第42話 約束とお礼
辰次が神使たちを連れてきたのは地域住民たちの野菜畑だった。
しかし畑といっても町中にある小さなもので、高い木の塀に囲われ扉に鍵がかかっている。
つまり、関係者以外は立ち入り禁止の畑である。
もちろん鍵などない悪童はこっそりと入り込む方法を持っていた。
「たしか、ここらへんだったはず……」
辰次は木の塀の板を2、3枚つかんで上へずらすように引きあげた。
なかへ入る抜け道があらわれた。
悪童が自慢げに昔のイタズラを神使たちへ明かした。
「ガキの頃、ここが建てつけ悪いって見つけてさ。それで、大工の息子のダチがこうやって細工したんだよ。まだ残ってるとはな。まだ誰も気づいてねぇってことだな」
こうしてまんまと辰次たちは畑にズカズカと入った。
「野菜だったら、なんでもいいだろ?」
辰次はてきとうに目に入った土にうわっている野菜を引っこ抜いた。
10本ほどのにんじんの山が子ウサギの前にできあがった。
「こんなにたくさん……!」
赤い両眼を輝かしながら子ウサギはにんじんの山と辰次を見比べている。
「ほんとに、ボクにくれるんですか?」
「オウ。好きなだけ食え」
子ウサギはにんじんの山に飛びついた。
「ボク、こんなにいっぱい食べ物をもらうの生まれて初めてです!」
うっとりとして、にんじんを幸せそうに頬張る子ウサギ。
だが、突然もらった宝の山に圧倒されているようでもあった。
「でもぜんぶ、食べれるかなあ?」
「食いきれなきゃ持って帰ればいいだろ」
「え、いいんですか?」
「残ったら抜いたのバレるしな。かといって、また埋めなおすのもめんどくせえし。あ、でもおまえじゃ無理か」
四足歩行の子ウサギではどうやったって、にんじん2本くらいくわえて帰るのがせいっぱいだろう。
しょうがない、と辰次はちょっとした親切心をみせた。
「どうせ近所だし。お前ん家、いや神社か。そこまで、蛇捕まえたあとで俺が持っていってやるよ」
「ほんとですか!?」
ちいさな白いふわふわの体をウキウキとさせ、全身で喜びをあらわす子ウサギ。
その姿に辰次は小さく笑った。
近所のどこにでもいる馬鹿素直な子供。
そんなふうにこの子ウサギが辰次にはみえてきた。
「ああ、約束してやってもいいぜ」
「やったあ!ありがとうございますッ!」
他人の畑で子ウサギに餌をやりながら、辰次はとなりにいる大きなウサギにも尋ねてみる。
「おまえもいるか?」
辰次は冗談めかしていったが、朱鷺は言葉にままに受け取った。
「不要です」
「冗談だって。そんなまともに返すなよ」
「冗談?」
「おまえもこいつと同じで神の使いでウサギだろ?だから、おんなじもん好きじゃねーの?ってからかってみただけ。おもしろくなかったか?」
「なるほど、冗談とはそういうことですか」
「あ?」
「相手を笑わそうとふざけた言葉を使うということ。それが冗談なのですね」
真面目に返してくる朱鷺に、辰次はあらためてやりずらいとおもっていた。
会話というのは相手の感情を見ながらするのだが、辰次には朱鷺の感情が見えない。
そもそも辰次は彼女の気持ちというのが、出会ったときからまったく読み取れなかった。
それは、朱鷺がいつも抑揚の少ない口調で、石像のようにまったく表情を変えない女だからだ。
「ほんとわからん女だな……」
そうひとりつぶやきながら、辰次はズラした木板を戻して侵入した痕跡を隠した。
子ウサギはすでに帰っていた。
「俺たちもそろそろ家に戻るか」
「辰次さん」
「なんだ?」
「どうして、あの子ウサギへにんじんを与えたのですか?残りまで届けるという約束までして。なぜですか?」
「なぜって。別にたいしたことじゃねえだろ、にんじんやるくらい」
「辰次さんに利益がありません」
「利益って。そんな
辰次は小脇にかかえるにんじんの束をチラッとみた。
「たしかにあのウサギは役にたったような立たなかったような感じだったけど。ちゃんと聞き込みしにいっただろ?俺的にはそのお礼、っつうか駄賃みたいなもんをやってやった。それだけだよ」
「では、わたしも辰次さんにお礼を約束しなければいけませんね」
「は?なんの?」
「神使の蛇と神崎政輔をみつけて捕まえるということを手伝って頂いています。そのお礼を約束しておりません。どんなものがお望みですか?金銭ならば手持ちがあるので、言い値をおっしゃってください」
「いらね」
「え?」
「お礼なんてなもん、いらねぇよ。ましてや金なんぞ。そんなもん欲しくて俺は、
「喧嘩?」
「そうだよ、これは俺にとって喧嘩なんだ。賭場荒らしのムカつく野郎どもをボコしにいく。だから喧嘩相手をいっしょに探してる。そんだけだ」
「それは……江戸の皆さまがいうところの、困ったときはお互い様、ですか?」
「いいや」
悪童と呼ばれる男がニンマリと悪ガキの笑みを浮かべた。
「喧嘩相手おんなじなら、いっしょに喧嘩しにいこうぜってゆう、俺のきまり」
朱鷺は困惑した。
金なんかいらない、ただ一緒に喧嘩をしたいだけ。
そんな悪童の理屈が彼女にはわからなかった。
けれど、この理屈はきっと辰次だけのものだろうとも朱鷺は感じていた。
ついてこようとしない朱鷺を辰次はふりかえる。
「なんだ、まだ納得できねえのか?」
「……はい」
「わかったよ。じゃあ、お礼とやらもらってやってもいいぜ。でも、金以外だ」
「では、何が欲しいのでしょうか?」
「おもしろい冗談」
「え?」
「それと、おまえの愛想笑い」
「ええっと……どうして、それがお礼なのですか?」
「だって、おまえ、今日はけっきょく笑わなかったから」
朱鷺に笑顔を教えようとおもい、辰次は彼女を浅草奥山の見世物小屋へ連れてきた。
けれど、彼女はニコリとするどころかあまり楽しそうにもみえなかった。
「おまえにとって面白いのがなんなのか、もう俺にはわかんねえ。だから、おまえ自身が面白いっておもうのをみしてもらおうとおもってさ。それから面白い冗談には愛想笑いがつきもんだからな。真面目な顔しておもしろい話なんかできないだろ?」
辰次は完全に
「愛想笑いに、とびっきり笑える冗談。喧嘩終わるまでに考えとけよ?」
「……」
朱鷺は口を小さく開いたまま、完全に固まっていた。
無理難題にぶちあたってしまい困り果てている。
そんな彼女の心情がみてとれ、辰次はひそかに笑った。
また、初めて朱鷺の気持ちがわかったとおもい辰次は気分がよかった。
「楽しみだなあ、おまえのお礼」
彼女をからかうのが辰次は楽しくなっている。
「……あの」
「ん?」
「金の小判ではダメでしょうか?」
「だめ」
「……」
「約束だかんな。神の使いなんだから、ちゃんと守れよ?」
辰次とっては気軽な約束だったが、神の使いの彼女にはちがったようだ。
朱鷺は大真面目に深く考え込んでしまった。
おかげでその日いっぱい彼女は何を聞かれてもうわの空であった。
そんな彼女をみて、まきが病気じゃないかとたいそう心配した。
『お礼』でふざけすぎたかな、とちょっと辰次は後悔した。
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