒着した後は、少しずつ少しずつ、『人』である要素、まあいうなれば不要な老廃物、垢ですね、それをああして排出していくんです」
ぶしゅ。ぷしゅ。
「いっ……いや、でも!さっきの壁の、わんわんわんって落書きとか、内見モンスターとか……っ」
そこまで自分で言って、自分の馬鹿さに怒りすら覚えた。
語尾は消えている。
「私の細工に決まってるでしょう、私が作った空間なんだから」
ぷしゅ。
吐き出された液体を、田中さん(でいいのかすらもうよくわからない)が手で受け止めて、こちらに見せつけるようにぺろりと舐めた。
「うん。甘くて、美味しい」
朱に染まった甘美な表情だ。怖気がする。
「……あなたは……」
続く言葉を言うよりも早く。
「それに関してはもう答えませんでしたか?ギリギリ、人です。人5.1:××××4.9です。あと、本当の名前は×××です。物件貸貸って。バカみたいな名前ですよね。本名も大概ですけど」
ピー音。
名状し難い言語。
「私、気付いちゃったんですよ」
×××がびちゃりと、粘性のある嫌な音を立てて手を合わせ、こちらに視線を向けて言った。
「五億年ボタンが、この世で最も理想的な物件だって」
震える唇で。
「何を、言ってるんですか?」
と。言うしかなかった。
「五億年も住めるんですよ?しかも移動時間も必要ないし、部屋の広さは無限だし、それに、望んだものはなんでも現れるじゃないですか。コンビニもスーパーも×××××も、徒歩0分のところにあるも同然ですよ。」
一呼吸おいて。
「ここまで爛れた環境に、人間が浸されるとどうなると思います?」
屈んで顔を覗き込んでくる×××。へたり込んだ私は、顔を逸らすこともできず、無様に後ずさりながら言った。
「それは、……ボタン押した奴が発狂し過ぎて、幻覚を自由に操れるようになったみたいな話じゃ、ないんですか?」
×××は、少しずつ顔を近づけて来ている。
「違います。本当に現れて、貴方の望みを叶えてくれるんです」
「…………なんでも?」
×××の顔は、もう目と鼻の先にある。
「なんでも。」
それは、とても魅力的なことに思えた。
「……」
「そうですよね。そんな所から、自力で出ようと思えるはずもない。甘えるのが人間ですから」
「でも。自分の意思で、この部屋に居るんだと思っていても。五億年も、ずっとこの中にいる選択をした、と思い込んでいても」
「欲を満たして、欲を満たして、欲を満たして、欲を満たして、それでも、狂気は溜まっていくんです」
「五億年も、自分の意思でこんなとこにいられるわけ……」
「あるんですよ。試したことあるんですか?」
「……ない、けど……」
「不死も自由もいつかは飽きるって言いますけどね。人間の欲望って、ちゃんと底無しなんですよ?どれだけ望むままに暮らしても、欲は満ちない。ただ、狂気と垢だけが溜まっていって、最後は。」
そう言って×××は、部屋の中央の、人間だった毒壺を見た。
「ああやって、溜めた色々を毒として、吐き出すだけのものになる。寝られないっていうのは意識を失えないってことですから、多分あんな状態になっても自我はあるんですよ。チワワみたいに健気で、かわいいですよね」
「ああそういえば、カキフライって、嚙み潰すとぷちゅって汁が出て、甘苦い不思議な味がするじゃないですか。それがこの毒の味そっくりで、私好きなんですよね」
世界がぐるりと回った。
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