第44話 亀戸大根

朱鷺がまきに手をひかれて連れてこられたのは台所だった。

いつもはよそ者だらけで騒がしい台所だが、本日は誰もいなく静まり返っている。


「あの、おマキさん。さっきの、男の人たちだけで大事なはなしって……」

「気になる?」

「はい。おマキさんは気にならないのですか?」

「気になるよ。でも、こんなのいちいち気にしてたら、あの人の女房は務まらないわ」


まきはやくざ者の妻としての矜持をみせる。


「男のひとたちの問題は、あの人たちがどうにかするもんで、アタシには関係ない。ただ黙って、いつでもご飯だけは用意してあげればいいの。さ、おトキちゃん。アタシにまたその可愛いおててを貸してちょうだい」

「お手伝いですか?」

「ええ。たくあんの仕込みをするの」


まきは朱鷺の手をにぎったまま、台所の座敷部分へ座る。


「ここにね、水を溜めた桶と大根があるからね。この大根を私が桶で洗って、おトキちゃんに渡すから、そしたらおトキちゃんは、この乾いた布で拭いてね」


まきが大根を桶にはった水へ沈め、たわしで泥を洗い落としていく。

朱鷺は乾いた布をもってぬれた大根を受け取った。


「これが、だいこんですか?」


朱鷺は盲目めくら娘らしくふるまって、両手で『だいこん』の形を確かめるようにさわっている。


「細長くて、ちいさいのですね」

「それはね、亀戸大根っていわれるものよ。ふつうの大根はもっと大きくて、霜月から師走の早い冬の間にとれるんだけど、この亀戸大根は今の時期、早春の弥生が旬なの。この間、辰次と亀戸ってとこいったでしょ?」


亀戸は神崎政輔の家がある場所で、浅草とは違い農村地域であった。


「アタシの実家、そっちなの」

「おマキさんのご実家が?」

「ええ、亀戸村っていってね。おトキちゃんがいったとおり、亀戸のあたり周辺ぜんぶ田んぼか畑。あそこら辺はみんな先祖代々から百姓ひゃくしょうなのよ」

「それは農民という階級の人間、ですか?」

「そう、それ。亀戸村にあるアタシの家は農民百姓でね。この亀戸大根、実家で作ってるものなの」


桶の中、糸瓜へちまのたわしで、まきは優しく撫でるように大根の泥を落としている。


「でもおマキさん、昔は芸者だといっていませんでしたか?」

「そうよ。百姓の娘が芸者になったの。別にめずらしくない話よ?」


まきは自身の半生をふりかえるように語りはじめた。


「アタシの家は農家でも余裕のある農家でね。近所の三味線と長唄ながうた教えてるとこに通わせてくれたの。その教えてくれた人、お師匠さんね。お師匠さんが、アタシのこと筋がいいから芸者になったらどうか、伝手つてがあるから紹介してやるって、いってくれてな。ウチの両親は喜んでねえ。芸者っていえば町娘の花形だし、運がよければ武家の男に見そめられて玉の輿こしにのれる。アタシも土いじくってるより、綺麗な着物きて、唄って踊ってる方がいいっておもったのよ」

「それで芸者に?」

「ええ、この浅草でね。修行も終わって芸者として一人前に独り立ちしたときは、両親は大喜びしたわ。近所に自慢してまわって。どこかお武家さまの嫁にって、期待してたらしいの。でも実際アタシが旦那として連れてきた男は博徒のやくざ者。ひっくり返るくらい両親はおどろいて大反対。アタシも若くて頑固だったから、認めてくれなくてもいいって意地になって大喧嘩。親子の縁を切るってとこまでいったんだけど、それに待ったをかけたのがウチの人」

「一色親分さんですか?」

「あの人が根気強く、一年もかけてアタシの両親を説得してくれたの。娘さんが大切なら、なおのこと縁を切るべきじゃないってね。その言葉がウチの両親に届いたみたいで」


泥の落ちた白い大根をまきが朱鷺に渡す。


「こうやって、定期的に野菜を送ってくれたりするようになったの。ま、いまはいなくなった両親の代わりに兄が送ってくれてるんだけどね。アタシの方も、もらったもん漬物つけものにしたりして送り返したりしてるのよ」

「それで、たくあん?」

「そう。とくにこの亀戸大根で作るたくあんは、ふつうの大根で作るより歯応えよくて美味しいのよ?このきれいにした大根を縄で縛って外で干して、それからぬかに漬け込んで一ヶ月くらい。ちょっと手間も時間もかかるんだけど、ウチの人も辰次も好きでねえ。いつもたくさん仕込むのよ」


朱鷺が拭きおえた大根をまきが縄でしばりはじめる。


「京ではなんでも野菜を漬物にするって聞いたけど、おトキちゃんの実家はどう?作ったりしてない?」

「……よく、わかりません」

「そういえば、ご両親はもういらっしゃらないのよね?」

「はい」

「いつ頃、亡くなられたの?」

「母親という人は、わたしが生まれてすぐ。父親という人は、数年前だったとおもいます」


朱鷺はまるで他人事のような口ぶりだった。

彼女の複雑な家庭環境をまきは感じとった。


「どんなご両親だったか、聞いてもいいかしら?」

「……あの人たちがどんな人間だったかはよく知りません。けど少なくとも」


朱鷺は顔をややふせて、手の中にある亀戸大根に顔をむけている。


「おマキさんのご両親とは違う人間です。大根どころか、何も、わたしにくれたことはありませんでしたから。でもそれは、きっとわたしが、ほかの人間とちがうから」


顔をあげ、細く白い指で朱鷺は自分のまぶたにふれる。


「見た目も、目も、ふつうの人間とはちがうから。だから、あの人たちは……」


まきの片手がそっと朱鷺の顔に添えられた。


「おトキちゃんの肌はすべすべで赤ん坊みたいねえ」

「え?」


まきは朱鷺の顔を大根にもそうしたようにやさしくなでる。


「顔はすこしほっそりとした卵の形で、お鼻は高くて、唇はちょうどいい厚さの綺麗な形。髪の毛はお日様の色が混じってて、細い髪でサラサラ。十分、可愛くて別嬪べっぴんさんね」


まきが無理して自分を褒めているのではないかと、朱鷺はおもった。

世間常識として、豊かな黒髪で小柄であることが美人の条件である。

背も高く黒髪でない朱鷺は、『美人』とは程遠いことを自覚している。


「あの、おマキさん?」

「とくにお肌はほんと綺麗ねぇ。真っ白で、きめが細かい。この亀戸大根より、ずっと白くて綺麗だわ」

「大根より?わたしの肌の方が綺麗?」

「そうよ」


まきがクスリ、と笑いをこぼす。


「おトキちゃんも長く漬けたら、この亀戸大根みたいに美味しくなるわね。ううん、亀戸大根なんかよりもずっと美味しくて、みんなやみつきになっちゃうかもしれないわ」

「えぇっと……それは、わたしがもっと長く江戸にいたら、という意味の冗談ですか?」


まきは両手で朱鷺の顔を包み込む。

この娘はまじり気がない純粋な可愛い子だと、まきは心底おもっている。


「おトキちゃんみたいな子が娘だったら、アタシは毎日楽しいだろうねえ」

「……盲目めくらでもですか?」

「ええ、めくらでもよ。目が見えなくらい、大したことじゃないわ。ちょっともったいないかなってくらい」

「もったいない?」

「だって、目が見えてたらもっと別嬪さんだったでしょ?だからね、アタシがおもうには、神様が、わざとおトキちゃんの目を見えないように意地悪いじわるしたんじゃないかって」

「神さまが、いじわる……?」

「そう、神様が。おトキちゃんがこんなにも可愛く生まれて、みんなからチヤホヤされそうだから、それが羨ましくて、嫉妬して」

「わたしの目を、みえなくした?」

「ええ」

「じゃあ……」


朱鷺は言葉を探した。

自分が言いたいことではなく、まきが喜んでくれそうなものを。


「神さまに、文句をいう?」


そう尋ねる朱鷺は、小さな女の子が母親におそるおそると聞いているようであった。

まきは楽しそうにめくら娘の冗談を笑った。


「ふふっ、そうね!今度いっしょに、文句をいいにいきましょう」


まきの両手が温もりをもって朱鷺の顔を包んでいる。

暖かさが顔だけでなく胸にまで伝わってくる。

そんな気がした朱鷺は、しばらくその心地よさに身をゆだねることにした。

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