九話 帰還

 パットを助ける為に再び手を握るも、耐えられない程の激痛が俺を襲う。

 反射的に手を離してしまうが、その一瞬でもそれなりに傷を肩代わりする方が出来たらしい。


 全快とは言わないが、重体が重傷と呼べるくらいまでには回復しているように見える。代わりに俺は傷だらけのボロボロではあるが。


「だけど、これならナムさんも……!」


 俺さえ痛みに耐えればナムも救える可能性がある。あまりに痛いのは嫌だけど、これはきっと母さんも歩んで来た道だ。それに、痛みを堪えれば蓄えれば、起死回生の一撃が出来る気がする。多分。


 すでにどこが痛いか分からないが、痛む足を引きずりながらナムの居場所を探す。もう猟師の姿は見当たらないので、走り去った方へ向けて気配を探してみる。


 ……多分、そこだ。

 明確には分からなかったが、それらしい気配を感じたので急いで向かう。結構遠いな。この足じゃ相当時間がかかってしまう。それでも一歩ずつ、魔物と戦闘しているらしき方へ向かって行く。



 今の自分のできる限りの速さで向かう。近づくにつれ、戦闘の音が聞こえるようになってきた。そしてゆっくりと視界がひらける。


 果たして、ここまで来て、俺はまた自分の選択が正しかったのか悩む事になってしまった。その可能性を考えなかった訳ではない。むしろ一番最初に考えたことだ。

 だが自身の力への驚きと、慢心と、体の痛みで忘れていた。


 ——全滅だ。目の前にはボロ雑巾の様になった猟師達がいた。二人くらいは生きているかも知れない。だが、一人は確実に死んでいる。何故なら、目の前で頭から咀嚼されているから。

 そんな状況で、生きているかも知れないからと、残りの二人を助け出す勇気も力も俺にはなかった。


「くっそ……、なんでだよ……」


 目の前に魔物がいる事も忘れて地面を殴る。

 俺には力がなかった。前世で恨みを溜めて転生したのに、今世でも恨みを溜めて。それを吐き出せるだけの力がなかった。


 力の欠片はあるかも知れない。だが圧倒的な暴力の前では無力だ、無力と変わらない。


 なんで、なんで! どうしてもっと分かりやすく力を手に入れられなかったのか!

 奴隷になったり盗賊になったり。まったくもって自分の思い通りにならない人生に嫌気がさす。こんなところで死にたくはない。だが、現状を打破する力も知恵もなく、目の前にある現実に抗うことができない。


 ボスみたいな力があれば。シエラのように剣が扱えれば。もっと自分の思う通りに生きれたのかも知れないなぁ。


 そんな取り止めのない事を考えていると、食事を終えた魔物が次の獲物を見定める。転がっている誰かなのか、活きのいい俺なのか。目の前に迫る確実な死に、どこか他人事のようにそんな事を感じていた。


 次に食指が動いたのはどうやら俺だったようだ。そして二度目の最期の時が近づく。

 俺の胴体より太い腕がゆっくりと伸びてくる。

 ああ、ここまでか。またしても何も出来なかった。悪人になることを願ったから、こんなにも早く人生が終わるのだろうか。



 全てを諦め目を瞑る。

 振りかぶった魔物の腕が、その巨大で鋭利な爪が、今まさに俺の胸に突き刺さ……らなかった。

 その不可思議な現状に目を開けば、魔物の爪が俺を捉える前に不自然な動きでずれ、腕ごと地面に落ちて行ったのだ。



「遅れた、すまなかったな」



 それだけを言い、剣についた血をヒュッと払う。よほど慌てて来たのか普段は目深に被っているフードがまくれ、その美貌が陽光の下で輝いていた。


「シエラ、さん……?」


「ああ。今任務から帰って来た。間に合って……はいないが、お前だけでも無事で良かった」


 目の前にはシエラがいた。いつも帰りを待ち望んではいたが、こんなにも、帰って来て嬉しく思う時はない。シエラの見せる圧倒的な力の片鱗に、上手く言えないが俺の心が震える。

 自分の力では何も出来なかった。だが、シエラならきっと……!


「イレイサー・ベアか。こんな所に随分な大物だな。うちの団員たちをよくもっ!」


 言いながらシエラは細身の剣を幾度も振るう。牽制なのか深傷にはなっていないが、それでも俺達では何も出来なかった魔物の毛皮が次々と切り裂かれていく。


「今のうちに下がってろ」


 そう言われて怪我人の事を思い出した。辺りを見回し、まずはナムを探す。

 ……いた! 茂みの中に頭から突っ込んでいた。近づいて触れてみると僅かに呼吸はしているようだ。

 引っ張り出して少しでも魔物から遠ざける。子供のこの体では引っ張り出すのも一苦労だった。

 なんとか茂みから引きずり出し、平らなところに寝かせる。多分打撲なんだろう。これを打撲と言っていいか分からないが、トラックに轢かれたようなもんだ。やはり生きているのが不思議な状況である。


 シエラを見れば、魔物との戦いを優位に進めているように思う。だが決定打がないのか、お互い決め切れていない。魔物の攻撃は当たらず、シエラの攻撃では倒れず。だがきっとこのまま戦いが長引けば、シエラの方が不利になっていくだろう。



「ナムさんっ……!」


 そんな状況のため、急ぎパットの時と同じように手を握り祈る。するとすぐに衝撃が俺を襲った。


「うぐっ!!」


 今度は鈍器で殴られたような痛みだ。頭がぐるぐるするが、初めから覚悟していれば耐えられなくはない。

 ある程度のところで手を離し、俺も息を整える。真っ白だったナムの顔色は多少血色が良くなり息も落ち着いてきた。多分、大丈夫。少なくともさっきよりは。

 ……よし、次っ!

 そう思い立ち上がった瞬間に眩暈がしてその場に倒れてしまった。



「っ! セルウス!?」


 魔物と対峙していたはずのシエラが慌ててこちらを振り向く。……ダメだ、シエラ、そんなやつから目を離しちゃ!


「……シエラっ! あぶないっ!!」


 膠着状態から、シエラが見せた一瞬の隙を逃すはずがない。

 シエラが振り返る僅かな間に魔物が距離を詰め、その凶悪な牙をシエラに突き立てる。


「ぐあっ……!」


 魔物の牙が突き立つと同時に、シエラもまた剣を魔物の腹に突き刺していた。

 一瞬の接触の後お互いの距離は開かれるが、どう見てもシエラの分が悪い。魔物に噛まれた肩は恐らく骨まで砕かれているだろう。


「シエラっ、シエラ! ごめんなさい、俺のせいで!」


「くっ……、お前のせいじゃないさ、私が油断しただけだ。まだまだだな、私も……」


 言いながらシエラの顔はどんどんと白くなっていく。腕は力なく垂れその周りを真っ赤に服ごと腕を染めていった。



 ——もうここしかない。ここを逃したら、シエラが戦えなくなったら間違いなく全員殺される。もしかしたら俺は痛みで死んでしまうかも知れない。でも、ただ魔物の餌になるくらいなら一か八か、一発かましてやりたい。


「シエラ、あのね。俺がなんとかアイツに隙を作るから、その間にアイツを倒せるかな……?」


「シエラってお前……。まぁいい、それよりアイツの隙を作る? お前、まさか死ぬ気か?」


「いや、そうじゃないよ、大丈夫、死なない。なんとか一瞬だけ怯ませるから、その内にアイツをやっつけて」


「でも、この腕では……」


「それもなんとかする! お願い、腕を治すから、俺を信じて!」


 シエラと視線が交錯する。最初は怪訝そうな顔で俺を見つめていたが、すぐに表情を緩め薄く笑った。


「何か、策があるんだな? 分かった、お前を信じよう。どうせこのままでは仲良くアイツの腹の中だ。全力の一撃で決めてやる」


 キリッと言い切るシエラはかっこよかった。思わず目を逸らすくらいに。


「それで、どうするのだ。タイミングは?」


「えっと、まず腕を治すね。ちょっとごめんね」


 ぎゅっ


 そう言ってシエラの手を握る。途端に俺の肩に激痛が走り骨が砕ける音がする。


「っがぁぁ!」


「おいっ! 大丈夫か!?」


「はぁ、はぁ、っ。ごめん、大丈夫……。それよりシエラ、肩はどうかな」


「……っ! そんなバカな……。肩の怪我が、ない?」


「そ、そう。それなら良かった。それで剣は振れるかな……」


「あぁ、握れる! 大丈夫だ、振れるぞ!」


 シエラは手を開いたり握ったりしながら感触を確かめている。うん、なんとかなったみたいで良かった。それよりも俺がなんとかなってしまいそうだ。早くしないと。


「じゃあ悪いけど、もう一回アイツと戦ってくれる? 俺はアイツの後ろに廻るから。それで合図をしたら一発で決めて欲しい」


「随分簡単に言うな。……だが、わかった、任せろ。お前の覚悟の分だけ私も強くなろう!」


 そう言って再び魔物と対峙するシエラ。俺はシエラの背に隠れ魔物の動きに注意して少しずつ移動を始める。


「グルルルル……」


「さあ、こい! この毛むくじゃらめ!」


 シエラの挑発が通じた訳ではないだろうが、その言葉と同時に剣と爪が交差する。そこからはもう人外の様なハイスピードの攻防だった。熊の腕とシエラの剣が火花を散らしながら撃ち合い、思わず見惚れてしまった。


 はっ! いけない、そんな場合じゃない。

 できる限り静かに、素早く魔物の後ろに回る。だが、パットの裂傷、ナムの打撲、シエラの咬傷を引き受けた俺の体は本当に限界だった。

 シエラにああは言ったものの、本当に出来るだろうか。いや、できる、大丈夫。成功をイメージするんだ。


 少しずつ確実に魔物の後ろに回る。縦横無尽に高速で戦っているが、恐らくシエラがある程度コントロールしているのだろう。立ち位置自体はあまり動いてはいない。

 よし、もう少し。


 後数メートル。と言うところで魔物の目が俺を捉える。シエラとの激しい戦いの最中だが、それでも俺に向かってくるのはシエラとの戦闘に集中したい為か。


 恐らくヤツからしたら、俺なんて指先ひとつで殺せる程度の存在だろう。その証拠に俺に向かってくる時も視線はシエラに向けたままだし、振り上げる腕にもさっきみたいな力はこもっていない。適当に振り回した腕で殺せる存在。


 魔物のその迫力は本物だ。現に今俺はびびっている。あの巨体が向かってくる姿を見るだけで足がすくむ。

 だが、それもここまで。どうせ避けることもできない。緩慢に振られる腕に払われぬようタイミングを合わせ……、今だっ!!

 俺は全力で魔物に飛びつく!



「奴隷の一撃! ……くらいやがれっ!!」



 できるかわからなかった。だが、母さんから受け継いだ力が『できる』と言っていた。

 俺はただそれを信じ、今まで受けた傷を、痛みを解き放つ!


『ガアアアアァァァァッ!!』


 果たしてどれだけの痛みなのだろうか。全く想像はつかないが、それでも魔物は突然襲ってきた予想外の痛みに悲鳴をあげ体を硬直させる。


「シエラっ! 今だ!」


「応っ! ——我が剣をお前の脂で曇らせてみせよう! 無双一閃!!」


 鞘から走らせたシエラの剣が一筋の光となり、輝きながら魔物の体を通り過ぎる。目に追えぬ速さなのにその動きは驚くほど静かで、そして優雅だった。


 体を撫でられた魔物はピクッと仰け反った後、その頭部を体から落としその場で崩れ落ちた。




「ふうっ。無事に終わったぞ、セルウス。……セルウス? おいっ、セルウス! 大丈夫か!? セルウスっ!!」


 沈んでいく意識の中でシエラの声が聞こえた気がした。よかった、なんとか上手くいったみたいだ……。だめだ、もう眠い。無事に目が覚めたら、俺のことをシエラに話そう……。

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