第32話 二八

朱鷺の正体は『神の使い』の一族だった。

さらに、『神祇官じんぎかん』という特殊な仕事をしているらしい。

けれど辰次にとって一番知りたいことがまだはっきりとわからなかった。


「なあけっきょくさ、おまえは見えてる。で、いいんだよな?」


立ち止まった朱鷺は、両眼の閉じる顔を辰次にむける。


「はい」


彼女はあっさりと認めた。

だが、ますます辰次は混乱した。


「それは、目をつむったままで、見えてるってことなのか?」

「……そうです」


朱鷺は顔をやや伏せて、小さくつぶやいた。


「まあ通常の見え方とは異なりますが……」

「は?」


朱鷺はご利益札りやくふだを出して、辰次へ渡した。


「その札、何が書かれてますか?」

「なにって」


辰次は見えるままを話す。


「蛇の絵に、数字と……」


文字のような記号に、辰次は顔をしかめた。

彼は朱鷺へ札をみせる。


「これ、文字なのかな?」

「わかりません」

「やっぱ、おまえもわかんないか」

「いえ、そうではなく」

「ん?」


朱鷺は首を横にふる。


「わたしには、見えないということです」


辰次は眉をひそめた。


「どうゆうことだ?」

「色や文字は見えないんです。その札、あの家で蛇の分身が出てきたので『ご利益札』だと判断しましたが、もし賭場などで見かけたら、そうだとはわからなかったでしょう」


朱鷺は見えていない札の確認を続けた。


「その札にかかれているもの、全て朱色で書かれていますか?」

「ああ」

「ではその文字は、神代しんだい文字といわれるものです」

「あ?なにそれ?」

「大昔に使われていた古代文字というものです。おそらく、氏神さまのお名前とご利益について書かれているんだとおもいます」


辰次はじっと札をにらむように見つめた。

蛇の絵は神使をあらわし、記号のような文字は札の持ち主である神さまの情報をいっているとわかった。


「……じゃあ、こっちの数字はどういう意味だ?」

「数字は、存在するご利益札の数をあらわします」


札にある数字は『六ー三』である。


「ってことは、つまり……六枚あんのか?」

「そういうことになりますね」


辰次は舌打ちをして、色々と考えはじめた。

ご利益札は六枚とわかったが、賭場荒らしである『ツキ男』も同様に六人もいるのか。

いたとして、彼らは仲間なのか、どんな人間なのか。

立て続けに与えられる情報に思考を続け、辰次の頭は疲れて腹も空いてきた。


蕎麦そばか……」


そばの屋台が辰次の目にとまった。


「食ってくか。おまえもどうだ?」


辰次が指をさしたものに、朱鷺は眉をひそめた。


「あれが、おそば屋さんなのですか?」


蕎麦屋は江戸でよくある移動式の屋台だった。

調理用具や食材を収めた細長い二つの箱を天秤棒でかつぐのだ。


「二八の提灯かかってるからな」

「にはち?」


『二八』と書かれた提灯が蕎麦の屋台にはあった。


「おまえの分も買ってきてやるよ。あっちの席で待ってろよ」

「あっち?」


屋台のそばには長椅子ながいすがいくつかあった。


「赤いざぶとんのとこ。そこに座って待ってろ」

「赤いざぶとん……?」


辰次が蕎麦を持って戻ると、朱鷺は紺色のざぶとんがある長椅子の方に座っていた。

そこでようやく辰次は、彼女が色は見えないことを実感した。


「……あの、辰次さんですか?」


辰次がとなりに腰を下ろすと、朱鷺はためらいがちにそう尋ねてきた。


「そうだけど?」


辰次は蕎麦のどんぶりを彼女に渡しながら、何を言っているんだとおもっていた。

だがふと、『普通の見え方とちがう』と言っていた彼女の言葉を思い出す。


「おまえ、もしかして……俺の顔、見えてない?」

「……はい」

「えっ!?」


辰次は危うくどんぶりを落としそうになった。


「色と文字のほかに、人の顔も見えないのか!?」

「人の顔はぼんやりとしていて、口と鼻があるという程度の見え方なので……まあ、そうですね」


辰次はおどろきながらも、どこか納得した。

目つきが鬼のように恐ろしいといわれ、同世代の女には怖がられる辰次。

朱鷺はそんな自分の顔がみえていなかった。

だから、平気で普通に接してくるのかと辰次はおもったのだ。


(ま、そりゃそうか。見えてたら、コイツだって俺に近寄っても来ないだろ)


そんな自虐的な考えに、ちょっとしたさびしさを辰次は感じたが無視した。


「でも、人の顔がわからないって。誰が誰だかわかんないってことだろ?」

「いまのところ問題はありません」

「いや、そうは言ってもなあ……」


彼女がいま見ているのはどんな世界なのか、辰次は想像してみた。

まず思い浮かべたのは、白黒で色味がない風景だった。

明かりがない夜道に近い。

そんな真っ暗な町をのっぺらぼうの人間たちが歩いている。


こわっ」


あまりに不気味な世界が浮かびあがり、辰次はゾッとした。


「んな恐ろしい外をよくひとりで歩くつもりになるな、おまえ」


あらためて朱鷺という女の度胸に辰次は感心していた。


「でもよ、そうゆう変わったふうに見えるのは、おまえが『神の使い』っていう、一族だからか?他の一族のやつらっつうか、おまえの家族とか親戚とかは、おまえと同じように、そうゆう特別な力みたいなのあんのか?」

「……」


朱鷺は答えたくないようだ。

彼女はじっと蕎麦のどんぶりを覗きこむように顔をうつむかせている。


「……どうして」

「ん?」

「にはちで、おそばの意味になるのですか?」


朱鷺は、提灯にある『二八』の文字をいっている。


「そば粉八の小麦粉ニで打った蕎麦だからだ」

「材料の配合の割合でしたか……おそばはすべて、その二対八の割合で作られるのですか?」

「よそはしらねぇけど、江戸はそうだな」

「そうですか、江戸だけですか……」


朱鷺は『そば』が初めてのようだった。

その証拠に、辰次が蕎麦をずずっと音を立てて食べると、彼女はおどろいたように固まった。


「おそばとは、そうやって食べるものなのですか?」

「そうだけど?」


朱鷺は箸で一本、蕎麦の麺をつまんだ。


「そうですか、人はそのようにして食べるのですか……」


朱鷺はどこか神妙なようすのまま、口にそばの麺を一本くわえた。


「何してんだ、おまえ」


辰次は笑いだしたいのをこらえた。

それほど朱鷺の姿はおかしかった。

彼女は口をゆっくりと動かし、蕎麦の麺一本を食べている。

まるで歯のない年寄りが口を動かして食べているようだ。


「すする、というのは難しいのですね」


やっと蕎麦一本を食べ終わった彼女は、ひとりごとのようなことを口にしていた。


「いきおいよく吸い込めば、き込んでしまいそうです。それに、が、このお借りしている小袖に飛んでしまいそうですね。かといってゆっくりとなると、これはすすっている、というのであっているのかどうか……それよりも、音を立てて食事をするなど、行儀がよろしくないのでは……?」


『神の使い』であり、特別な目を持つ彼女が、蕎麦の食べ方を馬鹿真面目に考えている。

ほんとうに変わった面白い女だと、辰次はおもった。


「そんな色々考えて蕎麦食うやつあるかよ。いいか、見てろよ?蕎麦はこうやって食うんだよ」


辰次は何回か正しい蕎麦の食べ方をお手本としてみせた。

けれど、彼女は気に入らなかったようだ。

朱鷺は蕎麦をぶちぶちと噛み切って食べるという、江戸っ子たちが顔をしかめること所業にでた。

当然、職人気質の蕎麦屋がこちらをにらんできた。

見えない朱鷺は知らぬ顔でそばを食べ続け、見える辰次のみ気まずい思いをしたのだった。

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