第52話 ご開帳

闇の中、大名屋敷の門前にひときわ大きな提灯ちょうちんが長い竿さおかがげられた。

この高張提灯たかはりちょうちん輪違わちがいの紋が浮かびあがる。

龍野たつの中間ちゅうげん屋敷の賭場とばが開場された。

門前にできた行列に辰次たちが並ぶ。


「今から客入れるみたいだな」


辰次は前のようすをうかがいながら横にいる連れをみた。


「おまえ、ほんとうにその格好でいくのか?」


朱鷺は、出会った最初の頃と同じ『尼』の姿をしていた。

というよりも、さらに頭巾をかぶり込んで顔すらみせない。


「それ、さすがに見えづらいんじゃねーの?」

「問題ありません」

「お前がいいってんなら、別にいいけど。にしてもまぁ、ならんでる人間、どいつもこいつも貧乏人って面じゃねえな」


行列にいる人間は、みな金持ちの特徴をもっていた。

辰次の目の前にいる老人もそうだ。

老人は身なりがよく、付き人らしい青年に黒い箱をかつがせている。

ジャラリ、とした金属がすれる音が黒い箱からもれた。

千両箱だなと辰次はおもった。


「あ、そうだ金」


辰次は思い出したように、尼もどきの娘にたずねる。


「おまえ、金もってる?」

「はい、金の小判百枚ほどあります」

「は!?百両?」

「ああ、世間ではそういうふうに呼ぶのでしたね」

「……いつもそんな大金をもち歩いてんのか?」

「百枚は大金になるのですか?」


金持ちの箱入り娘め、とこっそりつぶやく辰次。


「辰次さんは?おいくらお持ちですか?」

「俺はさっき牢から出てきたばっかだぞ?金なんかあるわけねーだろ」


身なりも汚く、金もない辰次は堂々としていた。

さすがの朱鷺も何か思うところがあったのか、小さな口を開けて少し固まっていた。


「……わかりました。わたしのこの百両を賭け金につかいましょう」


だが、百両では足りないと辰次は感じていた。

勝負相手の武士たちのうち赤松は、ご利益札の貸し代金月々百両を安いといっていた。

さらにこの賭場に並ぶ客たちはそれぞれが黒い千両箱を抱えている。


(百両くらいじゃ、ヤツらはこっちの勝負にのってこねえかもしんねえな)


行列が動いた。

足りない博奕資金をどうするか考えてるうちに、辰次たちは賭場の入り口にいた。

とりあえずなかへ入ろうと、辰次が土間で草鞋わらじを脱ぐと男にとめられた。


「そこのヤツ。ちょっと待て」


男は賭場の人間らしく、がらの悪い武士だった。


「ここは、てめェみたいな小銭稼ぎするガキがくるトコじゃねえぞ」

「ああ゛?金ならあるっつうの。なあ?」


辰次がとなりの朱鷺をみると、男は眉をひそめた。


「尼さん連れて賭場ぁ?てめェ、ふざけてんのか?」

「はあ?コイツ尼じゃねーし」

「嘘いうな。どっからどうみても尼さんの格好じゃねーか」


辰次は舌打ちした。

彼女が尼かどうかを論争するほど無駄な時間はない。

とにかく辰次は、この尼もどきの娘を連れて賭場に入らなければならないのだ。


「別に尼さんのひとりやふたり、ちゃんと博奕遊びすんなら賭場に入れたっていーじゃねかよ」


辰次は口まかせに突破をはかってみた。

しかし、男は意外にも信心深かった。


「いや、賭場に尼さんはダメだろ」

「いや、別に尼さんくらい賭場にいいだろ。尼さんだって、遊びたいときあんだから」

「いや、だから。賭場で尼さんが博奕遊びはダメだって」


がんとして入れさせまいとする男に辰次はイラついた。


「いい加減にしろよ!こっちはきゃー」

「客だぞ!」


そう叫んだのは、先ほど辰次の前にいた老人に付き従っていた青年であった。

辰次の横で、青年は賭場の人間らしき武士へとくってかかっている。


「これは我が家の家宝だ。こんなところでお前のようなヤツに預けられるか!」


青年は懐に短刀をおさえ、わきに黒い箱を抱えている。


「そうはいわれましてもね。賭場で刃物は御法度ごはっとですよ、お坊ちゃん」

「おぼっ……!?貴様、無礼だぞ!私を子供扱いするな!」

「そりゃ失礼しました。でもね、子供じゃないってんなら、わかってくださいよ。どのお客さんでも例外なく刃物の持ち込みは禁止です。ここで預けられないってんなら、賭場に入るのはあきらめてください」


青年は主人である老人をふりかえりみた。

老人が無言で顔を左右にふった。


「……ちゃんと丁寧に管理して返すんだろうな?」

「ええ、もちろんです」


青年は渋々と短刀を手放した。


「こちらの紙に名前を書いてください。それを名札として刀につけておきますから」


青年が筆をとった。

辰次はなんとなく青年が名を書く様子をながめて、眉をひそめた。


「すてうま?変わった名前だな」


辰次はついおもったことが口に出てしまった。

青年が辰次を鋭くにらんできた。


「私の名は、捨馬すてまだ!」

「あ、そう読むの?」

「貴様。いい年して、漢字もまともに読めんのか?」


おそらく同年代であろう青年から小馬鹿にされ、辰次はカチンときた。


「捨てるに馬って書かれてりゃ、普通はそう読むだろーが。まぎらわしい読み方にしてんじゃねーよ」

「この字は!父上が決めてくださった、れっきとした古式ゆかしい字だぞ!」

「ヘェ、お前の父ちゃんがつけたの?捨てた馬なんて縁起えんぎ悪い名前、よく息子につけたもんだな」

「なんだと!?我が父を侮辱ぶじょくするか!?」

「してねーよ、むしろ感心したわ。息子にそんな面白い名前つけるなんて、洒落しゃれがきいた親父だな」

「なるほど、よくわかった。貴様は私を馬鹿にしてるんだな!?」

「おいおい、落ち着けって。名前読み間違えたくらいで、そこまでカッカッすんなよ」

「読み間違えたくらい?」


捨馬は小さく鼻で笑った。


「学のない馬鹿がいいそうなことだな」

「ああ゛?」

「私の名はさほど難しい字ではないぞ。10歳になる私のいとこですら一発で読めた。それを大人の貴様が読めないなど、あきれるわ」

「んだとォ?」

「自分の名前はどうだ?ちゃんと書けるのか?」

「書けるわッ!」


辰次は捨馬から筆をひったくり、目に入ったてきとうな紙に名前を書き始めた。


「俺の名前はなァ、たつっつう、馬とはぜんっぜん違う、デカくて強い生き物になあ、ってゆう、親父の名前からひとつもらってー」


唐突に、辰次は『名前』をもらった日のことを思い出した。

自分の名前の漢字が書けないし、わからなった幼い辰次。

そんな彼に一色親分が字をつけてくれた。


「辰は、でっかくて強い龍。は俺の名前、忠から。一色いっしき辰次たつじ。どうだ?かっこいいだろ?これで、お前はこの一色家の子、俺の息子だ」


記憶の中の一色親分が、嬉しそうに笑って幼い辰次の頭をでた。

捨馬はいきなり大人しくなった喧嘩相手に眉をひそめていた。


「おい、急に黙っていったいなんだ?」

「なんでもねーよ……辰次だ」

「は?」


あらためて自分の名前をかみしめる辰次。


「辰次。それが、親父からもらった俺の大事な名前だ」

「なるほど、辰次くんか」


そういったのは、捨馬の主人である老人だった。


「名はたいあらわす」


老人は若者たちへことわざいた。


「物であれ、人であれ、名はそのものの本当の姿を表現する。だから、人は名前に願いをこめる。辰次くんの父君ちちぎみが、君の名へ辰のごとく強い息子にと願ったように、捨馬の名にも彼の父親の願いがこめられているんだ」


老人は『捨馬』の意味を辰次へ教える。


「捨馬のは、仏の教えのひとつ、心の平静をあらわす『しゃ』だ。そして馬は、武人を表す。常に冷静な武人であれ。そんな息子への期待と望みをこめ、彼の父が捨馬という漢字を選んだんだ」

「ふーん」


辰次は感心して、捨馬の方をみた。


「なんか武士みてえな考え方してんな、おまえの父ちゃん」

「……」


捨馬は口をつぐんで沈黙していた。

老人が続ける。


「たしかに彼の父は武士に相応ふさわしい立派で真面目な男だ。捨馬も父親のように真面目な子なんだけど、それがたまに欠点になってしまってね。今みたいに、よけいに他人とめてしまうことがあるんだ。すまなかったね。どうか、大目おおめにみてやってくれないかい?」


老人の穏やかな口調と柔和な態度に、辰次は毒気がぬけていた。

喧嘩腰をやめ、好意的に老人へ接する辰次。


「別にいいよ。俺の方は揉めたなんて思ってねえしな」

「それはよかった。いやあ初めての賭場で喧嘩けんか沙汰ざたにあうかとおもって、ヒヤッとしたよ」

「へえ。じいさん、今夜が初めての博奕遊びなのか?」

「実はそうなんだ。こんな歳でおかしいだろ?」


老人は顔つきから50代半ばにみえる。

だが、背筋はまっすぐと伸びていて、どこか品の良さもあり、まさしく金持ちのご隠居いんきょといった風であった。


「私は、今まで仕事ばかりしていた人間でね。浮世での遊びらしいものを経験したことがないんだ。それがやっと今、引退して時間ができた」

「それで博奕遊びか?」

「うん。どうせ余分な金をもてあましてる残り少ない人生だからね。パァっと派手に、使っちゃおうかなって」

いきなことすんじゃねーか、じいさん」

「そうだろ?」


茶目っ気を見せるような笑みを浮かべたご隠居。


「君は?博奕遊びをよくするのかい?」

「まあな」

「それなら、私に遊び方を教えてくれないかな?みてのとおり、博奕の素人しろうとだ」


辰次はチラリと捨馬が抱えている黒い箱をみた。

悪童の笑みが辰次の顔に浮かぶ。


「いいぜ。なら、その千両箱を俺たちに全部けてみろよ」

「君たちに?」


ご隠居が盲目めくら娘に視線をむけ、不思議がる表情をうかべた。


「俺たちはこれからこの賭場で大勝負をしかける。その千両箱を倍、いや三倍に増やしてやるぜ?」


主人の千両箱が狙われているとあって、捨馬が怒ったように割って入った。


「貴様ら、自分たちに金がないからご隠居の金を狙ってるんだろう!そんなみえすいた手に誰が引っかかるか!」


ご隠居はあごをなでながら、辰次の顔を興味津々にながめている。


「辰次君は、なかなか面白い目つきをしているね」

「ご隠居?」

「いいだろう。持ってきたありがね、全部、君とこちらのめくらのお嬢さんに賭けてみよう」


主人の決断に捨馬は慌てふためいた。


「なっ、何をおっしゃってるんですか!?」

「まあ、これもまた浮世での一興いっきょうだ」


ご隠居はニコニコとして悪童とめくら娘について行った。

とんでもない夜になりそうだ、と捨馬はおもいながら主人の後に続いて賭場へ入った。

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