第41話 矢場 二

辰次の足元で、一匹の白い子ウサギがはしゃいでいるように跳ねている。


「もういっかい!もういっかいお願いしまーす!」


子ウサギは器用に矢を口でくわえながら、朱鷺の前に二本足で立った。

辰次は眉をひそめながら彼女にたずねる。


「なあコイツ、あの神社で会った神使のウサギだよな?」


朱鷺は何も答えなかった。

彼女は無言のまま矢を受け取った。

そして、子うさぎへむけて矢をかまえた。


「うわあッ!?」


頭に矢尻を向けられ、子ウサギは仰天した。


「的はこっちじゃないですよ!あっちです!」


子ウサギは前足をバンザイにして、無抵抗の意思を示した。

それでも朱鷺は弓矢で子ウサギを狙い続けている。


「あなたの答え次第では、このまま射ちます」

「ええっ!?なんでっ!?」

「答えなさい。わたしが頼んだ仕事は?」


朱鷺はこの子ウサギに脱走神使の蛇についての聞き込みを頼んでいた。


「まさか、聞き込みをサボってここに?」

「ち、ちがいます!ちゃんとしてきました!それでご報告しようとおもって、トキさまを探しにここにきたんです!」


必死に訴えるようだった子ウサギの赤い両眼が、チラリと後ろの的をみた。


「そしたら面白そうなことしてるから、ついみちゃって……」


朱鷺が弓矢をおろした。

頭を狙っていた矢尻がなくなりほっとした子ウサギだったが、それでも安心できないらしい。

子ウサギは朱鷺からやや離れ、辰次の足元に移動してから話はじめた。


「よそ者の神使の蛇をお城の近くにある建物で見たっていう話を聞いてきました」

「お城?お城とは、江戸の中心にある、あのお城ですか?」

「江戸にお城はそれしかないですから、きっとそうだと思います!」


そこで辰次があきれたように口を開いた。


「いいか、神の使いども。そのお城は、天下の徳川の将軍サマが住んでいる家だ。その家である城、将軍サマを守るために、城の周りは武士どもの家でいっぱいなんだぞ?」


いまだ首をかしげている神の使いたちに、辰次は何が問題かをはっきりとさせてやる。


「つまりだな、そのお城の近くにある建物なんてのは犬の糞ほどたくさんあンだよ」


辰次は子ウサギをみおろす。


「もっと具体的な場所の名前は聞いてこなかったのか?町の名前とか方角とか。あとは目印になるものとかよ」

「えぇっと……提灯ちょうちんに輪っかが二つあるっていってました」

「はあ?提灯に輪っか?」

「はい、その建物の前には、輪っかが二つある大きな提灯がぶらさがってるらしいです」


辰次は首をかしげ、腕を組んで考えた。


「城の近くで、提灯がぶら下がってる大きな建物って……まさか大名だいみょうの屋敷か?」

「だいみょう?なんですか、それ?」


人間社会にうとい子ウサギは首をひねっている。

朱鷺が口を開いた。


「あなたは、武士という人間はわかりますか?」

「長い刀と短い刀を2本腰にさしてる人間の男たちで、殿さまとかいう人間に仕えているんですよね?」

「その殿さまというのが大名です」

「へー、殿さまが大名ってゆう人間なんですか」

「人の世では、殿さまと大名は同じ意味です」

「そうだったんだ。それで、その大名ってなにをしてる人間なんですか?」

「大名というのは武士でもありますが、有力者であり、領主でもあります。多くの大名は家臣として下級の武士たちを召しかかえ、はんという組織をもって、領地と庶民を支配して治めています」

「ふーん?なんか人間の社会って、たくさんの人間の種類がいて、ややこしいんですね」


子ウサギに人の世の仕組みは難しかったのだろう。

両耳はダラリとたれ、『大名』に興味を失なっている。

だが、辰次はちがった。


「おい、ウサギ。さっきいってた、輪っかが二つある提灯ってのは、大名家の家紋のことじゃねぇのか?」

「かもん?」


朱鷺がふたたび子ウサギへ説明をしてやる。


「人間たちが家柄や血筋を表すために使う図柄のことです。神社の鳥居や、建物にも彫られることがあります」

「もしかして葉っぱとか、笹の絵みたいなのですか?」

「ええ、それが家紋です。あなたが聞いてきた、提灯に輪っかが二つとは、提灯に入った家紋のことなのでしょう。輪っかが二つの家紋とする大名の屋敷に神使の蛇はいる。そういうことですね、辰次さん?」


辰次は難しい顔をしながら、舌打ちをした。


「……そうゆうことかよ」


先日、赤松という武士が宣伝していた賭場を辰次は思い出していた。

神使の蛇、ご利益札、神崎政輔、武士、そして大名屋敷。

これら全てが辰次の中で繋がった。


中間ちゅうげん部屋の賭場か」

「中間部屋?それは、屋敷で雑務などをする下級武士たちが専用に使用しているという部屋のことですか?」

「ああ。中間部屋につめる雑用係の下級武士は、世間じゃ中間って呼ばれてて評判はよくねえ。給料低いくせに、ヒマ持てあまして博奕ばくち遊びすんのが多いんだよ。やつら中間が博徒を招きいれて、中間部屋で賭場を開くってのはよくある話だ」

「主君である大名は、それを許しているのですか?」

「大名は屋敷を三つ持ってんだ。全国二百以上いる大名家のほとんどが、江戸に上屋敷、中屋敷、下屋敷ってもってる。大名である殿さまは、必ずしも屋敷にいるわけじゃねえ。主がいない方の屋敷で、家臣の武士どもは好きにやる、賭場も開くってわけだ」


辰次は中間部屋の賭場に出入りなどしたことはないし、大名屋敷の家紋にも詳しくはない。


「ここは親父に聞くしかねえな」

「親分さんに?」


博徒の親分であり浅草の顔役である一色親分ならば、中間部屋の賭場と大名家の家紋について詳しいはずである。


「明日、帰ってくるらしいからな。城の周りをやみくもに探すより、親父に聞いた方が早い。ということだ」


辰次は子ウサギをみおろし、手で追い払う仕草をする。


「てめーの用はすんだ。とっとと巣の神社に帰れ」

「お礼をまだもらってません」

「あ?お礼?」

「はい。食べ物です」

「中途半端な役に立たねえ情報持ってきて、なに生意気にお礼なんぞ要求してんだ?」

「でも約束です。神使との約束は、破ったらバチがあたりますよ」

「なんだコイツ。いっちょまえに脅してんのか?」


子ウサギといえど、相手が神の使いなだけに辰次は半信半疑になった。

朱鷺が腰をかがめ、子ウサギに向かい合った。


「約束は守ります。こちらがお礼です」


彼女は丸く黒い物体を手に乗せて子ウサギへとさしだした。

得体のしれないそれに、辰次がおもわず言葉をこぼす。


「何だそれ」

飢渇丸きかつがんです」

「……薬?」

「朝鮮人参などの生薬を基本材料とし、でんぷん類を加えた、栄養価の高い携帯食けいたいしょくです」

「なんかすんげぇ不味まずそうな食いもんに聞こえるのは俺の気のせいか?」

「持久力がつく利便性に優れた食べ物です。味は問題ではありません」

「ということは、まずいってことだな?これはあれか。おもってたより役に立たないコイツへの嫌がらせか?」

「いいえ?神使のお礼にはこれだと決まっているだけです」

「そうか。俺ならぜってぇ嫌がらせだって思うけどな」


子うさぎもそうおもってか、なかなか口にしようとしなかった。

しばらく匂いを嗅いでから決心がついたらしい。

子ウサギは黒い塊をパクリと食べた。

そして、両目をぎゅっと閉じて、ブルブルと身悶えしてうずくまった。

子うさぎが体を震わしている姿は辰次の同情をさそった。


「しょうがねえな。おまえら、ちょっとついてこい」


辰次は、神使のうさぎたちを連れて浅草奥山をはなれた。

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