築160年 家具・ケーキ付 一戸建て

元とろろ

築160年 家具・ケーキ付 一戸建て

 月瞳がつどうの面影が浮かぶのに耐えかねて居を移すことにした。

 開いたドアの影やテーブルの下の暗がりが目に入るたび、遠くへ旅だったあの黒くて柔らかい生き物が、鼠を咥えてゴロゴロ喉を鳴らしながら現れるのではないかという気がするのだ。


 古い家から離れることしか考えていなかったものだから、小さな不動産屋にどんな所に住みたいかなどと無邪気に聞かれて困ってしまった。

 そこで思い出したのがかつては友人として扱っていた女の言葉だ。


「家にはいつでも菓子を置いておくのがいい。特にケーキがいい。家に帰ったらケーキが待っている生活というのはどんな時も明るい気分でいることができる」


 当時は全く理解できなかったが、今となっては彼女が言ったのだから本当なのだろうと思える。


 なのでそのままケーキが待っている生活というのをしてみたいのだと不動産屋に伝えた。

 不動産屋は「それなら一軒だけケーキ付の物件があったはずです」と即答してぱたぱたスリッパを鳴らして奥へと引っ込み、すぐに書類を持って戻ってきた。

 それから何枚もの紙を読み上げて長々と説明していたのだが、要するに不動産屋も先代から仕事を継いだばかりで書類以上のことは知らず、実際の状態は見てみないとわからないということだった。


 そういうわけで私は住宅の内見というのをすることになったのだ。



「あっここですよ!」


 不動産屋がソプラノの声で小さく叫んだ。

 確かに書類に載っていた写真通りの家があった。


 元々は木骨煉瓦造で角ばった建物だったそうだ。

 現在までの間に粘土とモルタルで補修をなされ、外壁は黄土色の丸みを帯びた物になっている。

 いくらかは橙色の煉瓦がちらちらと見えるところもあり、つまりは補修箇所にも崩れかけた部分があるらしかった。

 そのでこぼこした壁の上を緑の蔓が這っている他、栗色の屋根瓦の隙間からもいくらか草が飛び出していた。

 円筒形の煙突の先端などは緑の塊がこんもりと蓋のように覆っていた。

 全体の大きさはこじんまりとしている。平屋なのだ。

 押しなべて可愛らしい印象ではあった。


 玄関は今の家と比べて幅は狭く天井も低かったが、私の背丈ならばかがむ必要もなく問題とするほどではなかった。


 内装は外側に比べて明るい雰囲気で、それほど古びた感じもしなかった。

 壁紙も家具もパステルカラーで少し子供っぽい気もするけれど悪くはない。


 そして肝心なケーキはどうかと言えば、丸いテーブルの上にどんとそれらしいのが鎮座していた。

 大きな皿、というよりは足つきの台に乗せられて、ガラスの覆いが被せてあった。

 それだけでテーブルの半分が埋まる大きさである。


 ごつごつとした茶色の山のようで、なんというか、堂々としていた。


「ケーキには詳しくないのですけれど、これは何という種類の物なんですか?」


 何気なしにした質問だったが不動産屋は怯えたようにびくりと体を震わせた。。


「も、申し訳ございません! こちらはクリスマスプディングです! 先代は古い人間だったのでケーキとプディングを区別していなかったようです……。ええ、大きなくくりではケーキと言えなくもないのですが……」


 なるほど。私にも区別はつかない。


「長く持つ物でしょうか?」

「それは保存の仕方次第で。この家が建った時から今まで変わりないはずですが……」


 しかし今まで無事だったからと言って、これからもそうだと言い切れるだろうか。


 直接触れるのははばかられたのでガラスの覆いにそっと手を置いた。

 プディングは何も言わない。

 私がプディングだったらどう思うだろう。


『おう、俺がケーキじゃないことに文句があるのかい。俺はあんたが産まれる前からプディングなんだ。だからあんたの月瞳の代わりなんかにもならないぜ。俺は黒くも柔らかくもないし鼠も食べないんだからな』


 どきりとした。

 その素っ気ない低い声が私が想像したものなのか、本当に私に語り掛けてきたものか、なんとも確信が持てなかった。


 もしもこれが私の勝手な想像でないのだとしたら、確かに私の態度は礼を失していたのかもしれない。


「ごめんなさい。月瞳の代わりは誰にも務まらないし、あなたも何かの代わりとしてここにいるわけではないのですね」


 プディングはなんの答えも返さなかった。

 やはり月瞳とは全然違うのだ。

 それでも、それは決して悪いことではない。


 異様に大きな茶色くて固くて鼠も食べない小山のようなもの。

 可愛くはない。

 それでも貫禄というのか、威厳というのか、心強く感じられる風格はある。

 結構じゃないか。


「プディングでも気に入りました。この物件に住みたいと思います」

「えっ!? いえ、ありがとうございます!」


 顔色を青くしていた不動産屋が急に元気になったのが可笑しくて、私も思わず笑ってしまった。

 ケーキが待つ家で暮らした女はいつもこんな気分でいられたのかもしれない。

 羨むような気持ちはない。

 私だってこれからはプディングが待つ家で暮らすのだ。

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