第30話 神の使い
両眼を閉じた娘が杖持っても使わずにまっすぐ歩いていく。
そんな彼女の後ろについていきながら、辰次はなんだか恐ろしいものをみている気分であった。
「辰次さん。八百万の神さまはご存知ですか?」
「え?あー……まぁ聞いたことあるっちゃあ、あるけど……なんだっけ?」
「この世には、天から地まで無数の神さまたちがおわします。太陽、月、山、田畑、そして家のなかといった台所にも。そうした数え切れぬほど、たくさんの神さまたちを八百万の神さまといいます」
辰次は歩きながら、江戸の町に混じるいくつもの神社仏閣を目にしていく。
「どおりで江戸中にうじゃうじゃと神社とか寺があるわけだ」
「そのとくに神社の方ですが」
いつの間にか民家が少なくなり、ふたりの前にひとけのないこじんまりとした神社が現れた。
「神社とは、いったいなんなのかご存知ですか?」
神社の入り口前で急に立ち止まった朱鷺につられ、辰次も足をとめる。
「神さまがいるとこ、だろ?」
「そうですが、もっとくわしくいえば神さまのお屋敷です」
「屋敷?」
「はい。神さまがお住まいになっている家ということです。そしてこの、神社の入り口にあるのがー」
「
神社の入り口にある鳥居は、朱色の二本の柱に二本の横木がのっていた。
「では鳥居が玄関だということは?」
「玄関?」
「この鳥居は神域への入り口、いわば神さまのお宅の玄関です。よそさまのお宅へあがるさい、一礼をするのが礼儀というもの」
朱鷺が頭を深くさげた。
なんとなくと辰次もつられて軽く頭をさげる。
「お待ち下さい」
鳥居をくぐろうとする辰次を朱鷺がとめた。
「今度はなんだ?」
「参道の
「さんどう?せいちゅう?」
「参道は鳥居から続いているこの道のことです。その参道の真ん中を正中と呼びます。この正中は神さまが通る道ですので、人である辰次さんは左右どちらかを通ってください」
めんどくせぇなぁと小さく呟きながらも辰次は参道の左側によって神社に入った。
「なんだよ、お前は真ん中通ってるじゃねえか」
参道のど真ん中を歩く朱鷺に辰次は文句をいった。
「いいのかよ。そこ、神さま専用じゃねーのかよ?」
「大丈夫です。わたしは人ではありませんから」
一陣の風が吹き、周囲の木々がざわめいた。
ふと辰次は空気が澄んだような感覚をおぼえた。
朱鷺が神社奥に位置する建物前で足を止める。
「この賽銭箱前にある建物は拝殿といいます。この奥にある本殿に、こちらの神さまが宿る御神体があるはずです」
「じゃあアレは神さまの名前か?」
拝殿の扉の上には看板のような板があった。
辰次は看板の字を読み上げる。
「大国(だいこく)、主命(しゅめい)?」
「
「げ。そう読むのか……」
「
「へー。なんでその神さまが選ばれたんだ?」
「理由はいろいろとありますが、きっかけとなったのは、あるうさぎとの出会いです」
「うさぎ?」
朱鷺は神さまとうさぎの話を静かに語り始めた。
「ある日、
「血だらけって。ただごとじゃねぇな、そりゃあ。何があったんだ?」
「うさぎはワニたちに
「皮を生きたまま、はがされた?」
可愛らしいうさぎが全身の毛皮を剥がされて泣いている姿が辰次の頭の中で思い浮かんだ。
「ひどっ!可哀想すぎじゃね?」
「そうですか?自業自得だと思います」
「おまえ、意外とキビしいな」
「
イタズラをしたうさぎに何か思うところがあるのか、朱鷺はうさぎに冷たかった。
「でもそんな愚かなうさぎをあわれみ、救いの手を差し伸べたのが
「よかったな、ウサギ。つか白い兎だったんだな」
「その後、このうさぎは
「ほー、助けられた恩を返すってか。武士みたいに律儀な白うさぎだな」
辰次はうさぎに感心したが、朱鷺はそうはおもわなかったらしい。
「……人には、そうみえるかもしれませんね。 なにせ、うさぎの誓いは子孫へも受け継がれてゆきましたから」
「子孫?って、孫の代までってことか?」
「はい。白うさぎの
「ウサギが、人の名をもらった?」
「白い兎とかいて、
「へー……ん?いや、ちょっと待て。いま、我が家っつった?」
「はい」
「それって、お前の実家って意味?あれ?おまえの実家、神崎って苗字じゃなかったけ……?」
辰次の問いに朱鷺は答えず、前に進んだ。
彼女は賽銭箱の上からたれさがっている鈴のひもをつかんで揺らした。
ガランガシャン、という鈴の音があたりに響いた。
朱鷺は一礼し、両手を胸の前で合わせた。
「お邪魔しております、神祇官の白兎でございます」
拝殿の扉が少し開いた。
そこから、白い子うさぎが出てきた。
こちらを
「じんぎかんのはくとさま?」
白いうさぎがしゃべった。
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