妹です。平先生に励まされました。

『どうしたんですか、お嬢さん』


 あれは、八歳の私が、庭で泣いていた時のことです。

 この見た目の私を、「お嬢さん」なんて呼ぶ人が珍しくて、私は思わずその人を見ました。

 その方の頭はボサボサで、ひょろりとした体格はとても華族とも軍人とも思えません。ですが、その穏やかな立ち振る舞いに、私の警戒心はほぐれていきました。

 子どもの私の話を、その方は静かに聞いてくださいました。


『そうですか。……異能があっても、大変なんですなあ』


 話を聞くと、彼は確かに華族なのですが、長男なのに異能がないため、肩身の狭い思いをしている、と言いました。


『あっしも、せめて勉学を修めれば少しは周りの反応が変わるかと思ったんですが、あんまり、意味がないですなあ』


 これでも高等学校首席なんですがねえ、と、へらり、と彼は笑います。

 それは、周囲を憎むことも自分を責めることもやめた、期待を諦めた人の笑みでした。

 諦めるとは、『明らかにする』という意味です。『自分の願いが叶わない理由が何なのか』を追求し、その上で納得することを意味します。

 なので、彼を憐れむのはお門違いなのでしょう。それでも幼い私は、彼の笑みを見て、怒りが混み上がったのです。

 勢いよく立ち上がり、まくし立てた私に、あの方は目を丸くしていました。


 ――あの時の幼稚な私は、一体何を言ってしまったのでしょう。











「……さ? 大佐」


 ゆすられて、私は慌てて体を起こしました。

 そこには、何故か平先生がいました。


「平先生……」

「すみません、おやすみになっているところ。大佐がうなされているから来て欲しい、と」


 仮眠室の向こうでは、覗いたら悪いと言うように、背中を向けた部下の方たちが立っていました。表情は見えないのに、なぜかとても心配してくださったことがわかる背中です。


「すまない、少し深く眠ってしまったようだ」


 仕事に戻る、と私が言うと、「ああ、そのままで」と平先生に止められました。


「少し、付け加えたいことがありました」

「……なんだ」

「さっきの話なんですがね、現時点で『異能』を入れ替えることは出来ないかもしませんが、そのうち変わるかもしれない、……ってことです」


 その言葉に、私は思わず顔を上げ、息をのみました。

 平先生は頭をかきながら、


「いや、不確かなことを言うのは医者としてはダメだと思うんですけど、研究者としては言っとかないとと思いまして」


 と言って、真剣な顔をしました。


「一年過ぎるだけで、医療や研究は進みます。何かを諦めるのは、早いと思うんです。――いや勿論、あなたにこんなことを言うなって話なんすけどね!」


 本当、こんなことに説くのは恐れ多いんですけど、と平先生が言います。

 ……確かに、天下無敵の姉なら、「何を当然なことを」と言うでしょう。そしてそれは、その通りなのです。

 時間が経てば、社会は変化されます。そこに、望みのものはあるかもしれない。

 姉だけでなく、私も常日頃そう考えています。だけど、その言葉を他者から聞くことに意味がありました。

 ――人間は一人で考え事をすると、不特定な未来より、いつか必ず来る制限に目が行きがちです。

 虐げられても物分りのよい人間像を求められる中、「諦めなくていいよ」と言ってくださる方がいるというのは、どれだけ心強いことでしょう。


「平先生。ありがとう」


 私がそう言うと、平先生は目を丸くしました。

 ……姉の対応としては、変だったでしょうか。ですが姉は、威圧的ではありますが、「ありがとう」と「すまない」はちゃんと使う人です。


「いえ、……気が楽になったならよかったです」


 じゃあ、あっしはこれで、と平先生が言いました。

 私も見送ろうと思い、部屋の扉まで案内します。

 

「……あの」


 平先生が、躊躇いがちに言いました。


「身体、大事にしてくださいね」

「……ああ」


 私がそう答えると、じゃあ、と平先生は出ていきました。

 そして、平先生はなにか呟いたようでした。


「とわ様、お身体は」


 部下の方が心配して聞いてくれます。


「もう大丈夫です。ありがとうございます」

「よかった。……いや、実は気になることを聞きまして、」


 部下の山里さんの言葉に、私は平先生の一人言すら忘れて驚きました。






『……覚えてないのか』

 

 ――平先生の一人言は、どんな意味が込められていたのでしょう。

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