第51話 宵口 

辰次は牢屋敷内の高いへい沿いを歩かされている。

牢屋の場所から遠ざかっているのに気づいた。


「おい、どこ行くんだよ?」


辰次の問いかけに、同心の男は急に立ち止まって口を開いた。


「今夜とらえられた博徒たちのなかで、一番若く、背の高い、目つきがとびぬけて鋭い男」

「……は?」

「一色辰次。で、あっているか?」


辰次は動揺した。


「なんで、しってー」


しまったとおもい、辰次は口をつぐんだ。

男はこちらをむいている。


「あ、あって、い、いるか?」


男の言葉がどもった。

この男はようすがおかしいと辰次は気づいた。

男はろれつは回っていないうえに、顔色が青白く、目がうつろであった。


「あ、あって、いるな?い、一色辰次」

「……だったら、なんだよ」


男は目の前にある扉を開けた。

牢屋敷内から外への通用口である。


「でろ」


困惑する辰次の背中を男がおした。

辰次は牢屋敷の外に出た。


「これは、どういうつもりだ……?」


男は無言で辰次にかけられた縄をほどくと、牢屋敷のなかへとさっさと戻っていった。

辰次は何が起こったのかわからない。

ただ呆然と閉められた扉と高い塀をながめている。


「辰次さん?で、あってますか?」


澄んだ鈴の音のような声に呼ばれた。

ふり返ると、白い頭巾ずきんに長い紫の上衣うわぎをきた女がいた。

彼女がおもむろに頭巾をとる。

朱鷺だった。


「おまえ、なんでここに……?」

「親分さんが、辰次さんが牢屋敷にいては命が危ないと。だから……」


朱鷺は顔をややうつむかせた。


「だから、わたしがきました」


最初、彼女の言葉の意味がわからず辰次は眉をひそめた。

だがすぐに、この娘が何であるかを思い出した。


「……そうか、おまえは神の使いだったな」


神の使いは人間にできないようなことができるんだと辰次は考えた。


「俺の縄をほどいて逃がした男。あの男、なんか変だった。おまえがなにかしたのか?」

「……」


朱鷺は沈黙して辰次の問いには答えなかった。

彼女が頭をあげ、まぶたの閉じる顔を辰次にむけた。


「……おまきさんが、大変心配しています。辰次さん、いますぐに家へ帰るべきだとおもいます」

「帰る……?」


家のある浅草の方向を辰次はみた。

しかし、すぐさま後ろにある高く白い塀をふりかえりみる。


「叔父貴たちは、まだこのなかにいる。なのに俺だけ家に帰る?そんなこと、できるわけねえだろ」


辰次は爪が食いこむほどきつく拳をにぎりしめた。


「どうして!なんで俺だけ助けた!?」


朱鷺へむかって叫びはじめる辰次。


「勝手なことしてんじゃねェよ!こんなの、ぜんぜん嬉しくねェよ!俺ひとり助けたって、何も解決しねェ!まったく意味がねェんだよ!」


宵口よいぐちの冷めた空気に辰次の怒声は響いた。

朱鷺は静かに首をかしげていた。

彼女は不思議そうに、辰次がいきどおる姿をまぶたの裏からながめているようだった。


「辰次さん、怒ってるんですか?」

「そうだよ!んなこと、顔がみえなくたって声でわかんだろッ!?」

「でも、わかりません」

「ああ゛!?」

「辰次さんが、何にたいして怒ってるのか、よくわかりません」

「それは……っ!」


辰次が言葉につまる。


「辰次さんは、わたしに怒ってるんですか?」


彼女の言葉に、辰次は強くにぎった拳をだんだんとゆるめる。


「……ちがう」

「では、何に怒っているのですか?」


真正面にいる朱鷺から辰次は顔をそむける。


「……俺だ」


辰次の全身から力がぬけた。

彼は後ろの塀にもたれ、ずるずるとしゃがみこんだ。


「俺は、俺にたいして怒ってる」

「どうしてですか?」

「あんだけ親父にえらそうなこと言っておいて、結局はまんまと罠にハマった。それで牢屋敷にぶち込まれた自分自身が、情けなくて腹が立ってるんだ。ほんと最悪だよ」


辰次は視線を下へとむけた。

頭のなかでは牢屋敷での出来事がよみがえってきている。


「もっと最悪なのは、牢屋敷にぶち込まれてからだ。クソみてぇな牢屋と拷問道具みせられて、怖いと、恐ろしいとおもった。拷問をうけて、正気でいられる自信がなかった。牢屋に入るのも、心底いやだとおもった。拷問で死ぬか、牢屋で死ぬか。どっちも嫌だ、どうにかして助かりたいと考えていた俺は、牢屋敷の外へ出れた……ホッとした」


辰次は地面を殴りつけた。


「安心してんじゃねェよ、馬鹿が!」


辰次は自分の心が、一瞬でも恐怖に負けたことを恥じていた。


「俺はけっきょく、覚悟なんてできてなかった。親父の言うとおり、ただのクソガキだったんだ。ちくしょう……」


くやしさに顔をゆがませ、辰次は下をむき続ける。


「俺は叔父貴たちにも、親父にも、母さんにも、会わせる顔がねーよ。こっから俺は、いったいどうすりゃいいんだよ……」

「辰次さん」


辰次が顔をあげると、朱鷺の背後に半分になった月が出ていた。

日は暮れ、夜がはじまっている。

ふと、辰次は彼女と出会った夜を思い出す。

ただし、あのときとちがって彼女は顔をさらけ出している。

そのせいか辰次の目に朱鷺は、あの夜とちがってみえた。

こちらをむいて、ちょっと首をかしげている彼女はとても幼い女の子のようにみえた。


「いま、まだこまってますか?」

「……え?」

「困ったときはお互いさま」

「それが、どうした?」

「それを、やったつもりだったんです」

「は?」


朱鷺はたどたどしく言葉をしゃべった。


「わたしができる範囲で、たすけてあげられる人間。親分さんが、世の人間たちはそうしてるって。でも、うまくできなかったみたいです。辰次さん、怒ってるんですよね?」

「いや、それは……」


辰次の怒りはすでに萎えていた。

口ごもる辰次に、朱鷺はどこかため息でもつきそうな雰囲気だった。


「人の心って、やっぱりむずかしいのですね。辰次さん。教えてください。辰次さんに何をすれば、正しい『困ったときはお互いさま』になるのでしょう?どうすれば、わたしは、この世の人たちと、おなじようにできますか?」


そんなこと考えるなんて、この娘はやっぱり頭がおかしいなと辰次はしみじみと思った。

でもそんな彼女が面白いと思う自分も十分おかしいのだろうとも感じた。

辰次は苦笑するような笑みをうかべた。


「やっぱりわけわかんねー女だな、おまえ」


辰次の頭が冷静さをとり戻した。

自分の本来の目的を思いだし、現状の把握をする。


「……賭場荒らしてた、龍野藩の武士どもと喧嘩しに亀戸村へ行ったら、神崎と神使の蛇がいた。アイツら龍野藩の武士どもと組んでるみてーだ」


朱鷺の雰囲気が引きしまった。


「亀戸村というと、二日前に行ったあの神崎の家でしょうか?」

「ああ。今さら行ったこところで、もういないと思うけどな」

「それでもこれで確信がもてました。神崎政輔と神使の蛇は、龍野藩の屋敷にいる」

「ああ、そこでだ」


辰次はたった今、思いついたことを口に出す。


「おまえの眼、俺に貸せ」

「……それは、どういう意味ですか?」

「俺は、神崎をふくめてあの武士ども全員に仕返しがしたい」

「喧嘩を売るんですか?」

「ああ、博奕ばくちでな」

「博奕?」

「龍野藩の屋敷で開かれているっつう賭場いって、ヤツらに博奕勝負をしかける。でも、アイツらは神さまのご利益札を持ってる」


ご利益札をもつ武士たちに、博奕勝負を普通に挑んでは負ける。

それは辰次もわかっている。

だからこそ、辰次は朱鷺の特殊な両目の力を借りようと考えた。


「でもおまえの両目は、壺のなかにあるサイコロを見ることができるんだろ?」

「……つまり、わたしに目を開いて博奕勝負をしろということですか?」

「そうだ」


朱鷺が考え込むようにだまった。


「神崎たちは、奉行所にうその訴えを出して叔父貴たちを牢屋にいれたんだ。博奕勝負でヤツらを負かして、その訴えを取り下げさせる。そうすりゃ、叔父貴たちは解放されるはずだ」

「……牢屋に入っている人たちは、親分さんがどうにかすると言っていました」

「いくら親父だって牢屋に入った人間をすぐに出すことなんかできねーよ。朝までになんとかしねーと、叔父貴たちはひどい拷問にかけられちまう」

「……ですが、わたしの目はー」

「おまえ、さっき言ったよな?『困ったときはお互いさま』ってのを正しくやりたいって。だったらこれがそうだ。おまえの目の力、俺に貸せ」


朱鷺はずいぶんと悩んでいるようだった。

長い沈黙のあと、彼女はようやくうなずいた。

遠くで時刻をしらせる鐘が鳴る。

夜の入口である宵口(午後八時ごろ)から、ほんとうの夜へとすすむ。


「時間だ」


辰次は全身に力をこめ、ふたたび立ち上がった。

あざだらけの体が痛い。

けれど辰次の血は、心はたぎっている。

辰次の口には笑みが浮かび、目つきにも鋭さが戻ってギラギラと光っている。


「賭場はもう、ご開帳かいちょうされてるはずだぜ」


博徒の世界でご開帳は、賭場が開かれることを意味する。


「さぁ行こうぜ、神の使いサマ。浮世で一発逆転ねらった博奕勝負の大喧嘩だ」


神の使いと悪童は、すべてをけて最後の勝負へとむかった。

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