第9話 現実は違う

 翌日、隼人は早起きをして、コンビニに寄った。お気に入りのチョコ菓子と、おせんべいをひとつずつ買うと、用意してきた紙袋に入れた。


「喜んでくれるかな?」


 どきどきとわくわくの気持ちがないまぜになっている。ふんふんと鼻歌を歌いながら、隼人は学校に向かった。

 いつもより早く着いた学校。校舎の中はしーんとして、どことなく暗かった。

 隼人はひとり、廊下を歩く。自分のクラスであるE組の扉に手をかける。話し声が聞こえた。こんな早くに、もう誰か来てるんだ。隼人はさして疑問に思わず、扉を開けた。


「きゃっ」

「うわ!」


 高い悲鳴があがったのと、隼人が小さく叫んだのは同時だった。窓際で、オージとマリヤさんが、キスをしていたのだ。

 ちょうど扉に背を向けていたマリヤさんは、扉の音で振り返ったらしい。顔を真っ赤にして、オージの胸に隠れた。どうやら、泣いてしまったようだ。

 オージは、彼女の背に手をやってあやしていた。隼人はあまりの状況に、体が石のように固まっていたが、そこで我に返った。


「ご、ごめんなさい!」


 きびすを返し、去ろうとする。その一瞬、オージの冷たい目とかち合う。


「とことんクズだな。消えろよデバガメ」


 うわあああ。

 来た道を走り引き返しながら、隼人は心のなかで叫んだ。頭の中でひらがながぐるぐる回っている。

 そういえば、オージは生徒会に入っていて、朝が早いんだっけ、とか。

 マリヤさん、合わせて早くきてるのか、とか。

 色んなことが頭を巡っては消えていく。

 実際、教室のことだから、隼人に罪はないのだが、隼人はマリヤさんの真っ赤な泣き顔が、頭から離れなかった。


「どうしよう。恥ずかしい思いさせちゃった」


 女の子を泣かせるなんて。隼人はずーんと落ち込んだ。まして、マリヤさんは、隼人にとって、すこし特別な女の子だった。


阿部海里夜あべまりやさん、好きです! 僕と付き合ってください!」


 中学一年の冬、隼人はマリヤさんに告白した。

 マリヤさんは、「優しい子」といえばまず名前の上がる、笑顔の素敵な女の子だった。皆がそうなように、隼人にとっても、憧れの存在だった。

 彼女への思いを書き出して、ハヤトロクは始まったのだ。

 マリヤさんは夜のお姫様で、隼人は星だった。話すことはできないけど、お姫様の笑顔は遠くの星にも届いてる。そんな気持ちだった。

 けど、二学期にマリヤさんと同じ図書委員になって、話す機会が出来た。


「隼人くんって話しやすいね」

「そ、そうかな!」

「うん。私、隼人くんといるとほっとする」


 話してみるとマリヤさんはやっぱり素敵な女の子で、隼人は当番の日の図書室が、一番好きな場所になった。

 星とお姫様も、毎日お話していた。そして星は、お姫様と同じ、人間になりたいと願うようになった。

 そして隼人は、最後の当番の日、勇気を出して、告白をしたのだ。


「ごめんなさい。そういうの考えてなくて……」


 マリヤさんは、隼人の告白を断った。いつもどおり、丁寧で優しい口調だった。

 けれど、彼女の顔は困惑に満ちていて、隼人は自分が「また」間違ったのだと悟った。

 昔から、自分はどこかずれていて、人を困らせてしまうところがあるから。

 隼人は「わかった」と笑って頷くしか出来なかった。

 それきり、マリヤさんとは疎遠になってしまい、すれ違っても避けられるようになった。

 

 とぼとぼと、廊下を歩く。思い起こされるのはさっきの光景だった。


「阿部さんと、藤貴くん、付き合ってるんだものな。当たり前か……」


 マリヤさんと高校二年で、また同じクラスになった。そのときに、マリヤさんは、すでにオージと付き合っていた。

 中学の時、すごく優しかったマリヤさんが、今自分にすごく冷たいのは、果たしてユーヤへの友情だけなのだろうか。自分の過ちのせいではないのか。そう思うと、またつらいところがある。

 隼人はしょんぼりと、鞄の中の紙袋を見下ろした。また、自分は間違うところだったのかもしれない。


「そうだよね。小説で仲良くったって、実際は違うんだ」


 龍堂くんも、いきなり話しかけられて、困るかもしれない。隼人はすっかり意気消沈していた。

 渡す前に気づいてよかった。

 そうして隼人は、始業時間まで、ふらふらと学校中をさまよっていたのだった。


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