第22話 誓いの言葉

『私は、明智光綱が嫡男明智十兵衛である。煕子殿をお迎えに参った。門を開けてくだされ。』

妻木城の城門の前に馬を寄せて、十兵衛は馬に乗ったまま城内にも届く様な大きな声で十兵衛は2度同じ文言を繰り返した。


十兵衛の声を聞き、門番が2名急いで駆け寄ってくる。

二人の顔がしっかりと認識できる程、近くによって来た処で、十兵衛は二人に伝える様に、落ち着いた声で語りかける。

『明智十兵衛でござる。妻木広忠殿のご息女煕子殿をお迎えに上がった。至急城主、妻木広忠殿にお繋ぎ下され。』


『ハツ、少々此処でお待ち下さい。』と一人の者が言うと、その者はもう一人の者に首を振って合図をする。合図を受けた者が、足早に門の中に入っていく。


『恐れ入りますが、馬は、此方でお預かりするのが決まりとなっております。』と、門番はそう言うと、十兵衛の馬の首を触り、落ち着かせるように馬を門の傍まで誘導し、止める。


『承知した。』と、短く言った十兵衛は速やかに下馬する。


『先程の者が、確認して参りますので、今暫くお待ちください。』と初老の門番は笑顔をみせる。

その笑顔は、十兵衛が親戚の明智家の者である事がわかり警戒感を解いた証であった。


十兵衛は、そんな門番に軽く会釈をし、その場でもう一人の門番の男の帰りを待ったのである。

暫くすると、確認に言った男が息をきらせ戻ってきた。


『明智十兵衛様、許可がおりました。此方でございます。』と男は言い、門の方向を腕で指して十兵衛を先導する。門をくぐると、帯刀した男と女中が十兵衛を待っていた。


男は、十兵衛の刀と脇差を預かる事を伝え、十兵衛がそれに従うと、今度は女中が十兵衛に挨拶をして、城主広忠の待つ部屋に誘導したのであった。


十兵衛の来訪を知った煕子の父広忠と母知ともは驚きそして動揺した。

十兵衛の意図が全く分からなかったからである。妹の範子を煕子と偽り送った後ろめたさもあったが、一番の理由はやっと平静を取り戻した煕子が、十兵衛の来訪を知り、元の状況に戻ってしまう事が怖かったのである。


二人はその場で話し合い、広忠が煕子には知らせない内に十兵衛と会い、状況を説明し説得して事情を酌んでもらい明智城へ帰ってもらう事が最良であると結論づけた。


考えがまとまった二人は直ぐに行動に移す。父広忠は、先に十兵衛と会う部屋に向かい、母知は直ぐにお登勢を呼び、煕子に十兵衛の来訪は知らせず部屋から出さない様に指示をする。

お登勢に指示を出した後、知も広忠と十兵衛が待つ部屋に向かったのである。


しかし、二人の計画に一つ誤算が生まれる。その誤算とは、お登勢の行動であった。


お登勢は、知の指示とは逆の行動をしたのである。彼女は、その足で煕子の部屋に向かい、煕子へ十兵衛の来訪を告げた。そして十兵衛の来訪を知り動揺する煕子へ、彼女の本音を伝えたのである。


『煕子様、今日が十兵衛様と会える最後の機会です。お決め下さい。』

『御顔を見たいか、どうかです。他に何も考える必要は無いのです。』

『部屋の外で、お待ちしております。もし、お顔が見たいのであれば、私がお連れ致します。』

『後で、お決め下さい。』


お登勢は、矛盾する言葉を残し、廊下に出て行った。


お登勢から最終決断を迫られた煕子は、必死に自分に問いかけた。

(最後の機会、十兵衛の顔、別れ、会わないと選択した自分と、会うと選択した自分・・・、答えは出ない。考えれば考えるほど、結論が出てこない。)


そんな彼女が、行きついた結論は正にお登勢の残した言葉であった。

(十兵衛に会っても後悔する、会わなくても後悔する。どっちを選んでも後悔するのだ。どっちを選んでも後悔するのであれば、会いたいか、会いたくないかである。・・・・会いたい。最後に一目だけでいい、十兵衛様に会いたい。)


煕子は覚悟を決め、襖を開ける。

『お登勢、私、後悔しても後悔しないわ、お願いだから私を連れていって、十兵衛様の顔の見える場所に。』と、煕子は勇気をだしてお登勢に伝えた。


お登勢は無言で頷き、煕子の選択を受け入れ、彼女を3人がいる部屋の隣の部屋に連れて行ったのであった。二人が目的地に着くと、隣の部屋から父広忠と十兵衛の会話する声が聞こえてきた。

二人は息を潜め、その会話に耳を澄ました。


『十兵衛殿、いや、婿殿、突然いらっしゃるとは、驚きましたぞ。』

『今日の煕子との祝言で、何か問題でもあったのか?。』と、広忠が嘘を繕う様に十兵衛へ来訪の目的を聞いていた。


『義父殿、お戯れも過ぎまする。私をお試しになりましたな、煕子殿を寄越さず瓜二つの妹範子のりこ殿を寄越すとは。私が、一目で範子殿を煕子殿では無いと見抜くと、範子殿も堪らず白状されましたよ。』と十兵衛は答える。顔は笑い、言葉は丁寧であるが、もう見え透いた嘘は止めてくれと広忠をみる十兵衛の目がそう言っていた。


『・・・・。』、十兵衛の目をみて言葉に詰まる義父は、覚悟を決めた様に語りだした。


『スマヌ、今回の件はワシの一存じゃ。お主も知っておろうが、煕子は疱瘡ほうそうを患い、命はとりとめたが、未だ心身ともに傷ついておる。ワシの結論は、煕子の今の状態では、祝言にも、嫁入りにも耐えられないと判断した。だから、煕子の事は諦めて欲しい。』


『娘を思う親心だと、分かってくだされ。』

『幸い、範子は煕子の年子、容姿もそっくりじゃ、範子を煕子として受け入れて下され、煕子もそれを望んでおる。』と、広忠は範子の身代わりを提案したのは煕子である事実のみを隠し、彼らの本音を十兵衛に伝えたのであった。


『いくら義父ちちうえ様のお話でも、それは嫌でござる。私は、範子殿ではなく、煕子殿良いのでございます。どうか、私に煕子殿を下さいませ。』


『煕子殿が料理修業に明智城に来られ、短いながらも我々には心の絆が出来ました。私はその絆を大事にしたいのです。』と、十兵衛は堂々と自分の我を通す。


『黙れこの若造が、生意気に何を言う。我らの気持ちも知らずに・・・。』と、突然今迄穏やかに話をしていた広忠が十兵衛へ恫喝するように叫ぶ。


『範子も、泣く泣くお前の元に嫁に行く事を受け入れたのじゃ。』

『煕子は、お前の事を思って、身を譲ったのじゃ。お主がいなければ、煕子は、煕子はあんなにも苦しまなくてすんだのじゃ。全部お主のせいじゃ。』


関を切ったように、広忠の怒りが十兵衛への怨みとなって降り注ぐ。

『お主が総て悪いのじゃぁ!!」と、広忠は怒鳴り散らす。


怒鳴り散らしながら、世の中の不条理に対する怒りを、煕子が受けてしまった苦しみを、全ての怒りをぶちまけた。きっと新しくできた、世間知らずの小生意気な娘婿が何かを言い返してくる、彼が反論でも、分かった様な理解を示す言葉でも、追い打ちをかけ、積りに積もった自分の中の怒りを更にぶつけようと、広忠は正直思っていた。


『そのとおりです。私が総て悪いのです。・・・・だから、私は来たのです。申し訳ございません。煕子殿、いや煕子に会わせて下さい。私は彼女に謝りに此処に来たのです。せめて最後に一度だけ、彼女の顔が見たいのです。』


『ふざけるな、お前なんぞに、今の煕子を受け入れられる訳が無い、ワシが許す訳ないであろう。』

『うちの娘を、軽く見るなよ。お主が、煕子の傷を、顔の傷を、受け入れれる訳がない、心の傷を癒せるわけがない、出ていけ、早く出ていけ、覚悟の無い、お前など、娘に会う資格は無い。このウツケ者が、出ていけぇい!。』


義父の絶叫を、聞いた十兵衛は、それでも屈しない。

『その言葉、煕子殿の口から聞きましたら、私は帰りまする。どうか、煕子殿に会わせて下さい。』


『未だ言うか、この若造が!。』と広忠は言う、言いながら飾ってある日本刀を取り、十兵衛に切りかかろうと鞘を抜く。


『貴方御止め下さい。』と知が、止めようと刀を持つ広忠の両腕にしがみつく様に止める。


その時、隣の部屋と連結する襖が音を立てて開く。

涙でグシャグシャに顔を濡らす煕子が、堪らず中に入って来たのであった。

『父上、御止め下さい。十兵衛様、私は此処です。貴方とは夫婦になれませぬ。御帰り下さい。帰って下さい。』


『嫌じゃ、お主を連れて帰る。私は貴方が良いのです。疱瘡の傷等関係ない、貴方で無ければ駄目なのです。どうか私の為に我慢をしてくれ、私は貴方を必ず幸せにする。私に機会をくだされ。ワシは、長い間ずっと一人じゃった、もう一人は嫌じゃ。お主となら、ワシは良い夫婦になれると思う。ワシを信じてくれ。』


感情の起伏の為か、十兵衛の一人称が変わった。冷静な者はおらず、それに気づいた者は本人以外いなかった。


気がつけば、十兵衛の目から大粒の涙が出ていた。


十兵衛の誓いの言葉を聞いた煕子は、答える事ができず、唯十兵衛の名を繰り返しながら号泣し続けた。


その涙は、絶望のみの枯れ地のような煕子の心に、前向きに生きる希望を目覚めさせる雨のように、止めどなく流れ落ちたのである。



『殿様、奥方様、どうか私に免じて、少しの時間、御二人だけにさせてください。』

呆然とする、煕子の両親の二人に、お登勢が二人の慈悲を乞う様にひれ伏しお願いをする。


娘の命の恩人でもあるお登勢の願いを、二人は聞かざるをえなかった。


泣いてる二人を置いて3人は退室する。


3人の気配が遠くに消えた後、十兵衛は煕子に近づき、煕子の身体を軽く抱きしめる。

『煕子殿、今から話す事を心して聞いてくれ。』

『ワシは、今日から死ぬまでお主だけを愛する。他の者等要らない。』

『先日も言ったが、明智の家紋、桔梗の印に誓う。但し、ワシと夫婦になった後、他の者が其方を傷つける事があるやもしれぬ、それは頼むから耐えてくれ。自分一人の為ではなく、ワシの為だと思い耐えて欲しいのじゃ。ワシも、どんな困難があろうとも、貴女や貴方と作る家族の為に我慢し、必ず克服する。』

『この誓い、生涯違えるつもりはない。だから、ワシを信じて、ワシの元に嫁に来て下さらんか?。』


煕子は、夫となる十兵衛の誓いに応えるように、十兵衛にしがみつく腕に力を込めた。

決して離れない、煕子は藤の花の花言葉を思い出しながら、精一杯の力で十兵衛を抱きしめたのである。

その力はまるで、どん底から地上へ向かう命綱を必死に掴むように強かった。


この日、二人の人生は重なり、夫婦として二人は歩み出したのである。

人生の交差点で出会った二人が、手を共に取りあい同じ道を目指して歩み出す日となったのである。


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