八話 覚醒

 パットやナムと狩りに出る日が続く。


 あの後、マンケのところに何回か顔を出したが「もうお前に頼む事はない」と言われ、それからは口も聞いて貰えなくなってしまった。

 俺は果たしてマンケに何かしてしまったんだろうか。シエラが帰ってきたらそれも相談してみよう。


 狩りの方は何日か続けて、今は一日で最低一匹は獲物を得る事が出来るようになった。ナムが確実に獲物を見つけてくれるからね。

 人生初の獲物は雉のような鳥だった。どうやらこの鳥は射止めるのが難しいらしく、パットやナムにやたら褒められたのが印象的だった。


「おはようございます! 今日も狩りに行くんですよね?」


「おう、おはよう。今日も元気がいいじゃねえか。今日は大物でも狙ってみるか?」


「おいおいパット、気持ちは分かるけどまだ危ないよ。セルウスはまだ子供だ。大物を狙うにはまだ早いよ」


「やってみないと分からないだろ。そもそも遭遇できるかも分からないしな。一応その心構えだけしておけよ?」


 大物とはどんなものを言うのか。熊とかなのか? それだと大人だろうが子供だろうが関係なく危ないと思うけど……。

 ぶつぶつ言いながら準備をするパットを見てどこか不安になる。まぁついて行くしかないんけど。



 準備を終え、いつもの通り森に入る。

 今日は班を分けて、俺はパットとナムの三人になった。大物狙いなら多勢の方がいいと思うのだが、パットとしてはこれくらいの人数が行動の邪魔にならずベストなんだそうだ。


「セルウスもだいぶ弓の使い方が上手くなったよな。まさか数日で弓が引けるようになるとは思わなかった。狙いも正確だし」


「たまたまだと思いますけどね。ああ、マンケさんにも手先の器用さは認めて貰ったので、それで上手く出来たのかもです」


 そんなもんかねぇと言いながら視線を前に移すパット。ナムは隣で真剣に気配を探っている。

 ナムの気配察知についても俺は少し理解出来るようになってきた。空間の中の違和感を感じるというか、全体を見た時にその部分だけ歪んで見えるようになるのだ。

 何があるのか、何が居るのかは分からないが、大抵はそこに獲物がいる。恐らく自分でも無意識のうちに獲物の痕跡を認識して、違和感としてあらわしているのだろう。


「そういえばずっと気になってたんですけど、パットさんはなんで盗賊をやってるんですか? それだけの弓の腕前なら狩人としてだって充分生活出来たんじゃないんですか?」


「ははっ。お前からそれを言われるとはなぁ。まぁ簡単に言えばお前と一緒だよ。生きる為に仕方なく、な」


 パットは軽く答えるが、その表情は決して明るいものではなかった。


「僕とパットはね、同じ村の出身なんだ。そこで二人で猟師をしていたんだよ。それがまぁ、何年か前にね。ここの盗賊団に村ごと滅ぼされた。僕たちは狩りの腕があったから、この団の食料係として生かされているだけだよ」 


「……あ、あの、その、なんかすいません。でも、パットさんの弓の腕があれば遠くからボスを狙ったりとか……」


「セルウス、滅多な事を言うな。俺はそんな事をしないし、考えた事もない。考えた事もないが、恐らくやっても無駄だろう。寝てるところに射かけても多分届かない、色々とな」


 そう答えるパットは明らかに顔色が悪い。本人はここにいないのにその存在に恐怖を感じている。

 ……でもそうか、弓の名手のパットでも無理か。ボスへ至る道の先は長そうだ。


 そんな軽くない雑談をしながら数時間。今日は全く獲物が見つからない。大小問わず、動物魔物を問わず何もいなかった。


「流石に静かすぎる。なんか嫌な予感がするな。今日は適当に草でも摘んで引き上げるか?」


「そうだね、僕もそんな気がする。それがいいかも」


 そんな話をしていた矢先だった。ナムが体を震わせる。遅れてパットが、そして俺も得体の知れない何かを感じ体が硬直する。


「……何だ?」


「しっ! 見られてる」


 ナムの言葉に全員息を呑む。



 ……。

 …………。

 沈黙が続く。



 ——気のせいか?


 体を抑えつけていた圧迫感が若干緩くなる。俺たちが少しだけ体の力を緩めたその瞬間。



 茂みから大きな塊が飛び出してきた。


「ナムっ!!」


 黒い塊は勢いそのままナムに襲いかかる。


 やばい、相当デカい。とても人間が受け止められるようなサイズではない。

 塊の衝撃を受け一回、二回と転がり、回転が止まった。そこには青黒い体毛を逆立てた熊の魔物がこちらを睨んでいた。


「グルルルル……」


 はっ? 何これ。

 やばいやばいやばいやばい。

 突然、中ボスみたいのが出てきた。強さとは大きさだと実感させるサイズだ。巨大な生き物を目の前にし遠近感がおかしくなる。どうにかなる気がまったくしない。


 恐らく頭まで三メートル程はあるだろう。その太い腕の下ではナムの体が下敷きになっている。生きてはいるみたいだが、口から血を吐いて白目をむいている。


 その現実離れした現実に、遅れて実感が伴い足が震えてくる。弓を握った手は目一杯力が込められているはずなのに握っている感じが全くしない。


「走れっ! 逃げろっ!!」


 震えてるだけで何も出来ない俺に声がかかる。パットだ。

 パットは視線を魔物から逸らさないまま俺に逃げるように促した。静かな動きのまま矢を番え、魔物に向けて射る。


 ヒュッ——


 その音を皮切りに俺は走り出した。走る。走る。走る。走る。

 いつもの獣道から横の藪に飛び込み、道なき道を走り続ける。

 後ろから怒鳴り声が聞こえている。恐らくパットが魔物の気を引いているのだろう。時折り魔物の唸り声も聞こえたが、それも気にせず走り続けた。


「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」


 目の前に大きな木が見えたので静かに、だが素早く木陰に隠れる。バクバク言っている心臓に手を当て漏れそうになる息を押さえつけて呼吸を整えた。




 ……遠くにまだ音が聞こえる。パットが戦っているのだろうか。ナムは? ナムは無事なのか。

 木が倒れるような大きな音は、恐らくあの魔物が暴れているのだろう。まだ倒せていないのだ。というか倒せないだろ、あんなの!


 木の影に隠れながら座り込む。ガクガクと勝手に膝が笑う。

 倒せないにしても、二人は無事に逃げられるだろうか。歴戦の狩人だし、もしかしたらあの程度は大した事ないのかも知れない。でもそれが俺には分からない。果たして俺はこのまま逃げ続けた方が良いのだろうか、それとも二人の元へ戻った方が良いのだろうか。


 恐怖はあるが、木陰で少し落ち着いて考える事が出来た。

 まずは自分の命を守る事、これが最優先だ。その為には他人の命なんて知ったこっちゃない。だがあの二人は良い人だった。俺と同じ境遇で、でも腐らずにこの団で生きて、俺にも手を差し伸べてくれた。出来ることなら何とかしたい。


 なるべく危険を回避して二人を助ける方法はないだろうか。



 ……この森には全部で十人で来ている。他の狩人を探してみんなで挑めばあるいは。他の狩人達も獲物がいない事には気付いているだろうし、それにさっきの戦闘の音。勘のいい人間なら近くまで様子を見に来ているかも。


 その事に気付き、少しでも視界を確保する為になるべく背の高い木の上に登り辺りを見渡す。

 集中しろ、気配察知だ、この森の違和感を探すんだ!


 ……。

 …………。


 見つけた! 一番近くには熊の魔物とパット、ナムの気配。

 そこから東に三〇〇メートル程の場所に人の気配。これが恐らく狩人の仲間達だろう。後は何となく違和感を感じるが、はっきりこれと分かるものはなかった。


 俺は急いで仲間がいるだろう場所へ向かう。速度は落ちるが確実に見つけられる木の上の移動を選んだ。




「おじさんっ、おじさん達!」


「おおセルウス! どうした!? さっきの音は何だ? パットとナムはどうしたんだ?」


「でかい、でっかい熊の魔物に襲われてっ……! ナムさんが襲われて、それで俺、パットさんが逃げろって! でも、でもっ……!」


「わかった、わかった! とりあえず落ち着け! パット達はどこにいるんだ? 場所は分かるか?」


「……、うん、こっち!」


 狩人達を連れてパット達の元へ走る。ここからは時間との勝負だ。藪や蔦に足を取られるが無視して走る。元いた場所へ走り続ける。

 この選択は正解なのだろうか。パットの思いを無駄にしたんだろうか。

 でもパットには生きていて欲しい。ナムにも無事でいて欲しい。それだけを思い俺は走った。


 魔物までの距離が近付くと、猟師たちが前へ出る。その手には弓や槍、剣鉈を構え油断なく前を見据えている。


「あいつはっ……! イレイサー・ベアじゃないか! なんでこんなところに」


 猟師の一人が青い顔をして呟く。やっぱり普通の魔物じゃなかったんだ! パットは、ナムは無事なのか……!?


「グルラァァァァ!!」


 雄叫びと共にイレイサー・ベアが飛び出してくる。その丸太のように太い腕にパットはしがみついていた。


「パット!!」


 俺たちの呼び声にパットが振り向くが、全身傷だらけで服はボロボロ、目は片方閉じられていた。


「お、おまえら、なんで……。それにセルウスもっ!」


 魔物の腕を離したのか振り落とされたのか、パットは俺たちの前に転がってきた。


「パットさんっ! 無事でよかった!!」


「ぶ、無事なもんか! どうして……、どうして戻ってきたセルウス!」


「うるせぇ、今はそんなことどうでもいいっ! とにかくお前は下がってろ!」


 イカつい顔をした猟師のおっさんがパットを無理矢理引きずって俺たちの後ろに匿う。


 ……生きてて良かったぁ。正直、生きているとは思ってなかった。

 ただ、良かったとは思うが、状況は全く変わってない。魔物は目の前でこちらを睨みつけている。いや、この人数で正面からならいけるのか……?


「よし、お前ら! 分かってるな? せーのっ……! 逃げろっ!!」


 そう言うと、手に持っている武器を一斉に投げつけて一目散に逃げ始めた。そのいくつかが魔物をひるませる事に成功し、その隙に俺とパットのこともそれぞれ肩に担ぎ元来た道をひた走る。


「待って、待って!! まだナムさんがどこかにいるはずなんだ」


「わーってるよ! それもちゃんと考えてる! 舌を噛むからちと黙ってろ!」


 盗賊の猟師達は仲間のことをちゃんと考えているらしい。適当に走っているようにしか見えなかった道順でも、気付けば残りの三人と合流出来ていた。


「ナムは多分あそこにいるんだろ? お前とパットはここで待ってろ。生きてても死んでても連れて帰ってくるからよ」


 そう言って俺とパットを岩陰に残しナムを探しに森の中を駆けて行った。



 岩陰に残された俺は、まずパットを安定した場所に座らせた。傷の確認をする為、流れる血は拭い少し服もはだけさせた。

 ——酷い傷だ。生きているのが不思議なくらい、なんだと思う。腕も脚も折れていて、意識がここまではっきりしていると逆に辛いのではないだろうか。



「パットさん、あの、俺……」


「ああ、わかってる。セルウス、ありがとう。お前が助けを呼んで来てくれなきゃ俺はもう今頃あの熊の腹の中だ。ナムも、ナムの事も、頼む……」


 パットは力なくそう答えるのが精一杯のようで、一言話した後は目をきつく閉じ息を荒げた。


「パットさん……!」


 医療の心得などない俺はパットの手を握る事しかできなかった。なんとか持ち堪えてくれ、みんな早く無事に帰ってきてくれ。俺はパットの手を握りしめ必死に祈る。




「……あがっ!」


 その時、俺の体に激痛が走った。


 いったーーー!! 痛いいたいイタイいたい!!

 何これいったっ!!

 思わずパットの手を離し地面を転げ回る。体中を切られたような痛みが全身に広がり、実際に体には切り傷のような痕が無数についていた。


「うぐっ……! こ、これは、一体……!」


 傷跡から血が滲み出てくる。あまりの痛みに意識が飛びそうになる。耐える為に腹に力を入れ足を踏ん張る。

 痛みにのたうち回りながらふと、視界の端に捉えたパットを見ると、先程よりも穏やかな表情で呼吸が落ち着いている。


 あれ? もしかしてまずい状況か? 召される寸前か?

 ……いや、違う、少し回復してる。明らかに傷が減ってる。パットの傷が減った分、俺に傷が付いている。


 ——恐らく、いや、間違いなくパットの怪我を俺が肩代わりしている。

 これは……。これはきっと、そうなんだろう。母さんの力だ。


 正直めっちゃ痛い。こんな思いしたくない。パットは助けたいけど、ここまで痛いのは嫌だ。

 だが、母さんの力が今ここで役に立つ事。それが俺の胸を熱くする。それだけでこの激痛にも耐えられる。

 胸の熱さと体の痛みで、眩しい白い気持ちと暗く黒い気持ちが共に大きくなる。


 ふぅ、ふぅ……。


 ……よし、何はともあれまずはパットを助けよう。どこまで背負えるかは分からないが、パットの傷を減らせばその分生き残る可能性は高くなる。

 そう思い再びパットの手を握る。


「いっっっったぁぁぁぁーーーいっ!!」

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