二話 記憶

「ぐっ、おえっ!! まずっ!!」


 木の根から染み出る苦い汁が口の中に広がり、俺は思わず吐き戻す。


 くっさ!! 何これくっさ!!!

 おえぇぇぇぇ!!

 なんなの、これ。というかさっきの記憶は何!?

 やたらリアルな夢だったのか、それとも現実なのか。

 自分のおかれている状況がまったく理解できず、ひたすら汁を口から垂れ流す。


 ……ふぅ、なんとか落ち着いた。

 俺は口から溢れ出る涎を腕で擦りながらふと気づいた。


 ……なんだこの腕?

 闘病生活で確かに痩せ細ってしまった。だがそれよりも明らかに細い。そして小さい。

 肌はきめ細かいのにやけに乾燥していて生気がなく、俺の腕こそ木の根っこみたいだった。

 しばらく呆然として腕を見つめる。自然と視線は下に落ち、腹、足を見て、素足で地面に立っている事に困惑をする。



「小僧。おいっ、小僧!!」


 近くで誰かの声がする。俺のことを呼ばれたとは思わなかったが、振り向くと同時に衝撃が襲ってきた。


「ぐっ……!」


 左肩に物凄い重みを感じ、その拍子に地面を転がる。あまりの痛みに起き上がれず、そのまま見上げる様に声の主に視線を向ける。


「おい小僧、何さぼってやがる! さっさとてめえの仕事に戻りやがれ!」


 そこには見上げる程の大男が鬼の様な形相でこちらを睨みつけていた。

 丸太の様な腕を持ち両肩は盛り上がり、スキンヘッドがその厳つさを倍増させる。その腰にはこれまた大きな剣をぶら下げていた。



(剣?)


 痛みと驚きで呆気に取られていたが、数瞬後に言っている意味を理解し、すぐに立ち上がる。


「すっ、すいませんでした……」


 俺はそれだけ言ってすぐに雑草をむしり始めた。


 意識の突然の覚醒に頭がついていけなかったが、草をむしりながら少しずつ冷静になり振り返る。


 あー、あれだ、完全に理解したわ。いや、思い出した。

 俺の仕事は草むしりだ。俺はこの畑に生える草をむしらなくちゃならない。なぜなら俺は子供で畑を耕せないからだ。俺は子供だ。

 俺は奴隷の子供だ。俺は、奴隷だ。



 その事実を認識した時、全身に鳥肌が立ち冷や汗がとめどなく流れ落ちてくる。手が冷たくなり足が震える。


 震えながら作業に戻った俺を見て満足したのか、スキンヘッドの大男は他の奴隷らしい人間のもとへと歩いていった。


 大男はいなくなったが、それでも俺の震えは止まらなかった。



 ※ ※ ※ ※



 草をむしりながら考える。

 俺の最後の記憶は、病院の中で怒りと憎しみに塗れたものだった。怒りのあまりに俺は悪人になることを願った。

 だが現状はどうだ。

 果たして俺は転生をしたのだろう。俺を哀れに思った神様がきっと思し召してくれたのだ。

 だがこれはなんだ。


 木の根のような腕は栄養失調の子供の腕だった。足も同じだ。ごぼうが少し太くなっただけの様な見た目で、肉など一切ついていない。

 肌触りの悪い麻のような貫頭衣だけを身にまとい、その他は靴も下着も何もない。


 何故こんな状況になっているのか何も分からない。それでも、体が覚えていた。俺の仕事は草むしりだ、そして俺は奴隷であると。


 前世であろう記憶と、今のこの体の記憶が少しずつ融合して現状を理解する。

 理解すればするほど、涙が溢れてくる。


 なんだよ、なんでだよ。神様よ、なんでもう少しまともな生まれにしてくれなかったんだ。

 これじゃ悪人になるどころか、明日の命さえ知れないじゃないか。


 泣きながら草をむしり、さっきの木の根のことを思い出す。

 あぁ、あれは空腹だったんだ。あまりの空腹に耐えきれなくて食べれそうな木を食べたんだ。

 そう思うと、俺も空腹を感じ始めてきた。


 あたりを見回すと、畑を耕す大人の奴隷と思われる人間が二十人程。俺と同じく草むしりをしている子供の奴隷が五人程見えた。

 さっきの見張りのような男は畑の端から端までを行ったり来たりしながら、俺たち奴隷を監視しているようだ。サボったり粗相をした奴隷を容赦なく殴り蹴る。


 どんなに腹が減ろうが、体が痛かろうが俺たちに拒否権はない。ただ言われるがままに作業をするだけだ。

 泣きながら震えながら空腹に耐え、俺は日が暮れるまで草をむしり続けた。





 ※ ※ ※ ※




 日が暮れて作業を終えると奴隷達は首や手首を縄で縛られ、数珠繋ぎになって村へ帰る。前世の記憶に奴隷のことは含まれていないが、こんなに扱いが悪いものなのか。これじゃまるで犯罪者じゃないか。


 引きづられながらトボトボ歩いていると間も無く自分の村へと辿り着く。

 この世界の村や町の規模は知らないが、粗末な木の柵で囲ってあるだけのここは村か集落で間違いないだろう。


 村の入り口には見張りと思われる男が二人、木の棒を持って立っていた。そいつらはいたって普通の体格だから、さっきのスキンヘッドがやはり異常なのだ。


 スキンヘッドに連れられて村の中に入る。村人の中でもまともな格好をした奴がわらわらとスキンヘッドの元へ集まってきていた。


「ゴンザさん、お疲れ様です! これ、今日の分です」

「ゴンザさん、これはうちに保存してあった酒です。宜しければ、ぜひ!」


「おう! 貰ってやるよ!」


 ゴンザと呼ばれたスキンヘッドは鷹揚に村人達から物を受け取って行く。ぱっと見だが恐らく食べ物とかだろう。

 ガハガハ笑いながら歩くゴンザに村人達はヘコヘコしながらついて行く。後ろから見てもスキンヘッドの体格の異常さが際立つ。他の村人よりも頭二つ分程大きい。あの身体を活かした用心棒とかなのだろうか。

 村人達の表情からは、嫌々ついて行ってるような雰囲気が伺える。あの体格で横暴なやつだったら誰も逆らえないだろうな。

 そんな事を考えながら見ていたが、大きな屋敷に入っていったのを見送ったところで俺は興味をなくした。




 奴隷達は村の中で解放され各々の家へ帰って行く。俺もこの体の記憶にある家へと帰る。


 家は村の柵沿いに作られていて、ギリギリ屋根と壁があるだけの小屋のようなものだった。

 それでも休める場所があるだけましだろう。隙間だらけの木の板で出来た自宅の扉を押し開けると、途端に凄まじい腐敗臭が漂ってきた。


「ぐっ……!! うぷっ、うっ、おぇえぇぇ」


 慌てて外に飛び出し、また吐き出す。

 またかよっ、くっさ!! 家の中でどうやったらこんな臭いがするんだよっ!!

 なんだかこの体になってから吐いてばかりだ。


「……っち、きったねーな」


 たまたま通りかかっただろう村人から蔑みの視線を向けられ、反射的に目を逸らしてしまった。


 はぁ、いったい本当になんなんだろう。

 これは俺が望んだからこの世界にきたのか。こんな奴隷になったのか。


 入りたくはないが、入らねば家で休む事もできない。気を取り直し、覚悟を決めて再び家の扉を開く。……覚悟を決めれば腐臭はギリギリ耐える事ができた。

 窓などない家だが壁の隙間から漏れて入る光でなんとなく中の様子がうかがえた。


「……お゛ぉあ゛ぁえ゛い゛ぃぃ」


 突如家の中から聞こえる不気味な声に、壁際まで一気に後ずさる。どうやら声の主はここにいるナニカのようだ。

 吐き気をもよおす程の悪臭の中だが、そんな事も忘れて意識はその存在に釘付けになる。最初に一言発した後はふごふごもごもご唸っているが、特に意味のある言葉は言っていないように思える。


 目が慣れるまで、俺は身じろぎ一つせず壁に背をつけていた。少しずつ、なんとなく輪郭が見えるようになる。部屋の隅、ゴザのようなものの上で横になっているそれは、どうやらゾンビのようだ。


 ゾンビはもぞもぞと動いているので生きているみたい。いや、ゾンビだから死んでるのか?

 ただしそこから移動することもなさそうなので、扉の近くにあった棒を手に取り恐る恐るゾンビに近づく。


「あ゛あ゛ぁ、ぶじにがえ゛っでぎでよ゛がっだぁ」


 俺が近づくと再びゾンビが口を開く。その声に全身の毛が逆立つようだ。薄暗い部屋の中でよく見れば、ゾンビは全身に包帯のようなものを巻いていた。


 所々染みが出来ており、血だか体液が出ているのだろう。恐らく悪臭の元はこれだ。

 そして俺は思い出す。


 木の棒を置き、ゾンビの横で膝をついた。


「ああ、今日も無事に帰ってきたよ、母さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る