第21話 ばらばらのノート

マリヤは悲しげに涙した。


「私はそれで、ルカ様と仲直りできると思ったんです。けれど、時計塔にルカ様は来なかった」

「あなたが雨の中倒れていたのは、それが理由だったのですね」

「はい。どうしても諦められなくて……」


 ルカを待ち続け、雨の寒さに倒れたのだ。それをオージが見つけ……


「マリヤ様。あなたは、手紙を受け取ったと言いましたね」

「はい」

「見せてもらっても?」


 マリヤは、不安げにハヤトに手紙を差し出した。ハヤトは礼を言い、中を改める。


「やはり……」


 ハヤトは、無念そうに目を伏せる。予想していたことが、当たってしまったのだ。


「これは、姉の筆跡ではありません」

「えっ」


 マリヤはルカと親友だった頃、字を知らなかった。だから、ルカの筆跡を知らなかった。


「あなたは何者かに騙されたのです。ルカ姉さまが、あなたを嫌っていると思わせる為に」



 隼人は自室で、にこにこと頬杖をついていた。思い返すのは今日のことばかり。


「龍堂くん、かっこよかったな」


 もう何度目かも知れないが、そのたび本当に思っているのでしかたがない。


「おはようって言ってくれた」


 あれから、授業が始まるまで龍堂と一緒にいた。龍堂に話したいこと、聞きたいことはたくさんあったはずなのだが、いざ向かい合うと霧散してしまった。だから、授業の話とか、とりとめもないことをずっと話していた。龍堂は隼人の言葉を、ゆっくり打ち返してくれた。

 わくわくどきどきするのに、なんだか心地よくて、隼人はずっと笑っていた。


「早く音楽の授業こないかな」


 気の早いことに、隼人はもう次の音楽の日が待ち遠しかった。


「ハヤトロクに書こうっと!」


 隣国から戻ってきたタイチが、ハヤトのピンチを颯爽と助ける。そうして、お互いの近況を話し合うのだ。

 隼人は、ノート立てから、ノートを勢いよく抜き出した。すると、つられて何冊かノートが出てしまい、床にすべり落ちた。


「いけない」


 隼人は慌ててノートを拾い上げる。するとちょうど、拾い上げた古文のノートの中身が、ごそりと抜け落ちた。


「えっ?」


 ノートのページが、ばらばらと床に散る。隼人は椅子から降りると、拾い集めた。順番をそろえ、とんと角をそろえる。


「なんでだろう。糸が切れたのかな」


 ノートの背表紙を内から確認し、あっと声を上げた。


「これ……」


 背表紙の内側に、紙の断片がびしりと残っていた。


「切られてる……?」


 隼人は、その断面を恐る恐るなぞった。切り口はすっぱりとしている。カッターか何か、刃物で切ったのかもしれない。


「なんで……?」


 勿論、自分は切った覚えがない。それなら……同時に、胸のうちに不安がさしだした。背表紙に残ったノートの切り幅は、波形にゆれている。それがどうにも生々しかった。


「まさか」


 隼人は頭を振る。しかし、はたと思い当たる。見ちゃいけない、そう思うのに、隼人は他のノートも確認を始めた。


「やっぱり、少なくなってる」


 この間も、ノートが薄く感じた。間違いなく、ノートが破られたり、切られたりしていた。ちぎれた跡が、しずかに残っている。

 自分の勘違いではなかったのだ。

 隼人は黙り込んだ。

 もしかして、誰かが自分のノートに危害を加えたのだろうか。

 もしかしなくてもそうなるが、隼人はあえてもしかしてと付け足したかった。

 四月こっちから、絡まれ続ける日々だったが、これはもう、嫌がらせと言っても過言ではないのでは……これは、悪意だ。

 隼人の心の底が、ひやりとする。


「偶然かもしれないし、悪く考えすぎだよね」


 気を取り直そうとする、自分の声は、頼りなかった。ひとまず、ノートを直そうと、テープを取ったときだった。


「はーやーとっ」


 勢いよくドアが開いた。驚き振り返ると、月歌が枇杷びわを手に、部屋に入ってきた。

 隼人は慌てて、ノートを閉じた。


「どうしたの?」


 月歌はそんな隼人を不思議そうに見つめた。隼人はつとめて平静にノートたちをしまい、隠した。


「何でもないよ」


 隼人は笑ってごまかした。月歌は、不思議そうにしていたが、納得したらしい。にこ、と笑って枇杷ののった皿を軽く持ち上げる。


「休憩しなくちゃね。食べよ?」

「うん。ありがとう!」


 隼人は立ち上がり、お皿を受け取った。月歌は隼人のベッドに座ると、隼人の手から枇杷をひとつつまんだ。


「おいしい」

「ねー、甘くておいしいね」


 二人して、もくもくと枇杷の独特の香気と風味に浸る。隼人は、だんだんと気持ちが落ち着いてくるのがわかった。

 姉がいて、日常を過ごせる、それだけで不安はだいぶよくなると実感する。姉に感謝しつつ、隼人はもうひとつ、枇杷に手を伸ばした。

 そこで、隼人のスマホが震えた。


「あ」


 たぶん、マリヤさんだ。隼人はウエットティッシュで手を拭くと、スマホを取り上げた。


「隼人、最近よくスマホ見てるね」

「そうかな?」

「うん」


 姉がじっと、隼人を見つめる。


「……大丈夫?」

「え?」

「話違うけど……違わなくもないのかな。隼人、なんだか不安そう」


 隼人は固まった。月歌の目は、隼人をまっすぐに映しこんでいた。隼人は、


「うん」


 と笑った。


「平気だよ。ありがとう、お姉ちゃん」

「うん」


 月歌は、それから何も言わなかった。ただ、気遣ってくれているのが、温度でわかった。その心が、とてもありがたかった。

 もう一度、スマホが震える。隼人はじっと、液晶を見る。

 不安。

 マリヤさんが、不安なんじゃない。ただマリヤさんに連なる何かに、隼人はひどく、胸が騒ぐのが、わかった。


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