第29話 神崎邸

神崎の家がある亀戸かめいどは本所よりさらに東の地域である。


「この地図どおりなら、ここがおまえの兄さんの新しい居場所だな」


茅葺かやぶき屋根の一軒家の前で辰次は足を止めた。

周りは田畑に囲まれ見事な農村地帯の風景である。


「家っつうか、農家だな?ひとりでここに住んでんのか?」


いぶかしる辰次のとなりに朱鷺がならんだ。


「辰次さん、このまま外で待っていてもらっていいですか?まずは先に、兄と二人きりで話をしたいと思います」

「……そうだな。俺はここで待ってるよ」


朱鷺が家の中へと入っていった。

しばらく間を置き、辰次も家の中へとこっそりと入った。

草鞋わらじを脱ぎ、足音を立てぬよう、しのび足で彼女の姿を探す。


(いた……あいつ、何してんだ?)


朱鷺は土足で家の中を歩き回っていた

彼女は顔を左右へ動かし、まるで何かを探して見回しているようなそぶりだ。


(ちょっと、試してみるか)


辰次はふところにあった木のふだを取り出した。

ツキ男が持っていた守り札である。

辰次はかがんでいた姿勢から立ち上がり、再びめくら娘へと視線を戻す。

どきり、と辰次の心臓が跳ねた。

朱鷺の顔と体がこちらへ向いている。


(俺、物音とか立ててねぇよな……?)


無音のなか、辰次は朱鷺とただ向き合っていた。

辰次は意を決した。

盲目めくらの娘へ向かって札を投げつけた。


(はァ!?)


思わず声が出そうになり、辰次は自分の口を両手でおさえる。

盲目めくらの娘は、手を即座に動かし札を宙でとらえたのだ。

彼女はツキをながめるように、手に取った札へ顔を向けている。


「辰次さん?」


朱鷺が辰次の方へと顔を向けていた。

辰次は口を押さえたまま、盲目めくらであるはずの女を凝視していた。

なぜ彼女が自分の名を呼んだのか、辰次は理解できていない。


せてください」


札をふところへしまい、朱鷺は朱色の杖のつかに左手を添えている。

辰次はよりいっそう困惑する。


「上です」


上?と辰次は顔をあげ、天井をみあげた。

茅葺き屋根の家は天井が吹き抜けで家の骨組みであるはりが丸見えであった。

その太い梁から、白く細い物体がふってきている。


「え?」


白い蛇だ。

そう辰次が認識した瞬間、ギラリと銀色の光がさしこんだ。

蛇はたてかれ、地にボトリと落ちた。

キーン、という刀がさやに収まる音、つばりがなっている。

辰次は腰をぬかした。

いつの間にか、朱鷺が目の前にいたのだ。

彼女のにぎる朱色の杖から、チラリと銀色の刀身とうしんがのぞく。


「なっ、な、おまえッ!それっ、仕込しこがたな!?」


間髪かんぱついれずにふたたび朱鷺が刀をぬいた。

稲妻のような太刀たちすじがいくつもひらめいた。

辰次の頭上へと降りかかってきていた大小の白蛇たちは、次々と細切れになっていった。

地へ落ちた大量の蛇の残骸。

それを目にし、辰次はゾッとした。

死骸であるはずのそれらが、うねうねとうごめいているのだ。


「なんでまだ動いてんだ!?気持ち悪っ!つか、目が赤い!?」


白蛇の目は赤かった。

頭だけになった白蛇のひとつと、辰次の視線があう。

白蛇の頭が牙をき、赤い両眼で辰次を威嚇いかくするようににらんだ。

突如とつじょ、辰次は体が固まって動けなくなった。


(は!?なんで?)


硬直する辰次。

そこで、彼をにらむ蛇の頭に刀が突き立てられた。

辰次の体がふっ、と軽くなった。


「……なあ」


おそるおそると辰次は刀のあるじを見あげた。

彼女は両眼が閉じる顔をこちらへむけている。

辰次は馬鹿らしいとおもっていたある推測を口にする。


「おまえ、実は見えてんだろ?」


先ほど白蛇らを斬り刻んだのは、間違いなく彼女だった。

神速ともいえる速さをもって彼女は刀をぬいて空中で蛇どもをバラバラにした。


「おい、なんかいえよ。こんなすげぇ居合い抜き、男谷道場でだって俺は見たことなかったぞ」

「……」

「それにこの白い蛇、ふつうの蛇じゃねーだろ?この蛇がにらんできて、俺の体が動かなくなったのは気のせいじゃねーよな?」


沈黙を続けていた朱鷺が、口をようやく開いた。


「……それは、神使しんしの蛇です」

「は?しんし?」

「はい。辰次さんがかなしばりにあったのは、この神使の赤い目のせいです」

「あー……しんしってなんだ?」

「神の使いです」

「かみの、つかい?」


辰次はきょとんとする。


「神って……あの、神社とか寺にいる、あの神さま?」

「はい」

「その神さまの使いが、神使?」


刀につらぬかれている白蛇の頭を辰次は指さした。


「おまえがバラバラにしたこの白い蛇ども全部が、神さまの使い?」

「正確には、神使の蛇の分身たちです。もともとここにあった神使の蛇の抜け殻が、この札に反応して分身になったのだとおもわれます」


朱鷺はふとことから札を出して辰次へとみせた。


「こちらのふだ、どちらで購入されました?」

「か、買ってねえよ。賭場荒らしの浪人侍から取りあげたもんだ」

「そのご浪人さま、どのような人間でしたか?」

「どのようなって……いい年した小太りのおっさんだ」

「そうですか、札は別の人間の手に……神崎政輔と神使の蛇はもう共にいないのか、もしくは……」


ぶつぶつとひとりでつぶやく朱鷺。

辰次はただ動揺し、得体の知れない彼女に畏怖を感じていた。

だが、同時に好奇心も湧きおこっていた。


「おまえ、いったい何者だ?」


盲目めくら娘は顔をやや上へとかたむけた。

少し考えているようなそぶりをみせたのち、彼女はその清らかな鈴の音の声を響かせた。


「わたしは、神祇じんぎかんです」

「じんぎ?」


侠客の息子である辰次の頭に違う『じんぎ』が思い浮かぶ。


「それは、義理と人情の、あの仁義じんぎのことか?」

「いいえ、それではなく。天神地祇てんしんちぎ神祇じんぎです」

「え、なに?てんしん……は?」


聞いたことのない言葉に辰次は困惑する。

そんな彼に、朱鷺はていねいに『神祇』は何かをく。


てんかみかみとかいて、天神地祇。この世の天と地におわします八百万やおよろずの神さまのことです。神祇官とは、その八百万の神々とみかどのまつりごとをお手伝いしています」

「まつりごと?それは……神社とか寺でやるあの祭りか?」

「いいえ、帝がされるまつりごとです」

「はぁ?みかど?」

「はい」

「だれだソレ?」

「……」


まったく話が進まないと、朱鷺はおもったらしい。

何か思案するようにうつむいたのち、顔をあげた。


「……わかりました。近くにある神社へと移動しましょう」


朱鷺は刀を引きぬいて、刺さっていた蛇の頭をふるい落とす。

地にある蛇の残骸すべてが、ただの蛇の抜け殻へと変わってゆく。


「その目におみせしながら、神使、神祇官、そして帝が何かをご説明いたします」


朱鷺は刀を朱鞘しゅざやへと納めた。

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