第5話 本所石原の裏長屋

本所石原ほんじょいしわらは大川の東側、少し南へと下ったところにある。


「さて、朱鷺よ」


商家が並ぶ小路で貫昭が足をとめた。


長屋ながやというものがどういうものか知っているか?」

「町人たちむけの共同住宅、ですよね?」

「そうだ。井戸いどかわやは共有でせまいひと部屋に住む。これが長屋だ」

「部屋はそんなに小さいのですか?」

「長屋の建物自体は大きいぞ。しかし、その大きな一棟いっとうを薄い壁で区切って、いくつもの部屋を作るのだ。ひと部屋は、そうだな……台所をのぞき、だいたい三じょうといったところか」

たたみ三枚分ですか?人、ひとりで精一杯ですね」

「いいや、その狭い部屋に家族三、四人ほど住んでいるのが普通なのだ」

「そんなに何人もですか?」

「家賃が安いからな」

「では、長屋とはお金のない庶民の方たちむけの住居なのですね」

「いいや、浪人なんかも多い」

「お武家さまのお侍さまが?」


侍は大きく二種類にわけられる。

勤め先のある『武士』と、勤め先のない『浪人』だ。

どちらも『武家』に分類され、身分階級は庶民たちよりも上である。


「お武家さまである方々が、下々の人々と同じ場所で暮らしているのですか?」

「江戸ではよくあることだ。地方から江戸へ職を求めてきた浪人が、借りぐらしで家賃の安い長屋に、とな。おそらくお主の兄も同じであろう。しかしながらお主が、孫左衛門まござえもん長屋という、長屋の名までわかっていてよかったぞ」

「なぜですか?」

「長屋は江戸にたくさんある。本所石原の長屋、という情報だけではたどり着けん。ここの界隈かいわいだけでも、長屋はこの裏にびっしりとあるからな」

「裏?」

「長屋は、こうした表通りの裏にあるのだ」


貫昭たちがいる表通りには店のみがならび、人の住居らしきものはなかった。


「裏にあるから裏長屋うらながや、と江戸ではよばれている。そして、裏長屋には一つ一つに名がついておる。たいていは家主の名がつけられておるはずだ」

「家主さんということは、裏長屋の持ち主さまですね」

「家主は地主でもあることが多い。近所のものたちに聞けば、どこだかすぐに教えてくれるはずだ。どれ、そこの八百屋にまず聞いてみよう」


八百屋に客はいなく、店主らしき男がひとりで野菜を並べていた。


「もし、失礼する」

「へい!ん?お坊さま?」

「商い中にすまんな。尋ねたきことがあるのだ」

「へぇ、かまいませんよ。なんでしょうか?」

「ここら辺に、孫左衛門の裏長屋はあるか?」

「ああ、それなら。ここの三軒先ですよ」


三軒先の商店と商店の間、細い路地と門があった。


「朱鷺、お主には見えぬだろうが、ここには木の門がある。これは、木戸きどといわれるもので、長屋の出入り口なのだ。この木戸の上に、孫左衛門という看板があるぞ。ここで間違いないな。この看板の下に、住人たちの名が書かれた表札もかかっておる。どれ、お主の兄の名を探してみよう」


しばらくして貫昭がうなった。


「うーむ」

「神崎政輔という名は、ありませんか?」

「ない。だが、めんどうだからと表札を出さない人間もおおいからな。長屋に入ろう。扉である引き戸の障子しょうじになら名前をかいてあるかもしれない」


貫昭と朱鷺が開かれている木の門を通ると、裏長屋があらわれた。

狭い路地に障子の扉がびっちりと並んでいる。


「とても静かですね。何も聞こえません」

「まあ、まだ昼間であるし、外に出ている者が多いのだろう。さて、お主の兄の名を探そう」


長屋の部屋は多くない。

すぐに貫昭は全ての部屋の障子を確認し終えた。


「うーん。神崎政輔、という名は見当たらなかったな」

「本当ですか?」

「うむ」

「ですが、間違いなく孫左衛門長屋にいると教えられました」

「ならば差配人さはいにんに聞いてみるか」

「それは、どなたですか?」

「長屋を管理している者だ。住民たちの世話をみているから、彼らのことをよく知っているはずだ」


『差配人』と書かれた障子の部屋は、木戸の一番近くにあった。


「もし、失礼いたす。こちらの差配人殿はご在宅だろうか?」


障子の戸が引かれ、小太りの中年男が出てきた。


「はいはい。私がここの差配人ですが、何かご用ですか?」


差配人の男は貫昭と朱鷺をひと目みた瞬間、眉をひそめた。


「お坊さまに、尼さん?」

「突然すまぬが、少し聞きたいことがー」

「あー!わかってます、わかってます!悪いけどね、うちの長屋は勧誘お断りなんですよ。みんな、お寺さんはどこってもう決まってますからね」

「違う違う!」


仏門への勧誘と間違えられ、貫昭はあわてて否定した。


勧進かんじん活動で来たのではない!」

「違うんですか?」

「違う!人探しをしているのだ。神崎政輔という男が、この長屋に住んでいないか?」

「かんざき?そんな名前の人、いま、うちにはいないなぁ」

「まことか?」

「ええ。あ、もしかして、私が来る前にいた住民さんかな?」

「なんだ。お主は最近ここの差配人になったばかりか?」

「ええ、まぁ実はそうなんですよ。一週間くらい前から差配人になったばっかで」

「ということは、一週間前に神崎殿は出て行ったかもしれないと?」

「かもですねぇ。前の住民さんのこと、私は何も知らないですから」

「お主の前にいた差配人はどうだ?どこにいる?話を聞くことはできるか?」

「いやあ、私も前の差配人さんがどこ行ったのかなんて、知らないんですよ。大家おおやさんなら知ってるかもしれないけど」


大家とは家主のことを意味し、長屋の持ち主である『孫左衛門』のことである。


「でも孫左衛門さん、いま、旅行にいっちゃってて」

「いつ帰ってくるのだ?」

「一週間くらいとか言ってましたね」

「なんと。それは困ったな……」

「その、かんざきっておひとを探すのは、急ぎなんですか?」

「わしではなくこの娘がな」

「娘さん?」


差配人が尼の頭巾の中をのぞき込んでおどろく。


「あれま!こりゃ、若い盲目のお嬢さんじゃないですかい」

「ああ。実はこの娘、はるばる京から一人で、失踪してしまった兄を探しに来ているのだ」

「えぇ!?めくらのお嬢さんが京から江戸までひとりで!?なんだってそんな無茶を?」

「ご両親はもういないらしく、ただひとりの肉親が、その探している兄君だけらしいのだ」


とたんに、差配人は同情するようなまなざしをめくら娘にむけた。


「こんな若い娘さんが尼にまでなって」

「いえ、わたし、尼ではないのですが」

「ただひとりの家族であるお兄さんを探すために、あぶないとわかっていても、ひとりで江戸へなんて」

「あの……」

「なんていい子なんだろうねぇ、いじらしいねぇ、健気けなげだねぇ」


差配人の耳に朱鷺の言葉は届いていないようだった。


「まるで歌舞伎や落語にある、人情噺にんじょうばなしみたいじゃないか。おじさん、感動しちゃったよぉ!」

「かぶき?らくご?」

「ぜひともお兄さん探しの力になってあげたいけど……大家さんじゃないと前の差配人さんの居場所も、前に住んでた住民のこともわからないしなぁ」


ほんとうに困った、と貫昭が口にもらす。


「ここの住民たちに話を聞いてもだめか?」

「どうでしょうねぇ。みなさん独身者の出稼ぎばかりで、住民同士の交流も少ないみたいですから。それに昼間はこのとおり、みなさん出払ってて。いつ帰ってくるかわからないですよ?」

「うーん。住民に聞くにしても、大家に聞くにしても、待つしかないのか……」

「あ」

「なんだ?」

「一色親分さんはどうですか?」

「そうか、親分殿か!そういえば、ここら辺は親分の縄張なわばりに入るな」

「ええ。親分さんとこ行った方が、どんな人よりも頼りになりますよ」

「うむ、間違いない」


貫昭と差配人は納得したように、うなずき合っている。

朱鷺は首をかしげた。


「いっしき、親分さん?その方は、お役人さまですか?」


朱鷺がそう思ったのも無理はないと思い、貫昭は小さな笑いをこぼした。


「いいや、博徒ばくと大親分おおおやぶんだ」

「ばくと?賭け事を商売にしているという人間の博徒ですか?」

「そうだ」

「その親分さん?」

「まあそうだ。だが、安心せよ。一色親分は、そこいらの博徒の親分、いわゆるやくざ者などとは違う。ここいらの博徒や不良どもといった、無頼漢ぶらいかんなどを束ねる大親分で人望がある立派な男。つまり侠客なのだ。子分だけでなく、一色親分のために働こうという男たちは、この浅草中に何百人といるだろう」


差配人が明るい笑みをめくら娘にむけた。


「一色親分さんはとても世話好きな人なんだよ。よく困ってる人たちの面倒みるから、堅気かたぎの人たちからも人気でね。いろんな知り合いや伝手つてをもってるから、浅草の顔役にもなってるんだよ。この近辺で人探しを頼むのに、親分さんほどちょうどいい人はいないよ」

「なるほど、わかりました。その、侠客の一色親分さまという方には、どちらへ行けば会えますか?」

「親分さんの賭場に行けばいいんじゃないのかな?ねえ、お坊さま?お坊さま、浅草寺のお坊さまでしょ?なら、ちょうどいいじゃない」

「ちょうどいい?」


うむ、と貫昭はうなずいた。


「一色親分の賭場は浅草寺本堂の真裏にあるのだ。さぁ、ゆこうか」


いざ、侠客へ会いに。

貫昭は朱鷺を連れて裏長屋をあとにした。

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