第6話 予感
辰次はぶらりぶらりとしているうちに、気づけば浅草寺の本堂裏にまで来ていた。
父親の賭場が目の前にある。
「あー……どうすっかな」
辰次は迷いながらも、気持ちは
なんせヒマなのだ。
「よそに行くのも
自分自身を納得させ、辰次は賭場へ入ろうとした。
「あ」
賭場から辰次のよく知った顔が出てきた。
いかつい
「げ、
「オウ、辰次か」
一色親分の子分達のなかでも
古株といっても鉄ノ進はまだ28歳で若い方である。
辰次にとっては昔から兄のような存在で、向こうもそういう気であるようだった。
「おまえいま、まさか賭場に入ろうとしたか?」
辰次が小さく舌打ちした。
「やっぱりそうだったか。まったくお前というヤツは。どうして親父のいいつけが守れないんだよ」
兄貴面をして腕をくむ鉄ノ進を辰次はうっとおしそうにみていた。
「ガキじゃあるまいし、いちいち親父の言うこと聞いてられっかよ。つか、なんでここにいすみ屋のおばちゃんがいんだ?」
鉄ノ進のうしろには、藍色の前掛けをつけた中年の女がいた。
辰次もよく行く『小料理屋いすみ』の
「おばちゃん、今の時間はちょうど忙しい時間帯なんじゃねーの?」
時刻は夕飯時。
飲食店は繁盛する時間帯だ。
「店、旦那のおっちゃんひとりで大丈夫なのか?」
「それがね、たっちゃん」
いすみ屋の女将はあきらかにいつもとちがった。
どこか落ち着かない様子で、目にはうっすらと涙を浮かべている。
「浪人風の男たち四人が、とつぜんウチに押しかけてきて、一色親分を呼べって居座ってるの」
「浪人が親父を?」
「ウチの人が最初は断ったのよ。そしたら、暴れだして……店のもん壊したり、お客さん脅して追い出したり。しまいにはウチの人を人質にして、一色親分を呼んでこなきゃ、
辰次は大きく舌打ちをした。
「職なしの
身分だけがあり職も収入もない侍。
それが辰次の、というより江戸庶民の『浪人』に対する認識だった。
「浪人ごときが親父を呼びつけようなんざ、生意気なんだよ」
鉄ノ進が難しい顔をした。
「おそらく、この前来た野郎だな」
「鉄兄、その浪人ども知ってんの?」
「正確には、その四人のうちのひとりだけだ。
「何したんだ、そいつ?」
「ツキ男って、おまえ知ってるか?」
「は?ツキ、男?何それ」
「やっぱ、親父は教えてなかったか……」
「なんだよ、やっぱりって。親父、俺に隠してたことでもあったのか?」
鉄ノ進は気の進まない様子で話はじめた。
「ひと月前くらいから、ここら辺の賭場である男の噂が立ち始めたんだ。その男、どんな種類の博奕にも必ず勝って、一日だけで金の小判何百枚もの大金を稼いでいく。あんまりにも博奕に強いんで、運がついてる、
「けっ、なにがツキ男だ。けっきょく賭場で荒稼ぎしてく、ただの迷惑な男じゃねーか」
「俺たち賭場を運営している博徒からしたらな。さらに最悪なことに、このツキ男、浅草周辺の賭場に出るんだ」
「はァ!?それって、つまり親父の
事情を理解した辰次は
「その野郎、小判何百枚を一日で稼いでくって、何百両ってことだよな!?なら、ひと月も続いてたら何十万両じゃねーか!それって、親父の賭場はこのひと月、大損だったってことか!?」
「そういうことだ」
「大問題じゃねぇかよ!なんでこのこと、親父は俺に教えてくんなかったんだよ!?」
「そうやって、すぐにカッカするからだろう」
「ああ゛!?」
「教えたら、おまえ、すぐにでも賭場に飛んできて、毎日てあたり次第、ツキ男っぽい野郎に喧嘩ふっかけてただろ?」
「当たり前だろ!」
「それで、いろんな客に喧嘩売って、いらん問題引き起こすのか?親父とっちゃ迷惑しかねーだろ」
ぐっ、と辰次は言葉につまる。
「まぁ親父だって黙ってはいないさ。でもな、親父はそのツキ男と揉める前に確認したいことがあったんだ」
「なにを?」
「ツキ男が本当に強運の持ち主なのか、それともイカサマ師なのか、だ」
賭場でのイカサマ師とは、小細工などのズルをして勝ちを偽造する者のことだ。
「今までツキ男は子分どもの賭場にしかこなかったんだ。でも三日前に、ようやくここ、親父が直接しきる賭場にきはじめた」
「それがさっきいってた浪人か?」
「ああ、飯尾って浪人だ。親父が丁寧に対応して、持ち物検査したんだ。俺はイカサマ道具を見つけるつもりで、徹底的に身ぐるみ剥がした。けど、それっぽいもので出てきたのは……」
鉄ノ進が懐から一枚の木の
「これだけだ」
「ウチの賭け札?」
賭け札は金の代わりに使う賭博道具だ。
イカサマ師はこの賭け札を偽造し、勝った金額を誤魔化したりする。
だが、鉄ノ進の持つそれは賭け札より小さかった。
「ちがうか。どっちかっていうとコレ、神社にある札みたいだな」
木の札は細長い厚手の板だった。
朱色の字で絵と文字らしきものが書かれている。
「蛇の絵?それに、六の三?数字、いや番号?ほかはこれ、なんて書いてあんの?」
「知らん」
「つかこれ字なのか?」
札にある
「飯尾は、これをただのお守りの札だと主張してな。大事な物だから返せって、そりゃあ騒いでうるさかったよ」
「それで、その札とりあげて
「親父がな。イカサマの証拠は見つからなかったけど、このまま荒稼ぎされても迷惑だからっていって締め出したんだ。ずいぶんゴネてたから、いずれまたくるかもしれないと思ってたが……まさか、いすみ屋さんにくるとはな」
「親父にはもう知らせたのか?今日は賭場じゃなくて家にいんだろ?」
「俺がさっき直接知らせに行った」
「親父、なんて?まさか出てくるのか?」
「まさか。こようとしたけど俺が止めたさ。天下の侠客、一色親分が浪人相手のこんな小さな揉め事に出ていく必要ねえ。俺が、親父の子分としてきっちりケリをつけてくる。そういって、親父にまかしてもらった」
「さすが鉄兄だな」
幹部としての意地と貫禄をみせた鉄ノ進に、辰次は頼もしさを感じていた。
「俺もついて行くぜ」
「いうと思った……」
とたんに、鉄ノ進は苦い顔になった。
「辰次」
「なんだよ」
「おまえは、来るな」
「は?なんでだよ?」
「俺は喧嘩しに行くんじゃねぇ。穏便に、話し合いで解決するために行くんだ。おまえみたいな喧嘩っ早いの連れてけるわけねぇだろ。下手したら、おまえが、むこうの浪人どもより暴れるんだから」
「そんなことしねーよ。俺はただ、いすみ屋のおっちゃんが心配なだけだよ」
「本当か?」
「本当だって。それに話し合いってんなら、親父の息子の俺が行った方が都合いいだろ?むこうは、親父呼び出す気でいんだ」
「まぁ、そうだが……」
「それに、人質取るような奴らが話し合いだけで済むかよ。相手、浪人侍だろ?むこうから喧嘩ふっかけてきたらどうすんだよ」
鉄ノ進の後ろには部下である男たちが二人いる。
「いま連れてける子分、その二人しかいねーんだろ?むこうは四人。兄貴たちは三人。でも俺いれりゃ、四人になるぜ」
「喧嘩にかかわることは口達者だな、おまえ……わかったよ、連れってってやるよ。でも、ひとつ約束しろ」
「なにを?」
「絶対におまえからは手を出すな。たかが浪人だが、それでもお武家様だ。庶民の俺たちにゃ
「わかってるって」
「ほんとだな?」
「ああ、約束してやるって。俺からは手を出さねーよ」
「神さまに
「しつけーな」
辰次はニヤリと悪ガキの笑みを浮かべる。
「安心しろって、鉄兄。神さまなんぞに誓わなくても、俺は約束を守る男だ」
退屈な一日がひっくり返る。
辰次はそんな予感がしていた。
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