十話 理不尽
「…………はっ!?」
水面を急浮上するように意識が覚醒し、俺は体を起き上がらせる。と、同時に自分が思っていた姿勢ではなく、勢いがつき過ぎてえび反りになってしまった。
「気が付いたか、セルウス?」
えび反りになる体を温かいものが支える。シエラの両腕だ。混乱する意識を落ち着けよく見れば、俺はシエラに背負われている状態だった。いわゆるおんぶだな。
「あっ、あの! これはっ!」
「すまないな、あそこにお前を放置していく訳にはいかなかった。不満かも知れないが今しばらく我慢してくれ」
「…………はい」
俺は一言しか返せなかった。もちろん嫌だからではない。
恥ずかしくはあるが、諦めてシエラの首に遠慮しながら腕を回す。細く見えるシエラの体は、思ってた以上に広く逞しく、そしてなんかいい匂いがした。
シエラの背からまわりを見れば、他の団員達が怪我人を連れていた。担いでいたり担架に乗せたり。多分、魔物に喰われて死んでしまった人も連れて帰ってきている。団のルールか掟か知らないが、そういうものなのだろう。今度ちゃんと聞いておこう。
「シエラ、さんは凄く強いんですね」
「うん? 決して強くなんかないぞ。私より強い奴なんか腐るほどいるだろう」
「でも、僕たちが手も足も出なかった魔物を一撃だったじゃないですか」
「ははっ。そうだな、あれくらいなら、な。だがまだまだだ、皆を救えなかったし、手傷も負ってしまった。まだ研鑽が足りないな」
「あの……。良かったら、今度僕にも剣を教えて貰えませんか? 少しでも強くなりたくて」
「ああ、いいぞ。今度ボスに話をしておこう。若いうちからやっておけば伸び代は大きいだろうしな。……そういえばお前、あの時シエラと呼び捨てにしていなかったか?」
「えっ!? いや、あのぉ……、す、すいません。咄嗟の事でよく覚えてない、です……」
「ふふっ、まぁいい。最後に魔物に立ち向かった時、私はお前に戦士の気概を感じた。お前は小さくても立派な戦士だ。二人の時だけ、シエラと呼んでいいぞ?」
「あ、あの。ありがとう、ございます、シエラ……さん」
「ふふっ」
そんな他愛無い話をしながら獣道を通り、途中出会う獲物や傷薬になる植物などを採取しながらアジトに戻る。
……はぁ、なんとか帰ってこれた。無事ではないかも知れないがとりあえず生きている。今回はマジで死んでもおかしくなかった。むしろ半分以上死んだ。実際に団員は結構な数が死んでしまったし……。
だが、自分の力も多少なりとも理解できた。最低限の目標は達成だ。
この先はシエラから剣を学んで、これからはもう少し生存率をあげていきたい所存。
「あの、ありがとうございました。もう大丈夫なので降ろして貰えますか?」
「ん? ああ、そうだな。辛かったら言うんだぞ? 肩くらい貸してやる」
そう言ってアジトの前でシエラの背から降りる。少し名残惜しいが仕方ない。
これから怪我人の治療や死んでしまった仲間を弔ったりするのだろう。ほっとした雰囲気と共に、ここにきて少しずつ現実を理解し悲壮感が漂ってくる。
——だが事態はそれだけではおさまらなかった。
「おうおう、随分な大所帯でのお帰りだなぁ! どいつもこいつも怪我しやがって! そんな軟弱者なのかてめえらはっ!」
アジトの洞窟からしゃがれた大声が聞こえてくる。掠れているのによく響き、その声に一同の身が竦む。
「ボ、ボス……。すいません、今戻りました!」
「おうっ。てめえら、これはどういう事だ? ……ん? よく見りゃこないだ拾ってきたガキもいるじゃねえか。なんでてめえがここにいんだよ? 誰が表出ていいって言ったんだ?」
「あ、あの、ボス! セルウスは自分が食材の調達に狩りに連れ出しました!」
ボロボロの体を押しながらパットがボスに報告する。
「あぁー? なんでてめえがそんな事決めてんだぁ? っつーかよ、なんでてめえ怪我してんだよ! そんなんじゃ団員の飯が用意できねーだろ! ってか俺はお前に話なんて聞いてねぇ! 黙れ!!」
自分の言葉に段々とヒートアップしてきたパンメガスは、手に持った斧を適当に振り回し地団駄を踏む。適当にとは言え、怪力の持ち主だ。その風圧で皆一歩後ずさり、そして空を切っていた斧は偶然なのか否かパットの体を捉える。
「あっ」
そんな軽い言葉でパットの人生は終わってしまった。肩から袈裟懸けに斧が通り、一瞬遅れて体がずり落ちる。
「パットさん!!!」
思わず叫びながら近寄るが、絶命しているのは誰の目にも明らかだ。さっきまで少し弛緩していた空気が一瞬で血生臭くなってしまった。
「あーあ、飯炊き係が死んじまったよ。おいガキ! てめえ何勝手に外出てんだよ! 誰が良いって言ったよ!」
「…………」
俺は怒りで何も言い返せなかった。唇から血が滴る。手に食い込んだ爪が痛い。
明らかに俺に敵意を向けている。前はこいつが怖くて仕方なかった。だが、だがそれ以上にパットを殺したこいつが憎い!
せっかく、せっかくなんとか生きて帰ってこれたのに! せっかく俺に弓を、狩りを教えてくれたのに! 村から攫われ、なんとかここで生きていく術を見つけた人なのに! せっかく痛みに耐えて助けたのに!!
俺は視線だけで殺してやろうとパンメガスを睨む。頭に穴開けてやろうと睨みつける。
「おー? 生意気な目だなぁ? 俺様にそんな目をむける悪い目はいらないなぁ?」
パンメガスはその太い指先をゆっくりと俺の目に向けて伸ばす。逃げてなるものか! 確実に近づく指に、それでも負けじと睨み続ける。
ついにその指が俺の目を捉えようとした瞬間——
パシッ
「ボス、やめてください」
伸びてきた手はシエラによって止められた。
「あぁー? てめえ、団長の俺に口ごたえすんのか!? いくらお前が副団長だからってこりゃあ許してやれねぇぞ!? おまえか! お前も口がいらんのか!」
「ボス、少し落ち着いてください。皆の前でこれ以上身内に被害があれば、団の統率に影響します。それにこいつには使い道があると言っていたじゃないですか」
「んー? あー、あ、そうか。言ったなそんな事。なんだよ、ムカついたからこいつも殺そうと思ったのによぉ。なーんでそんな事思い出すかなぁ。おいっ! よかったなぁ、坊主、シエラに助けてもらってよ。よーく感謝しとくんだぞ?」
明らかに馬鹿にした態度に、俺も我慢の限界だった。シエラを押し除けパンメガスの前で捲し立てる。
「うるさいこの野郎! 人の命をなんだと思ってやがる。お前なんか、いつか俺が——」
バキッ!!!
「黙れ、セルウス。それ以上言うのであれば私が許さない。少しは自分の立場を理解しろ」
「し、シエラさん……」
俺の啖呵はシエラの拳によって中断させられた。不意に殴られ尻餅をつく俺に、シエラは底冷えをするような冷たい目線を送ってきていた。
「ボス、申し訳ありません。こいつの指導が行き届いていないのは私の責任です。これから責任を持って指導いたしますので、先程の件はどうぞお許しください」
「ふーん。……シエラ。次はねえからな。お前も覚悟しておけよ?」
「……はい」
納得したのかしてないのか、シエラの返答を受けパンメガスが踵を返す。
俺は全然納得していないが。なんでこんな横暴が許されるのか。去ろうとするアイツの背中に変わらず憎しみの視線を送る。
それが届いたのか、突然パンメガスが振り返った。途端、全員に緊張が走る。
「あー、そうそう忘れてた。おめえらその汚え死体は片付けとけよ。それと、おい! 飯係集合! 整列!」
何を言われるのかと皆んな身構えていたが、声をかけられた者以外は明らかにほっとしていた。そして集まる狩人一同。その数八人。俺が傷を肩代わりしたナムも、怪我をした体で列に加わる。
「おう。おめえらのリーダーが下手打って死んじまったからよ。これからこのガキに狩りをさせる。あー、えーと、お前とお前、二人はこっちにこい。んで、他の奴ら、今までご苦労だったな」
よっこいしょと言いながら体を大きく捻るパンメガス。訳がわからず狩人一同首を傾げるが、呼ばれた二人は素直にボスの隣へ。だがそこで俺は猛烈な悪寒に襲われた。
「やっ、やめ——」
「そらっ!」
また軽い掛け声と共に巨大な斧が振るわれた。今度は真横に。
整列していた狩人六人を、一直線に上下に分断する強烈な一撃だった。その余波で俺の髪の毛も幾本かが宙を舞う。座りこんでいなかったら首を飛ばされていただろう。
「あっ……、あぁ……」
ほとんどの者が何が起きたか理解出来ていないと思う。シエラですら驚愕で目を見開いていた。
俺も先程までの怒りが霧散し、頭の中では再び驚きと恐怖が渦巻いている。
……やっぱりこいつはやばい。頭もイカれてるが、それを実行してしまえるだけの力がやばい。
「おい、ガキ。飯係は今日でほとんど引退しちまった。お前のせいだかんな。明日からはお前がアジトの全員分食糧を用意するんだ。それが出来なきゃお前の価値はねえ。まぁそーいうこった。それと、シエラ」
「……はい、ボス」
「そこの比較的軽症な二人は引き続き飯炊き係だ。アジトで下拵えと炊き出しだ。それと、狩りの隊を何人か見繕って編成しておけ」
「了解しました……」
それだけ言うと今度こそパンメガスはアジトに消えていった。
目の前で起きた出来事に誰もが口を重く閉ざしている。俺に対して同情や怒りの視線が注がれる。
「セルウス、大丈夫か……?」
そんな中でパンメガスが居なくなり、シエラが心配そうに声をかけてきたが、俺はそれになんと返事をしたらいいかわからなかった。
「シエラさん……。アイツはなんなんですか。なんでこんな簡単に人を殺すんですか。アイツにとって仲間ってなんなんですか! アイツは! アイツは——」
「落ち着けセルウス」
「落ち着いていられる訳ないでしょう!? みんな殺されちゃったんですよ!? 何もしてないのに? それに明日からは俺が全員分の獲物を狩ってくるなんて無理に決まってるじゃないですか! それが出来なきゃ俺も……!」
「だから落ち着けっ!!」
取り乱す俺の上に温かい重しがのしかかる。気付けばシエラの細い腕で抱きしめられていた。
「シエラ、さん……」
「落ち着けセルウス。こんな事は普通じゃない、みんなそんなの分かっているんだ」
「でも……」
「それでもだ。分かっているが変えられない現実はある。みな、それぞれ折り合いをつけて生きているんだ。お前が騒げばもっと人が死ぬ。お前も含めてな。だから今は一旦落ち着くんだ」
そう言いながらもシエラの体は震えていた。
……こんな理不尽、許せる訳がない。
許せなくても変える力が今はまだ、ない。だが可能性はある。母さんが残してくれた力、これを使いこなせれば。
俺は、俺は悪人になると決めたんだ。俺以上の悪人がすぐ身近にいる。これを越えなくてどうして悪人と言えようか。
奴隷から盗賊へ鞍替えしてまだ僅か。
俺の次なる目標は定まった。
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