2 - 輝き始めて

 咲月さつきが家にやってきてから、小一時間ほどが経過していた。


 咲月は今は俺が渡した服――灰色のTシャツとハーフパンツ――を着ている。ちなみに先程咲月が着ていた服は、現在洗濯中だった。

 少し落ち着いたのか、咲月の表情はほころんでいる。髪もしっかりと結び直していて、俺の知るいつもの咲月の容姿になっている。


 そこで俺はようやく、一連の出来事について触れることにした。


「それで、こんな急にやってくるなんて、一体なにがあったんだよ」


 咲月が家出するというのは、俺にとってはまずあり得ないことだった。それ故に、こんな状況になってしまった理由が気になって仕方がなかった。

 多少渋られるかもしれないが、それでも聞いておきたい。と思ったのだが、


「別に大したことじゃないよ。ちょっと父さんと口論になっただけ」

「……なるほど」


 あまりにも呆気なかった。先の心配はすべて杞憂に終わり、つい呆けた返事を返してしまう。

 そんな俺の動揺を汲み取ったかのように、咲月は言葉を続けた。


「いきなり家に押しかけてきて、理由を言わないのはあまりにも失礼でしょ」

「まあ、そうか」


 当然のことを当然のように返され、曖昧な返事を返してしまう。俺たちの間に微妙な空気が漂う。洗濯機が回る音がかすかに聞こえてきた。


 そんな中、唐突に咲月が口を開いた。


「ねえ諒、ギター弾いてもいい? アンプは付けないし、多分音は大丈夫だから」


 突然のことに一瞬呆けるも、そういえば咲月が俺の家に来たのはギターを弾きたいからだったということを思いだす。


 一応隣人のことも考えてみたが、思いつく限りではギターを弾いたことで怒鳴り込んでくるような人はいなかったので、俺は快よく咲月のお願いを受け入れた。


 俺の返答を聞き、咲月がギターを取り出し始める。

 咲月がギターを弾いているということは前々から知っていたのだが、弾いている姿を見たことはなかったため、なんだか新鮮な気持ちになる。


 青一色のエレクトリック・ギターは、咲月によく似合っているように感じた。


「なにか弾いてほしい曲とかある?」

「いや、特にはないけど」

「じゃあ、この曲知ってる?」


 そう言って、咲月はとある今流行りの曲の一節を奏でた。スラスラと楽譜を見ずに演奏したことに驚きつつも、俺は「知ってるよ」と返した。


「じゃあ聞いていてくれない? 感想を聞きたいからさ」



 咲月は一方的にそう告げると、ギターの弦を勢いよくピックではじいた。

 爽やかで青春を感じさせる歌にぴったりの、力強く心地の良い音が響く。

 それは体の芯から震わせてくる、『楽しい』と思わせてくれる、いつまでも聞いていたいと思える音色だった。

 ほどなくして、演奏に咲月の歌声が加わる。ギターに負けず、その声も活気で満ちていた。


 気がつけば俺は、ギターを弾く咲月から目が離せなくなっていた。



「……咲月、上手いなぁ」


 演奏終了後、余韻に浸る俺の口から、ぽろりと本音がこぼれ落ちた。

 俺の言葉を聞き、咲月は驚いたように目を見開く。


「……本当に?」

「ああ、本当だ。めちゃくちゃ上手かった。ここまで感情を揺さぶられたのは久しぶりだよ」


 俺はじっと咲月の目を見つめ、はっきりとした口調で感想を伝える。


 咲月は俺の言葉を聞いて、肩を震わせる。

 俺は咲月の反応を見て、どうしたのだろうか、と疑問に思う。


 と、次の瞬間。


「ふ、ふふふっ、あははっ! そう、やっぱり! そうだよね!」


 咲月は涙が出るほどに笑いながら、今日一番の笑顔を浮かべた。

 今度は俺が驚き唖然とする番だった。


「父さんは『無駄だ』って言ってたけど、そんなわけないもん。だって、毎日毎日練習してたんだから! これで証明された! ありがとう、りょう!」


 本当に咲月かと疑ってしまうほど饒舌になった咲月が、自信満々の笑みを湛えて喜ぶ。咲月は勢いを増しながら、さらに声高らかに言い放った。


「父さんに目に物見せてみせる。これが私なんだって、見せつけてやるんだ!」


 意気込む咲月の瞳は、先程までとは違って爛々と光り輝いていた。

 ……少し触れれば暴走しかねない様子ではあったけれど。


 でも、空虚であるよりかはずっといい。

 俺は心からそう思った。


 気がつけば雨は止み、太陽の光が部屋の中を照らしていた。

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