第43話 輪違いの家紋

一色親分が家に帰ってきた。

一色親分が客間で煙管きせるをふかして一服しているところへ、辰次が朱鷺をともなって入ってきた。


「親父」

「オウ、おめぇか」

「戻ってくンの早かったな。来週まで帰ってこないかと思ってたぜ」

「祭りの準備しなきゃなんねえからな。浅草寺の俊応殿だけじゃなく、町のヤツらとも打ち合わせしなきゃなんねぇんだ」


一色親分は町の顔役として、祭りを取り仕切る役割も担っている。


「そういや、おトキちゃん。お兄さんには会えたかい?」


朱鷺は辰次と打ち合わせした筋書きをはなし始めた。


「実は兄には、会うことができませんでした。近所の人たちに聞いたところ、どうやら兄は博奕ばくちにハマってしまっていて、家に帰ってきていないらしいのです」

「なにっ!?」


一色親分はどこか申し訳なさそうな表情をした。


「博徒の俺がいうのもなんだが、お兄さん、悪い遊びをおぼえちまったな。家に帰ってこねえってことは、どっかの賭場に入りびたって寝泊まりしてんか?」

「そうらしいです」

「その賭場の場所はどこか、聞いたかい?」

「場所はわかりません。ただ、輪っかが二つの家紋がはいった提灯がさがる、お城近くの大名屋敷とだけ……」

「ふむ、輪っかが二つの家紋の大名屋敷か」


一色親分は煙管をそばにある火鉢へ軽くぶつけ、火種を落として煙草たばこを消した。


「そりゃあ、もしかして輪違わちがいの家紋のことか?」

「輪違い?」


一色親分は火のない火鉢、灰のうえに指で絵をかいてみせた。

盲目めくらの娘へではなく、首をかしげている辰次の方へみせている。


「輪っかが、二つならんで重なる。これが輪違いの家紋だ。この家紋を使っている大名家は有名なのだと龍野藩たつのはん脇坂わきさか家がいる」

「たつの、藩?」


大名のもつはんという組織。

その藩につけられる名は、大名のおさめる領地の地名からとられる。

辰次は大名の名前よりも、聞き覚えのない地名に首をかしげていた。


「たつのってどこだ?」

「龍野は西です、辰次さん」


めくら娘は辰次より地理にあかるいらしい。


「西?京よりもか?」

「はい。播磨灘はりまなだという海に近い場所だったとおもいます」

「ふうん。ま、どっちにしろド田舎いなかか」


江戸近郊以外はすべて田舎であり、文明文化が遅れていると辰次はおもっている。

そんな息子の考えを見透かし、一色親分は顔をしかめた。


「おめぇはもっと広い目で世の中をみろ。龍野という場所は、たしかに江戸という大きな町と比べれば、地方の田舎で格下だ。だが、龍野藩自体はちがう。幕府からみれば、200あまりある藩の中でも格上の藩。なぜなら、龍野藩のあるじ、大名脇坂安宅やすおりもと老中ろうじゅうだ」

「げぇっ!?老中?」


辰次は苦い顔をみせた。

一方で、朱鷺の反応はにぶかった。


「老中とは幕府の政務をとりしきる人間、であってますか?」


老中をしらないようすの彼女に親子はおどろいた。

しかし、一色親分は盲目の娘が世間を知らないのは仕方ないとおもったらしい。

盲目めくら娘に世の中の仕組みをやさしく説明しはじめた。


「老中というのはな、将軍に代わって政策を実行する役職だ。大名のなかから、四、五人ほど選ばれるんだ。この老中たちが、事実上この国を動かしている最高権力者といってもいいだろうな」

「では、その最高権力者のうちの一人が、輪違いの家紋の大名、脇坂という人間なのですね?」

「去年までな。例の桜田門で老中が暗殺された事件。あの騒ぎの影響で脇坂は辞職してる」

「老中が暗殺?そのようなことが去年あったのですか?」


それも知らないのか、と辰次はおどろいて口を開いた。


「俺でも知ってんぞ、その事件。朝早くに城の近くで、老中が浪人に襲われて斬られて死んだって。事件の後しばらくは江戸中どこ行ってもその話でもちきり。事件を知らないヤツなんざ、どこにもいなかったくらいだぜ」

「老中の暗殺なんて今まで聞いたことがなかったからな」


一色親分が事件の詳細を話しだす。


「しかもよく聞けば、下手人は武士だって話じゃねえか」

「あれ?浪人じゃなかったけ?」

「藩をやめてでてきた、脱藩浪人だっぱんろうにんってやつらしい」

「はあ?なにそれ?」

「おまえがいうところの、地方の田舎侍ってやつだ」

「ってことは……その田舎侍が天下の幕府の老中を殺したってのか?」


さすがの辰次も事件がどれほどとんでもないことだったのかを理解した。


「武士を辞めて?わざわざ職なしの侍になってまで?そんなに、その老中を殺したかったってのかよ?」

「暗殺された老中、井伊いい直弼なおすけはずいぶんと国中の武士たちをいじめてらしいからな。いろんなとこから恨みかってたらしい」


辰次は首をひねる。


「いじめるって。何だってそんなことしたんだ?」

「さあな。ま、庶民の俺たちにゃあ、よくわからねえ政治ってやつだろ。とにかくだ。老中が殺されるなんてのは幕府の恥で大失態だ。同僚だった同じ老中の脇坂安宅は、そうなってしまったことの責任をとって、老中を辞めた。それが世間でのはなしだよ」


一色親分は腕を組みながら真面目な顔で続ける。


「脇坂安宅という大名は、歳は俺と近い五十そこそこ。長年幕府で重役をこなしてきた、やり手の政治家ってやつだ。老中辞めてからは、隠居して領地の龍野に引っ込んだと聞いた。だからいま、江戸にあるヤツの屋敷には家臣たちしかいないはずだ。それでも……大名脇坂家の龍野藩の屋敷で賭場が開かれているなんて話、俺はいままで聞いたことねえぞ?」

「殿さまいないから、家臣どもが好き勝手してんだろ」

「馬鹿。金に困ってるような弱小大名の藩ならともかく、脇坂は元老中の大名で、政治家だっつったろ。将軍の城の目と鼻の先にある自分の屋敷で、幕府の御法度違反である賭博を許すはずねえよ」

「だーかーらっ!いま、その殿さまいないんだろ?親父がどう考えようと、その輪違いの家紋、脇坂ってゆう大名の屋敷で賭場が開かれてるって話を聞いたんだよ。神崎はー」


辰次は横にいるめくら娘を指さす。


「コイツの兄貴はそこにいるんだ。とっ捕まえて引きずりだしてくっから、その脇坂の大名屋敷はどこだか教えてくれよ」


せかしたてる息子に一色親分は眉をひそめる。


「なんだおめえ、そんな意気込んで。喧嘩でもしにいく気かよ」


一色親分は煙草ぼんをひきよせた。

彼は話題に半分興味が失せたようだった。

一色親分はつまらなそうな顔をして煙草の葉を煙管につめながら、脇坂の大名屋敷の場所を教える。


「脇坂の屋敷は二つある。どっちも城の南側、芝口しばぐちの方だ。賭場が開かれてるとすれば、芝口しばぐち新町しんまちにある屋敷の方だろう。そっちの方に中間部屋があるはずだからな」


喧嘩相手の居場所がわかった。

今すぐにむかおうとし、辰次は腰をうかす。

そこへ、まきが入ってきた。


「おまえさま」


まきは浮かない顔をしていた。

経験上、一色親分は何かよくないことだと直感して顔をひきしめた。


「何かあったか?」

「虚弥蔵たちがいま、おまえさまを訪ねてきてて……」


ドタドタと、大人数の足音がやってくる。


義姉ねえさん、悪いな。勝手にあがらしてもらったぜ」


虚弥蔵が男たち十人前後を連れて入ってきた。

辰次は浮かしかけた腰をおろして姿勢をただした。

一色親分はせっかく火をつけた煙管を火鉢に打ちつけて火種を落とす。


「おめえら……」


舌打ちをして、一色親分は入ってきた面々をめつける。

彼らは浅草で親分として縄張りを張る男たちであり、一色親分の傘下の男たちでもある。


「こんどある祭りの相談って面じゃあなさそうだな」


どの男たちも、張りつめてけわしい面持ちであった。

部屋のなかに重圧感がただよいはじめる。


「おトキちゃん」


まきがそっとめくら娘の手をひいた。


「あっちにいってようね」

「おまきさん?」

「男の人たちだけで大事なはなしがあるから。女のアタシたちは邪魔になっちゃうからね」


部屋の様子が気になりながらも、朱鷺はまきに手を引かれるまま部屋をでた。

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