第23話 辻十番

辰次は博奕で全財産をスった。

金もない、行く先もない、となれば帰るしかない。

散々な1日だったと、若干じゃっかん疲れ気味の辰次はにぶい足取りで家へと向かっていた。


「なんだありゃ?」


急に辰次が立ち止まり、朱鷺も足を止めた。


「どうかされましたか?」

「向こうに編笠あみがさかぶった変なのがいんだよ」


『編笠』はわらを編んだかぶり物である。


「今、雨は降っていませんよね?」


本日の天気は気持ちのいいくらいの晴れである。

この青天の下、編笠をかぶる男は目立っていた。

さらに男の格好も周囲の目をひいていた。


「なんだ、あの野郎の派手な羽織は?」


男の羽織は、何色も混じりあう奇抜なものだった。

この見た目だけで人々の視線を集めている編笠男。

だが、彼はもっと注目を集める行動をしていた。


守田もりたァ、守田座ァ!芝居しばいまちの守田座ァ!」


編笠男は声を張りあげ、道ゆく人々へ大判の紙を配っていた。

男の声はつやのある低音の美声で、人々はつい立ち止まってしまっている。


「天下の歌舞伎かぶき小屋ごや、江戸三座さんざがひとつ、守田座の辻十番つじじゅうばん!演目と見どころに出演役者がったァ辻十番!もちろんお代はいらねぇヨ。さァ!どんどんと持ってったァ、持ってたァ!」


周囲に聴衆が集まり始め、編笠男は勢いづいたようにうたうような宣伝を続ける。


「今月の演目は、あの大人気立作者たてさくしゃ、二代目河竹かわたけ新七しんしちが去年に出した最新作!三人吉三さんにんきちさ廓初買くるわのはつがい!お話は、ちょうど今みたいな春先の季節、女装の盗賊、お嬢吉三きちさが出てくるトコから始まります。お嬢吉三は夜遅い時間に大川の橋で、商売女からまんまと百両を手に入れ、こう言った」


編笠男がおもむろに編笠をとった。

聴衆の女達がいっせいに色めきだつ。

陽のもとにあらわになった編笠男の顔は、華やかな美形であったのだ。

その麗しい顔に彼は甘い笑みを浮かべながらうたう。


「月もおぼろ白魚しらうおのォ かがりかすむ春の空ァ」


月の形もぼんやりとし

夜、白魚(小魚)の漁をするためにつけている火のあかりりすら

この春の空の下では、かすむようにぼうっとしているなぁ


そんな情景がおもい浮かぶ一節が、男の豊かな声量で響きわたった。

これに聴衆たちはすっかりと聞き惚れていた。



「……とまあ、こんな具合です。どうでしたか?」


編笠男は聴衆たちを演劇のひと幕から、現実へと引き戻した。


「この台詞せりふの一節だけで、冬から春への移り変わりを見事に表現している。さすが、新七先生だと思いませんかい?さぁ、この話の続き。気になる方は、この辻十番を持って守田座へぜひぜひ、足をお運びくだせえ。とくに、お嬢さんお姉さん方」


編笠男は聴衆の女たちへと微笑みかけていた。

彼女たちは、編笠男にすっかり魅入られているようだった。


「お待ちしてますからね?」


聴衆たちは、とくに女たちが編笠男へ辻十番を求めて群がった。

辰次は、その様子を離れた場所でながめている。


「なんだ、鹿之介しかのすけかよ」


見飽きたものを見る目つきの辰次に、めくら娘が小首をかしげる。


「お知り合いですか?」

「まぁな」


ようやく女たちがいなくなったのをみて、辰次は編笠男へ近づいた。

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