第33話 虚弥蔵の賭場

辰次の叔父、虚弥蔵こみぞうの賭場は武家ぶけ屋敷やしきのなかにある。

そう教えられ、朱鷺は周囲をみわたすように顔を動かした。


「どこに、そのお武家さまのお屋敷があるのでしょうか?」


周辺には『屋敷』と呼べるほど大きな建物はなく、町家のみが建ち並んでいた。


「ここにあるの、全部いちおう武家屋敷だけど?」

「ここ、すべてですか?」


小さな屋敷たちに、朱鷺は『長屋ながや』を思い出した。


「江戸は、お武家さまのおうちまでせまいのですか?」

「あのなあ」


世間知らずな小娘に辰次は半分あきれていた。


「でっかい家に住んでんのは、それこそ殿様とか呼ばれるヤツらだけだ。下っ端の武士は住んでるとこ庶民と変わんねーよ。持ち家あるだけもいい方だぜ?ここら辺は、そうゆう武士どもが住んでるとこだ」


辰次たちがいるのは、上野御徒町おかちまちという下級武士たちが住む地域である。


「家があるっていっても、結局は下っ端の武士。江戸で暮らしてくのには給料が足りねーから、こうやって博徒とかに家を貸して、家賃とってるってわけ」


辰次は小さな武家屋敷のひとつに入った。


「おお!来たか、辰次!」


達磨のような男が、顔をほころばせて辰次を出迎えた。


「めくらの嬢ちゃんもよくきたな。さ、こっちにあがんな」


虚弥蔵は賭場である奥の座敷へとふたりを案内した。

八畳一間の空間で人々が博奕ばくちをしている。


「ツキ男はまだ来てねえんだ。ま、野郎がくるのを待ちながら、ちょっと一杯やってようぜ」


虚弥蔵の子分たちが酒を持ってきた。

辰次は眉をひそめた。


「叔父貴、酒はやめといた方がいいじゃないか?これからツキ男とサシで勝負すんだろ?」


虚弥蔵は大の酒好きだが、それが原因で失敗することがある。

それを辰次は心配していた。

だが、当人はそんな記憶はないのか、余裕の笑みを浮かべている。


「ヤツとの勝負は、すぐに終わらせてやるさ。俺の手にかかりゃ、ツキ男だろうと一発で勝負が決まる」


自信たっぷりの様子の虚弥蔵。


「はあ?一発勝負?無茶だろ。いくら叔父貴が腕のいい胴元っていってもよ、一回で思い通りのサイコロの目、出せるわけないだろ?」


腕のいい胴元は一定の確率でサイコロの目を操ることができる。

だが、それも確実ではない。

最終的には運まかせになるしかないのが博奕ばくちの世界というものだ。


「一発勝負で、確実にサイコロ操るなんてそんなこと」


不可能だ、と辰次は言いかけてやめる。

確実にサイコロを操る方法があるのに、気づいてしまった。


「まさか、イカサマするつもりかよ」


虚弥蔵はおおきな笑みをうかべた。

浅黒い肌に白い歯をむき出しにして笑う彼は、まるで野生の獣じみていた。


「俺はいつも通り、俺の博奕ばくちをするだけさ」


虚弥蔵は酒を大ぶりのさかずきについで、一気に飲み干した。


「さあさあ、お前も飲め!」

「いや、俺はいいって」

「いいから飲めって!今日こそは酒の味を教えてやる」


虚弥蔵が辰次に小さな皿のようなおちょこをおしつけた。

無理やりに持たせられたおちょこに、透明無色の液体がそそがれる。

漂ってくる酒の匂いに、辰次は眉間にシワをよせた。


「さぁ、ぐいっといけ!」


背中を虚弥蔵にたたかれても、辰次はおちょこを顔に近づけようとしなかった。

辰次は酒が嫌いだった。

匂いだけでも気分が悪くなるほど、彼の体は酒をうけつけない。

それを虚弥蔵は知っているのだが、可愛い甥っ子を『一人前の男』にしようと、機会を作っては酒を飲ませようとしていた。


「今日の酒はいつもの酒とちがうぞ」


虚弥蔵は上機嫌で酒が入る大きな徳利を大事そうになでている。


「この酒はなァ、なだの酒といってな、貴重で高価なもんなんだ。俺たちがいつも飲んでる、白くにごった濁酒どぶろくなんぞとちがうぞ。ほら、んだキレイなこの酒の色を見ろ。それに匂いも」


虚弥蔵は徳利のふちに鼻をよせ、スンっと中の空気を吸い込んだ。


「上品ないい匂いだ。こんないい酒、めったに手に入らねぇ。せっかくだ。お嬢ちゃんもどうだ?」


虚弥蔵は朱鷺に、四角いうるしりのますをわたした。


「そのような貴重なもの、よろしいのですか?」

「もちろんだ。兄貴の客なら、俺の客。客には一流品だすのが、俺のもてなし方よ」


朱鷺の升に、なみなみと酒がつがれていく。

辰次のおちょこよりも何倍もの量が入る升だ。


「叔父貴、やめてやれって」


辰次はさすがに彼女を気づかった。


「おまえも無理して飲むことないからな?いやならー」


辰次はギョッとした。

朱鷺がためらいもなく升に口をつけて、するすると飲みはじめた。


「お、おい!これ水じゃねぇぞ?そんないっきに飲んだら……!」


彼女は酒を飲み干した。

あ然とする辰次の前で、彼女は顔色ひとつかえずにつぶやいた。


「……おもしろい」

「え?」

「初めてお酒を体験しましたが、とても興味深い液体ですね」

「は、はじめて?」

「口にした瞬間は舌が少し痺れるような感覚でしたが、香りがよくて、すっきりとした味わいでした」


虚弥蔵が愉快そうに大きな腹を揺らして笑った。


「はーっはっはっはァ!なんだ嬢ちゃん、イケる口だな!?どうだこの酒、気に入ったか?」

「はい、おいしいと思います」

「よし!ならもっと飲ましてやろう。つまみの方はどうだ?ウチは色々とあるぞ」


虚弥蔵の子分たちがいくつか小皿を持ってきた。


「魚、煮た芋、漬物なんかがある。ほかに食いたいもんありゃ作らせよう」

「こういったお酒やお食事まで、こちらの賭場ではいただけるということですか?」

「きっちりと飲み食い代を払ってくれりゃな。けど、嬢ちゃんは気にしなくていい。ここは俺のおごりだ」


辰次は小皿のひとつ、めざしに手をのばした。

おちょこはこっそりと後ろに隠している。


「親父んとこも、こうゆうちょっとつまむものくらいは出せばいいと思うけどな」


一色親分の賭場では、食べ物は提供していない。

それは必要がないからだ、と虚弥蔵が続けた。


「兄貴のとこは周りに食べ物の出店が多いからな。賭場でわざわざ出さなくても、持ち込みにさせりゃいいってことさ」

「酒は?親父、酒は絶対に持ち込みも禁止させてるけど」

「酔っ払い同士の喧嘩なんぞ、あんなデカい場所の賭場でされたら面倒だからな。酒なんか禁止にした方が、兄貴の賭場にとっては都合がいいってことさ。逆に、俺みたいな小さなとこは、こうゆう酒や食事売りにして客集めてんだよ」


いち博徒の親分である虚弥蔵は、酒を飲みながら賭場について語っていた。


「賭場によって客のもてなし方は色々だ。それによって客の方も賭場を選ぶ。選ばれる賭場を作るのも博徒の器量のうちだぜ」


賭場も客商売であり、人が入らなければやっていけない。

そういわれ、辰次は納得した。

金集めるには、まずは人を集めるしかないのだ。


「親分!」


虚弥蔵の子分のひとりが、険しい顔をして入ってきた。


「お待ちかねのお客様がいらっしゃいましたぜ」


虚弥蔵はカッと目を見開いた。

子分たちが盆ござから客たちをどかせた。

胴元の席に、虚弥蔵が腰をすえた。


「さっさと、お客様をお通ししろ」


虚弥蔵の目つきは獲物を狙う獣のように光っている。

待っていた『ツキ男』がやってきたようだ。

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