1 - 雨の日にて

りょうの家で、ギターを弾かせてほしい」


 梅雨真っ盛りの六月中旬。咲月さつきは、いきなり俺の家に来ては、開口一番にそう告げてきた。


 咲月のあまりにも唐突な願いに、俺は面食らう。しかし俺をより驚かせたのは、咲月の願いではなく、彼女の風体の方だった。


 白いパーカーに、紺のスウェットといったラフな服装。長い黒髪は後ろで一つに括られてはいるものの、それも邪魔だから括ったというように簡素で、正直に言うと雑だった。荷物はビニールで包まれたギターケースを背負っているのみで、他には何も持っていなかった。


 そう、咲月は他には持っていなかった。


 咲月は、傘を持っていなかった。ギターケースはしっかりと雨対策がなされていたのに対して、咲月自身は何の対策も施していなかった。


 幸いにも雨は小降りだったため、びしょ濡れではなかった。だが、それでも濡れていることに代わりはない。俺は急いで扉を開け放ち、咲月を中に招き入れた。


「とにかく、早く上がれよ。何か拭く物持ってくるから」

「あ……。うん」


 咲月は一瞬呆けたような顔をしたが、またすぐに素っ気ない雰囲気に戻った。普段はもう少し愛想が良いのだが、今日の咲月はどこか空虚だった。


 タオルを手渡し、代わりにギターケースを受け取る。袋についた水滴が手を濡らす。

 やはりギターが無事かどうか確かめておく必要があると思い、俺はまずギターケースをなんとかすることにした。


 俺は咲月に断りを入れてから、ケースにかかっていたビニールを剥がす。


 しっかりと梱包されていたお陰で、楽器本体に問題はなさそうだった。


 胸をなでおろしつつ確認を続ける。と、ふいにつんつんと控えめに肩をつつかれた。見ると、咲月が濡れたタオルを差し出しながら気まずそうな顔をしている。


 咲月と俺はなんだかんだ十年来の付き合いがある。故に、今では目線だけである程度意思疎通ができるようになっていた。


 このときもすぐに咲月が何を言おうとしているか分かった。同時に、俺は俺自身の気の利かなさも痛感した。


「悪い、着替えのこと考えてなかった」

「……なにからなにまで頼っちゃって、ごめん」

「困ったときはお互い様なんだから、謝らなくていいさ。ちょっと待ってろ」


 俺はタオルを受け取ると、すぐに洋服棚の前へ駆け寄り、服を物色する。悠長に選んでいる暇はなかったため、俺は適当に目についた服を咲月に手渡した。


「ありがとう」

「着替えるときはそこの洗面所を使ってくれ。濡れた服は洗うから、洗濯機の中に入れておいてほしい」


 コクっと咲月が頷く。俺はタオルを洗濯機に放り込むと、さっと洗面所に背を向け、足早にリビングへと向かった。

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