【KAC20242】虫さんは可愛らしいですけど、一緒に住むことはできませんよね。

猫とホウキ

内見に来ましたが……。

 私は引っ越しを予定しており、賃貸アパートの物件を探していました。


 そして相談した不動産屋のおじさんに案内され、内見のため訪れた場所は──何もない更地さらちでした。


「あの、おじさん」


「なんでしょう、お嬢さん」


「まさかと思いますが、ここが目的地ですか?」


「まさかでもなんでもなく、ここが目的地ですよ」


 不動産屋さんの指差した先は、やはり何もない更地です。


「なるほど。これからここにアパートが建つのですね」


「いや、建ちません」


「え、じゃあ何もないですよね?」


「ありますよ。ほら、よく見てください」


「?」


「地面に小さな穴が空いているでしょう」


「はい、空いてますね」


「それです」


「あの、これはアリさんのお家です。人間の住むところではありません」


「まあまあ、よく話を聞いてください。希望条件に合うかもしれませんよ。ほら、条件を言ってみてください」


「……陽当たりはどうですか」


「最悪ですね。光はまったく当たりません」


「風通しはどうですか?」


「最悪ですね。風はまったく通りません」


「湿気がこもるところは嫌なのですけど」


「最悪ですね。湿気はこもる一方です」


「バストイレは別がいいですが」


「バスもトイレもありません」


「……ですよね。まったくダメじゃないですか」


「まあまあ、よく聞いてください。ここはなんと家賃がとてつもなく安い。先住者のアリさんたちに毎日、角砂糖を一つ提供するだけで結構です。敷金礼金も格安です」


「敷金礼金を取るのですか……?」


「なにか問題でも?」


「問題しかないですよ。そもそも中に入ることすらできないじゃないですか。内見なのに中を見ることさえできないという時点で、すでに完全アウトだと思うのですか」


「中を見ることはできますよ」


「どうやって?」


「ファイバースコープをお持ちしました」


「あなたが用意するべきものはアリさんの巣を覗くためのファイバースコープではなく、人間が住むためのお家ですよ」



***



 アリさんの巣を離れた私たちは、雑木林の中を歩いていました。こんなところに賃貸アパートがあるとは思えないのですが……。


「あの、不動産屋さん」


「なんでしょう、お客さん」


「さっきからスズメバチさんがたくさん飛んでいてとても怖いのですが」


「まあ、お気になさらず。刺されたらとても痛いですけど」


「はい、刺されたら痛いからとても気にしているのですが」


 はちの羽音も気にせず、不動産屋さんのおじさんは道なき道をどんどん進みます。私は蜂の羽音にびくつきながら、おじさんのあとを恐る恐る追います。


 スズメバチさんたちの警戒が厳しくなり進めなくなったところで、不動産屋さんは足を止めました。


「まさかここですか?」


「はい、ここですよ」


「ここにアパートが建つのですか?」


「いや、建ちません」


「スズメバチさんの巣しかありませんけど」


「立派なお家でしょう」


「確かに立派ですけども」


 私はこれまでスズメバチの巣を直接見たことはなかったのですが、スズメバチ駆除の様子はテレビで何度も見ていたので、その『楕円形で独特の紋様のある巨大で茶色の塊』がスズメバチの巣であることは一目見て判りました。


「どうぞ、ファイバースコープをお渡ししますので、好きなだけ中をご覧になってください」


「刺されます。というか死にます。もしかして、大変失礼ですけども、あなた馬鹿なんですか?」


「はあ、内見に来られたのに中も見ずに文句を言われても困るのですけども、お嬢さんはクレーマーですか?」


「そのファイバースコープを貸してください。あなたの耳の奥深くまで突っ込んで、脳みそをぐちゃぐちゃにかき混ぜます」


「まあまあ、ここが気に入らなかったのは理解しました。違う物件をご案内しましょう」



***



 雑木林をさらに進みます。すると目の前に大きなクモの巣が現れました。


「注文の多いお客様。ここが次の物件ですよ」


「注文したものを出さない不動産屋さんレストランにそんなことを言われる筋合いはありませんが……わあい、立派なお家ですね」


「そうでしょう。それにほら、風通しの良いお部屋がご希望だったでしょう?」


「屋根と壁と床と天井と玄関と窓とキッチンとバスルームと洗面台とトイレと収納スペースがある前提で言えば、そうですね」


「このように──風が良く通りますし、お嬢さんのご期待に沿えることができるかと」


「風通しが良いという意味は『風を遮るものが何もない』という意味ではないですよ、おじさん。屋根と壁と床と天井と玄関と窓とキッチンとバスルームと洗面台とトイレと収納スペースと水道ガス電気をすべて用意してから、風通しについて語ってください」


「本当に注文の多いお客様ですね。そんなものなくても、クモさんは快適そうに過ごしているじゃないですか」


「クモさんも仕方なくここに巣を張っているだけで、屋根のある場所の方が快適だと思ってますよ、たぶん。だいたい私がクモさんの巣に乗っかったら、どうなるか分かりますよね?」


「ハンモックみたいにビヨーンってなるのでは?」


「なるか馬鹿。一瞬で崩壊しますよ」


「その場合、敷金はお返しできませんね」


「いやだから、野生の虫さんのお家を紹介しているだけなのに、その敷金はなんなんなん? あなたの立場はなんなんなんなん?」





【続くけど終わり】

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【KAC20242】虫さんは可愛らしいですけど、一緒に住むことはできませんよね。 猫とホウキ @tsu9neko

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